時にふれて、後藤健二さんの言葉や、私の思うことを紹介させていただこうと思っています。
後藤健二さんが逝ったあとも、事態は動いています。
まず、日本時間で2月4日の未明、イスラム国がインターネット上で、拘束していたヨルダン軍パイロットのモアズ・カサスペ中尉(26歳)を、生きたまま檻の中で焼き殺す映像を公開しました。
なぜ、湯川さんや後藤さんが殺された斬首ではなく、パイロットは焼殺されたのかというと、イスラム教では、体を焼かれて跡形もなくなってしまうのは、斬首以上の屈辱的な殺害方法だということです。
これに対して、ヨルダン国は同じ日のうちに、後藤健二さんとの交換をイスラム国が要求していたサジダ・リシャウ死刑囚を含む2人を、報復のため死刑(絞殺)にしたと発表しました。また、他にも4人の死刑を執行するとの情報もあります。
ヨルダン政府は「大規模な報復」を宣言し、ヨルダンの新聞には「リベンジ」という見出しが躍っています。
<地図: ヨルダンとイスラム国>
イスラム国とヨルダン国の死刑と死刑の応酬。
もちろん、法治国家のヨルダンの死刑とイスラム国の死刑は、意味が違うと思います。日本人の一人としては、後藤や湯川さんを処刑されたことへの怒りや恨みあり、ヨルダンを応援したい気持ちです。
ただ、後藤健二さんが願った平和のことを思うと、やっぱり死刑に死刑をもってリベンジするのには、疑問が残ります。
後藤健二さんが残した言葉の一つに、こんなものがあります。
「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。
それは祈りに近い。
憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。
そう教えてくれたのは、アラブの兄弟たちだった。」
<写真:講演をする後藤健二さん>
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