3月3日は桃の節句「ひなまつり」です。
今回は、ひなまつりの「うれしく悲しくビッグな話」をします。
「ひなまつり」は、平安時代の「遊びごと」が由来と言われ、当時は紙で作った人形を川へ流す「流しびな」が一般的でした。
「ひな遊び」が「3月3日の節句行事」として定着したのは、天正年間(1573年~1593年、安土桃山時代<織田信長・豊臣秀吉の頃>)だったと言われています。
江戸時代に入ると、男女一対のひな人形を飾る風習が、全国的に広がりました。次第に華美になり、暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗(8代将軍)の享保(1716年~1745年)の改革では、幕府が大きなひな人形を規制したこともありました。
<写真:一般的なひな飾り>
現在、一般的なひな人形を上段から順に紹介します。
・内裏雛(だいりびな)--男女1対で、天皇・皇后を表します。男女の左右の置き方については、関西・関東で違う場合もあります。
・三人官女(さんにんかんじょ)----宮中に仕える女官をあらわし3体です。
・五人囃子(ごにんばやし)----- 能お囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、向かって右から、謡(うたい)、笛(ふえ)、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、そして太鼓(たいこ)の順です。右から楽器が小さい順番に並んでいると言われています。
・随身(ずいじん) -------- 右大臣と左大臣を表す2体。
・仕丁(しちょう)--------- 従者を表し、3体。
他に、三歌人(柿本人麻呂、小野小町、菅原道真)や三賢女(紫式部、清少納言、小野小町)などが加わる豪華版もあります。
豪華版と言えば、数千体から数万体のひな人形を一堂に飾る「ビッグひなまつり」
という催しがあります。
これは、1989(平成元)年に徳島県勝浦町でNPO「阿波勝浦井戸端塾」が中心となって始めた行事で、全国から使い終わったひな人形を集めて、一堂に飾るもので2万体を超えるひな人形が会場に飾られ、まさに「ビッグ」なひなまつりです。
ちなみに、平成27年は2月22日から4月5日まで開催されています。
<写真:ビッグひなまつり(徳島県勝浦町)>
このイベントは、「勝浦」という地名をもつ、他の地域でも、勝浦町のひな人形を分けてもらって広がっています。
千葉県勝浦市では、2001(平成13)年から「かつうらビッグひなまつり」が開催され、年々盛んになっています。今年は、3万体を超えるひな人形が飾られ、2月20日から3月3日まで開催されています。ツアーや臨時列車なども出ます。
2012(平成24)年から始まった和歌山県那智勝浦町の「南紀勝浦ひなめぐり」にも、1万3千体を超えるひな人形が展示され、2月14日から3月3日まで開催されています。
最後に、ひなまつりの歌でもっとも有名な「うれしいひなまつり」の話です。
「うれしいひなまつり」は、1936(昭和11)年にレコード発売された童謡で、作詞はサトウハチロウ(本名 山野三郎)さん、作曲は河村光陽(本名 河村直則)さんです。
この童謡は、「うれしい」とついていて楽しいひなまつりを歌っているのですが、実は、悲しいレクイエム(鎮魂歌)だとも言われいます。
2番に「お嫁にいらしたねえさまに、よく似た官女の白い顔♪」とありますが、実はサトウハチロウさんのお姉さんは、お嫁に行く直前、18歳で結核のため亡くなっています。
「うれしいひなまつり」が、ちょっと暗い短調で始まるのは、そんな理由かも知れません。
ともかくも、3月3日は縁起のいい「節句」の一つで、桃の節句と言われています。
みんなで、楽しく、嬉しく、ビッグに、過ごしましょう。
童謡 「うれしい ひなまつり」
作詞 サトウハチロウ 作曲 河村光陽
(1) あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り
(2) お内裏様と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした ねえさまに
よく似た官女の 白い顔
(3) 金のびょうぶに うつる灯を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
赤いお顔の 右大臣
(4) 着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り
0 件のコメント:
コメントを投稿