3月14日に開業した北陸新幹線がブームとなっています。
テレビ各局やネットに「新幹線」の文字が躍っています。前回の「新幹線のちょっといい裏話」のブログを見ていただいた方も多かったみたいです。
そこで、前回に続き、新幹線の「ちょといい裏話」の続編を紹介します。今回は、主に国内の話をさせていただきます。
まず1つ目は、2011(平成23)年3月11日、そう「東日本大震災」の日の新幹線にまつわる話です。
東日本大震災の発生により、新幹線の「安全装置」が働いて、近くにいた上下2本の新幹線車両が、栃木県の那須塩原駅に緊急停車しました。
地震発生後は。東北新幹線が不通になり、乗客たちはJR東日本と那須塩原市の配慮で。那須塩原温泉の複数のホテルに無料で宿泊し、ほっとする夜を過ごすことができました。
後日、JR東日本から震災の時のホテル代を請求するように言われた那須塩原の各ホテルは、請求を辞退しました。
その年の暮れ、那須町観光協会が、JR東日本の各駅に観光PRポスターを出すことになりました。
JR東日本は、震災の時のお礼に、ポスターを「業務用扱い」として、無料で首都圏の各駅に貼りだしたそうです。
大震災時の、「ちょっといい裏話」です。
<写真:那須塩原温泉>
2番目は、埼玉県の川角(かわかど)中学校の2年生たちが、修学旅行で京都へ行き、新幹線を利用した時の話です。
後日、新幹線の清掃員の女性から「みなさんが降りられたあと、通路や座席がきれいに片付けられてあって、感動しました。ありがとう。」という手紙と、ドクターイエローの写真が届きました。
この中学の生徒たちは、新幹線を降りるときにみんなでゴミ袋を用意し、きれいに掃除をしたのでした。
「あたりまえのことを、ばかにせず、一所懸命にやる」
川角中学の生徒たちは、そんな教育を受けていました。
新幹線のゴミをもち帰るのは、あたり前だけど、難しいことかもしれませんね。
ちなみに、清掃員の女性から送られてきた写真「ドクターイエロー」は、見ると幸せになれるという都市伝説がある「黄色い点検用新幹線車両」です。
<写真:ドクターイエロー>
3つめの話は、新幹線が舞台の映画「新幹線大爆破」<1975(昭和50)年、東映、監督・佐藤純弥>についてです。
この映画の主演は、はじめ菅原文太さんに依頼したのですが断られました。
その後、脚本を見て「おもしろい」と感じた、名優・高倉健さんが引き受けました。
高倉健さんは、この映画を気に入り「タワーリング・インフェルノより、おもしろい。」と言っていたそうです。その言葉どおり、この映画は、海外の評価が高いそうです。
最後は、「新幹線」という名前にまつわる話です。
新幹線は、戦前、「弾丸列車構想」といわれ、1941(昭和16)年に、東京~下関間で密かに工事が始まっていました。
その工事現場の一つが、静岡県函南町(かんなみちょう)にありました。
この町に、「弾丸列車」工事に携わる職員住宅があり、戦後は分譲住宅地となりました。この町の地名として、弾丸列車を改名して現実のものになった「新幹線」がつけられました。
現在も、静岡県四方郡函南町新幹線という地名が残っています。
<写真:「新幹線地区」の案内板>
新幹線の「ちょっといい裏話」をいろいろ紹介してきましたが、今回、開業した「北陸新幹線」にも、きっといい話があるでしょうし、誕生するはずです。
北陸新幹線では、糸魚川で北に日本海を望み、富山では南に立山連峰を眺めることができるそうです。
すばらしい眺望と、あったかい北陸の人情が、新しい「新幹線のいい話」を生み出してくれることを期待して、今回のブログを終わります。
短歌: 日本海 待ち続けていた 新幹線 春の立山 夢が木霊す
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