2015年3月18日水曜日

「龍の子太郎」「怪談レストラン」の作家 松谷みよ子さんの死

 「龍の子太郎」や「いないいないばあ」、「モモちゃんとアカネちゃんの本」シリーズや「怪談レストラン」など、多くの作品を残した童話作家・松谷みよ子さんが、2015(平成27)年2月28日に老衰のため、亡くなられました。

 今回は、松谷みよ子さんについて、紹介します。

 生前、松谷さんは、こんなことをおしゃっていたそうです。
 「語りは心の母乳。どうぞ子供たちに本を読んでやってください。戦争の話をしてください。耳をすませば、戦争のことを話してくれる人はたくさんいます。」

 松谷みよ子(本名 松谷美代子)さんは、1926(昭和元)年2月15日、東京都(当時の神田区)生まれです。
 西巣鴨第5尋常小学校から東洋高等女学校へ進み、大学へは行かず、旧日本勧業銀行に就職し、JTBの編集もしていたそうです。
 17歳(1943年)に初めての童話「とかげのぼうや」を書きます。

 1945(昭和20)年に、空襲の激しくなった東京から長野県に疎開します。
 童話作家を志し、1951(昭和26)年に童話集「貝になった子供」で第1回児童文学者協会新人賞を受賞します。

 1955(昭和30)年、人形劇活動で知り合った瀬川拓男さんと結婚します。(1女、
たくみさんを設けますが、後、離婚)

 1960(昭和35)年、代表作の1つとなる「龍の子太郎」を発表し、第1回講談社児童文学賞を受賞。

 以降、620万部のロングセラーとなった「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズや「いないいないばあ」などの幼児向け絵本や、アニメにもなった「怪談レストラン」(共著)など、200冊以上の作品を発表しました。

 次に、代表作品の1つ「龍の子太郎」について、紹介します。
 松谷みよ子さんは夫の瀬川さんと、長野県や秋田県などで民話を収集し、それをもとにして、1960(昭和35)年に創作童話「龍の子太郎」を発表します。

 いわなを食べて「龍」になったお母さんを、龍の子太郎が探しに行く物語で、最後には、村人たちを水不足から救うため、太郎と龍になったお母さんが命を賭けるという、勇ましくもちょっと悲しいお話です。
 私も、子供の頃に読んだ「龍の子太郎」の思い出が強烈に残っています。

 この作品は、生後間もない我が子に、乳を飲ませながら書いたそうで、まえがきには、松谷みよ子さん自身の字でこんなことが書かれています。

「きみたち いつか山を歩くことがあったら思ってね。このへんを龍の子が、どしどし どしどしと、歩いていったんだなって。 松谷みよ子」

<「龍の子太郎」>

  松谷みよ子さんは、民話の研究や発掘の他にも、「いないいないばあ」や「モモちゃんとアカネちゃんの本」シリーズなど、600万部以上とも言われる幼児向け絵本を出版しています。

 幼児のブックスタートの代表作である「いないいないばあ」では、ネコの「にゅあにゃ」やくまちゃん、ねずみやきつねなどが、やさしく「いないいないばあ」と登場します。この本を幼い頃に見て育った人も多いのでは、ないでしょうか。
 
 「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズでは、娘さんに「どうして家にパパがいないの」と、離婚して母子家庭であったことを尋ねられて、パパのくつだけが帰ってくるファンタジーを創作しました。

 他にも、松谷みよ子さんは、「戦争と平和」や「いじめの問題」を、積極的に作品に取り上げています。

 「戦争と平和」では、原爆をテーマにした「ふたりのイーダ」や「ミサコの被爆ピアノ」、さらには「私のアンネフランク」などの作品があります。

 一方、いじめの問題でも、小学校などで授業の教材として活用されている「わたしのいもうと」(1987(昭和62)年)などの本があります。

 「わたしのいもうと」は、小学校のいじめが原因で、無口になり、不登校になった妹のことを書いた童話です。

 妹をいじめたクラスメートたちは、中学生になり、高校生になり、楽しそうに家の前を登校します。
 ところが妹は、引きこもりになり、黙々とツルを折り、やがて死んでしまいます。

 不登校の問題をかかえる私としては、身につまされる悲しい作品です。

<「わたしのいもうと」>


 最後に、松谷みよ子さん自身が書いた「龍の子太郎」のあとがきの一部を紹介します。

「(東京生まれで)ふるさとをもたない私は、どうにかして日本の土というものにじかに触れてみたい。そういう気持ちから、民話採集の旅に出るようになりました。
 そこで、私ははじめて、自分が日本の国に生まれたんだ。ここに、ふるさとがあるんだと感じたのです。」

 子供たちに対してははもちろん、大人のみなさんも、松谷さんの童話を読んで「心の母乳」を、体感しませんか。

 松谷みよ子さんの「お別れ会」は、東京・南青山の青山葬儀場で、平成27年4月4日の11時から開催される予定です。
 遺族代表は、長女の瀬川たくみさんです。





 







 




  







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