2015年3月13日金曜日
おすすめ本 後藤健二箸「もしも学校に行けたら」
今回は、IS(イスラム国)によって殺害されたジャーナリスト・後藤健二さんの書いた「もしも学校に行けたら」(汐文社 2009年刊)を紹介します。
この本は、タリバン政権崩壊直後のアフガニスタンへ向かう、後藤健二さんの取材旅行の形で始まります。
後藤さんは、「本当の現地の姿を伝えたい」という一念で、取材のために危険を顧みず、治安の極めて悪いアフガニスタンへ入ります。
この本を読んでいて特に感じるのは、後藤健二さんの「視線」が、単に戦闘の模様を取材する戦地レポートではなく、戦争で犠牲になった一般市民の生活に向いているという点です。
後藤さんの「やさしさ」がにじみ出ています。
<アフガニスタンの地図>
長年の戦闘で廃墟となったアフガニスタンの首都カブールに入った彼は、一つの家族、ダルマカイさん一家を取材します。
この家族は大黒柱のお父さんを8年前に病気で亡くし、戦争終結直前には、働き手であった長男を、アメリカ軍の誤爆によって失い途方に暮れています。
残されたお母さんと、幼い弟を抱いた10歳の少女マリアムは、「もしも学校に行けたら---」と夢を語ります。
彼女の話を聞くうちに、後藤さんはマリアムを学校に行かせたいと思うようになります。
彼は、「バック・トゥ・スクール(学校に戻ろう)」キャンペーンを展開する、国連児童基金(ユニセフ)の友人の助けを得て、マリアムを学校に通わすために、校長先生に直談判にいきます。
この時点で、後藤健二さんは、現状のままを取材する「戦争ジャーナリスト」ではなく、一歩踏み込んで悲惨な現状を変えようとする一人の人間に戻っているように思えます。
彼はこう書いています。
「 テロとの戦いと、わたしたちがまるで記号のように使う言葉の裏側で、こんなにたくさんの生活がズタズタに破壊されていることを知らないでいたのです。あるいは知らせずにいたのです。
自分は、いかに盲目的だったかと激しく自分を責めました。」
<写真:アフガニスタンの首都カブール>
後藤さんの言葉を読んで、私は70年前の日本の空襲のことを思い出しました。
もちろん、空襲の直接の経験はありませんが、空襲を地上で経験した人たちの話や映像は生々しく、生きるために必死だったと聞いています。
後藤健二さんは、アフガニスタンの「市民生活」の中に、70年前の日本と同じ景色を見たのではないかと思います。
彼は、廃墟のアフガニスタンで、「唯一の希望は子供である」ことに気づきます。
そして、何度も挫折しながらも、少女マリアムを学校に通わすことに成功します。
その時の喜びを、彼はこう綴っています。
「 夕焼けのゆるい光にて照らされたゴミ野原の中で、女の子が本を読む姿はまぶしいほど輝いていました。
(神さま、どうぞ彼女を導いてあげてください!)
わたしは、そう願って眼を閉じました。」
アフガニスタンでは、400万人の子供が学校に行けず、「もしも学校に行けたら」とう夢をもっていると後藤さんは書いています。
一方、日本では「不登校」が、大きな問題となっています。
不登校の小中学生は、12万人(2013年度 文部科学省調査)にも達しています。
「川崎中1生殺害事件」の加害者も、被害者の上村遼太君も「不登校」の経験者であったそうです。
前にも書いたように、私の身内にも不登校がいます。
後藤健二さんは、この矛盾をどう思っていたのか。
ぜひ、お聞きしたいと思いますが、もう後藤さんに直接、お聞きすることはできません。
正義とは何か。
平和とは何か。
そして人間の幸せとは何か。
他の後藤健二さんの本を含む、様々な人たちの意見をはじめ、戦争や不登校の現状を紹介しながら、このテーマについて、このブログの中で、みなさんとともに考えていきたいと思っています。
最後に一首
・ 学校は 夢と勇気を 学ぶ場所 楽しくもあり 楽しくもなし
<写真:後藤健二箸「もしも学校に行けたら」(汐文社)>
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