2015年2月5日木曜日

イスラム国とヨルダン 死刑の応酬! 後藤健二さんの願いは?

   後藤健二さんが、イスラム国に殺害されてから、戦争と平和について、人間の命の価値について考えながら、ネットやテレビ、雑誌や本などを読んでいます。
  時にふれて、後藤健二さんの言葉や、私の思うことを紹介させていただこうと思っています。

 後藤健二さんが逝ったあとも、事態は動いています。
 
 まず、日本時間で2月4日の未明、イスラム国がインターネット上で、拘束していたヨルダン軍パイロットのモアズ・カサスペ中尉(26歳)を、生きたまま檻の中で焼き殺す映像を公開しました。
 なぜ、湯川さんや後藤さんが殺された斬首ではなく、パイロットは焼殺されたのかというと、イスラム教では、体を焼かれて跡形もなくなってしまうのは、斬首以上の屈辱的な殺害方法だということです。

  これに対して、ヨルダン国は同じ日のうちに、後藤健二さんとの交換をイスラム国が要求していたサジダ・リシャウ死刑囚を含む2人を、報復のため死刑(絞殺)にしたと発表しました。また、他にも4人の死刑を執行するとの情報もあります。
  ヨルダン政府は「大規模な報復」を宣言し、ヨルダンの新聞には「リベンジ」という見出しが躍っています。

<地図: ヨルダンとイスラム国>

 

 
 イスラム国とヨルダン国の死刑と死刑の応酬。
 
 もちろん、法治国家のヨルダンの死刑とイスラム国の死刑は、意味が違うと思います。日本人の一人としては、後藤や湯川さんを処刑されたことへの怒りや恨みあり、ヨルダンを応援したい気持ちです。
 ただ、後藤健二さんが願った平和のことを思うと、やっぱり死刑に死刑をもってリベンジするのには、疑問が残ります。
 
 

 後藤健二さんが残した言葉の一つに、こんなものがあります。
「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。
 それは祈りに近い。
 憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。
 そう教えてくれたのは、アラブの兄弟たちだった。」

<写真:講演をする後藤健二さん>


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 「憎むは人の業にあらず」
  今こそ、後藤さんのこの言葉を噛みしめて、目を閉じて冷静になることが、大切であるように思えます。

 
 もちろん、本当の正義を貫くことは重要だと思います。でも、それは「リベンジ」や「復讐」、ましてや戦争ではなく、後藤健二さんがそうしたように、「子供たちの未来のために何ができるか」を考え、行動することではないでしょうか。
 
 
一句;  憎まずに 平和を祈ろう 死と私と志     

 



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