私も先日、ある学校の卒業式に出席させてもらいましたが、いつもははしゃいでいる学生・生徒たちが、最後にみせる厳粛な空気と涙、いいものですね。
この卒業式に欠かせないのが、卒業ソングです。
以前に比べれば、いろんな歌が歌われていますが、でも、なんといっても1番多く歌われている歌が「蛍の光」だと思います。
今回は、誰もが1度は歌ったことのある歌・名曲「蛍の光」について、紹介します。
「蛍の光」は、イギリス北部「スコットランドの民謡」で、原題は「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」で、現代英語で言うと「old long since(昔むかし)」となります。
日本では、文部省が1881(明治14)年に発表した「小学唱歌集初編」に5年生用の唱歌として、掲載されています。
作詞は、教科書等、多くの本で作者不詳とされてきました。
しかし、最近の研究で、「蛍の光」が唱歌として発表された1881(明治14)年の皇居での晩餐の演奏会の解説本に、「蛍の光」の作詞者は稲垣千穎(いながきちえい 福島県出身 1845(弘化4)年~1913(大正2)年)だと書かれていることがわかりました。
この時の解説文に、すでに「卒業式で歌われる」と書かれているのは興味深いと思います。
次に「蛍の光」の歌詞の話です。
「蛍の光 窓の雪♪」で始まる1番と、「止まるも行くも 限りとて♪」で始まる2番が有名で、戦後の日本ではこの部分が教科書に載り、小学校で学び、卒業式などで歌われています。
「蛍の光」(1番、2番) スコットランド民謡 作詞:稲垣千穎
1 蛍の光 窓の雪
書読む月日 重ねつゝ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は、別れ行く
2 止まるも行くも、限りとて
互に思ふ 千萬の
心の端を 一言に
幸くと許り 歌うなり
「蛍の光 窓の雪」の歌詞は、「蛍雪の功」と言われ、一途に学問に励む事を褒め称える中国の故事が由来です。
東晋(317年~420年)の時代に、貧乏で油が買えなかった車胤は貧乏で油が買えず蛍の光で勉強し、同じころの尊康は夜に窓の外に積もった雪に反射する月明りで勉強しました。2人は朝廷の高官になったという伝説が残されています。
この故事が、「蛍の光」の歌の重みを増しているのは、間違いないと思います。
ちなみに、旺文社の大学受験向け雑誌は、この故事から「蛍雪時代」と名付けられています。
「蛍の光」の歌詞には、実は3番と4番があります。その内容から、戦後は歌われなくなりましたが、次のような歌詞です。
「蛍の光」(3番、4番) スコットランド民謡 作詞:稲垣千穎
3 筑紫の極み 陸の奥
海山遠く 隔つとも
その眞心は、隔て無く
一つに尽くせ 國の為
4 千島の奥も 沖繩も
八洲の内の 護りなり
至らん國に 勲しく
努めよ我が背 恙無く
戦前の日本では、4番の「千島の奥も沖縄も」が、日清戦争による台湾の獲得で「千島の奥も 台湾も」に変り、さらに日露戦争による南樺太の獲得で「台湾の果ても 樺太も」に変えられた歴史があります。
ただし、「蛍の光」は、もともと友情を旧友と温めあう平和の歌です。
最後に、世界での「蛍の光」の歌われ方を見てみましょう。
日本では、卒業式で歌われるのを始め、デパートや博物館、パチンコ店などの閉店・閉館時に流れる曲が多い歌です。
イギリス・スコットランドでは、国歌にも匹敵する愛唱歌として、様々な集まりで歌われています。
NHKの連続テレビ小説「マッサン」では、愛する人との再会を祝う歌(原文はこの内容です)として、エリーと正春がスコットランドから日本へ行く決意をした日などに歌われています。
また、この歌は、欧米では讃美歌370番「目覚めよ我が霊」としても歌われます。
アメリカでは、大晦日(New Year's Eve)に、行く歳を惜しみ新年を祝う曲として歌われます。韓国では、国歌のメロディーになったこともあり、愛国の象徴として歌われています。
NHK紅白歌合戦で、大晦日の最後に「蛍の光」を歌ったり、東京デイズニーランド(TDL)のカウントダウンイベントで流れるのは、アメリカの影響のような気がします。
紅白歌合戦やTDLなど、夢の舞台で歌われる「蛍の光」は、やっぱり名曲であり、「夢への門出」の卒業式にふさわしい「卒業ソング」だと思います。
<写真:カウントダウン・イベントで「蛍の光」が歌われる東京ディズニーランド>
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