「帰ってきたよ。トーキョー。帰ってきたよ、武道館。」
2015(平成27)年4月28日、東京・武道館のステージに、49年ぶりにポール・マッカートニーさんが立ったことが大きな話題になりました。
49年前の1966(昭和41)年に、伝説のバンド「ビートルズ」のメンバーの1人として、武道館のステージに立ったポール・マッカートニーさんが、この武道館に帰ってきたことで、1万人のファンは騒然となりました。
武道館が「音楽の聖地」として、多くの日本のミュージシャンの憧れとなったのは、実は、この1966年の「ビートルズ公演」があったからでした。
<ビートルズ公演で音楽の聖地となった武道館>
ところが、ビートルズの名前は知っていても、リアルタイムでビートルズを知っているのは、1960年代までに青春期を迎えていた人たちだけです。
私も含め多くの人たちは、「ビートルズ」という名前と曲を聞いたことはあっても、ビートルズの詳しい話は知らないと思います。
そこで、今回はビートルズとポール・マッカトニーについて紹介します。
「ザ・ビートルズ(The Beatles)」は、イギリス・リヴァプール出身の男性4人組のバンドで、ギネスブックで、「最も成功したグループ・アーティスト」として認定されています。
「ビートルズ」の名前は、英語の「カブトムシ(甲虫)」と「乱暴者」の2つの意味をもつ造語だと言われています。
メンバーは、ジョン・レノン(愛称ジョン 1940年~1980年)、ポール・マッカートニー(愛称ポール 1942年~)、ジョージ・ハリスン(愛称ジョージ 1943~2001年)、リンゴ・スター(愛称リンゴ 1940年~)の4人です。
1962(昭和37)年10月5日にイギリスで、「ラヴ・ミー・ドゥ」という曲でデビューし、1970(昭和45)年に解散するまでに、ビートルズは世界で10億枚以上の
レコードを売り上げ、数々の伝説が語りつがれています。
1963(昭和38)年5月から翌年にかけて、イギリスのアルバムチャートは、ビートルズが、2枚のアルバムによって、51週間連続1位となりました。
アメリカでは、1964(昭和39)年1月に「抱きしめたい」が初めてチャート1位になり、渡米した1964年4月4日の全米チャートでは、5位までを独占しました。
その後、レコード、ラジオ、テレビ、コンサートなどで世界を席巻し、その音楽は、若者たちに絶大な影響を与えました。
日本でも、1966年に来日して実施した「武道館コンサート」をはじめとして、その楽曲が多くのファンを魅了し、日本のミュージシャンや若者に大きな影響を残しました。
1966年の日本公演のあとに訪れたフィリピンでは、当時の大統領夫人のイメルダ・マルコスの招待を断ったことから、大きな暴動が起きる「フィリピン事件」も起こりました。(イメルダ夫人は、市民革命で後に失脚しました。)
レコードの方は、「抱きしめたい」が世界で1200万枚以上を売り上げたのをはじめ、「ヘイジュード」や「イエスタディ」、「レット・イット・ビー」など、今も語り継がれる名曲の数々があります。
<ビートルズのレコードジャケット>
解散後も、ジョン・レノンやポール・マカットニーを中心に、元ビートルズメンバーの個々の活動が注目され続け、ジョン・レノンの「イマジン」などは、不朽の名作となっています。
ちなみに、ジョン・レノンの奥さんは、日本人のオノ・ヨーコさんです。
解散後、再結成を望む声が絶えませんでしたが、1980(昭和55)年11月8日、ジョン・レノンが、ニュヨークで銃弾に倒れ、ビートルズは2度と再結成されることのない、「伝説のバンド」となりました。
2001(平成13)年には、ジョージ・ハリスンが亡くなり、生存しているメンバーはポール・マッカートニーとリンゴスターの2人になってしまいました。
さて、ポールの話をしましょう、
先日、武道館公演を49年ぶりに成功させたポール・マッカートニーですが、ビートルズ解散後、1975(昭和50)年と1980(昭和55)年の2回、来日を試みますが、2度とも薬物検査で引っかかり、入国できませんでした。
それでも、1990(平成2)年に、1966年の「ビートルズ公演」以来の日本公演を行ってからは、1993(平成5)年、2002(平成14)年、そして2013(平成25)年と、日本公演を精力的に行いました。
昨年、2014(平成26)年の日本公演は体調不良で中止しましたが、今年、2015(平成27)年、73歳で見事にリベンジ公演を成功させ、ついに49年ぶりの武道館公演も開催しました。
このポール・マッカートニーについては、「本物は死亡していて、今のポールは影武者」という都市伝説が、まことしやかに語り継がれています。
古くは、1969(昭和44)年に、アメリカ合衆国イリノイ州立大学の学生新聞「ノーザン・スター」(同年9月23日付)に掲載された記事で、「ポールは1967年1月(1966年11月9日水曜日朝5時 という詳しい説もある)に、自動車事故で死亡した。」というものがあります。
この説は、その後も根強く語られていて、今年、2015年3月にも、「ザ・ビートルズ」の元メンバー、リンゴ・スターさん(74歳)が、ある出版社のインタビューに「本物のポール・マッカートニーは、1966年11月9日に交通事故で死亡した」。と明かしたと、ロシアのラジオ局が報道しました。
さらに、「本物のポールさんが死亡してからは、(ポールの)そっくりさんコンテストで優勝したミュージシャン、ウイリアム・ビリー・キャンベルさんが、今日まで49年間、影武者を務めている」とまで、リンゴ・スターが語ったという報道されました。
ポールさんの死亡説は、これまでも何回もありましたが、本人(?)が強く否定しているので、信憑性はほとんどゼロに近いと言われています。
今回のニュースを伝えたロシアのラジオ局も、相当怪しいという、もっぱらの噂です。
ビートルズが日本のミュージシャンに影響を与えた例として、アリスの谷村新司さんの歌の一節を紹介します。
♪「夢の世代」 (歌・作詞 谷村新司 作曲 佐藤 隆 1983年)
(前略)
ディランを聞いて こぶしを握り うなずいてた日
ビートルズを聞き乍ら 泣いてた
夢の中で泣いたような 不思議な さわやかさを
残して流れ過ぎてゆく 俺たちの時代
FROM THESE DAYS FROM THESE DAYS
今日も風は吹いている
あの頃の俺たちは 遠い目をしていた
あの頃の俺たちは 遠くを見ていた
嵐の夜に レノンは死んだ 愛を残して
それさえも 今はすでに 忘れて
(後略)
<CAVERN CLUB (イギリス・リバプール)>
最後に、「CAVERN CLUB (キャバーン クラブ)」というビートルズが拠点としていた、イギリス・リヴァプールにあった店と同名の日本のライブハウスの話をします。
数年前まで、東京・六本木に「CAVERN CLUB」という名のライブハウスがあって、毎晩、ビートルズのコピーバンドが「ビートルズナンバー」を演奏し、老若男女でにぎわっていました。私も、数回、行ったことがあります。
残念ながら、六本木の「CAVERN CLUB」は無くなったそうですが、大阪北区や札幌、神戸、熊本などに、ビートルズナンバーを聞かせる「CAVERN CLUB」 という店があるそうです。
私は、リアルタイムのビートルズは知りませんが、ビートルズは永遠に不滅だと思います。
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