そんな中、各地で入学式が行われています。
大阪府東大阪市に本部のある近畿大学でも、4月4日に入学式がありました。
この大学は、2014年、2015年と2年連続で受験者数、日本一を誇っています。ちなみに、今年は113,705人が受験しました。
このマンモス大学の入学式が話題になっています。
近畿大学のOBで、音楽プロデューサーのつんく♂さんが入学式に登場し、「音声のない祝辞」を披露したからです。
つんく♂さんは入学式で、「喉頭がんのため声帯を摘出し、一番大切にしてきた声を捨て、生きる道を選びました。」と、テロップで報告しました。
彼の覚悟が感じられたのは、祝辞の「メッセージ」がテロップで流れる間、笑顔で舞台に立っていた場面です。歌えなくなったシンガーが、大勢の後輩たちが見守る舞台に立つというのは本当に勇気のいることだと思います。
今回は、つんく♂さんの言葉や覚悟を紹介し、新年度を歩き出す勇気をもらいたいと思います。
入学式でのつんく♂さんの「沈黙の祝辞」から、もう少し紹介します。
「 ここまでの人生はもしかしたら受け身だった人もいるかもしれません。親が言うから…学校の先生がすすめたから…でも、もうすぐ皆さんは成人します。
もう自分の人生を歩んで行くんです。後悔しても意味がないんです。今から進んでいくんです。自分で決めて進んで行けば、絶対に何かを得、そしてまた次のチャンスへと繋がっていくんだと思います。
私も声を失って歩き始めたばかりの1回生。皆さんと一緒です。こんな私だから出来る事。こんな私にしか出来ない事。そんな事を考えながら生きていこうと思います。」
(つんく♂さんの「平成27年度近畿大学入学式祝辞」より)
声を失ったつんく♂さんの言葉だから、すごく心にしみるメッセージですね。(ちなみに、1回生は関西地区の大学で1年生のことです。)
<写真:近畿大学>
つんく♂さんは、本名は寺田光男(てらだ みつお)で、1968(昭和43)年10月29日に大阪府東大阪市で生まれました。
近畿大学附属高校から近畿大学商経学部を卒業。
信用金庫に内定していたが就職せずに、音楽活動を始めます。
近畿大学在学中の1988(昭和63)年に、近大生5人でバンド「シャ乱Q」を結成し、ボーカルを担当します。
1992(平成4)年にはメジャーデビューを果たします。
「つんく♂」は、子供の頃の呼び名「つんくん」からとったと言われています。
1994(平成6)年に「シングルベッド」がミリオンヒット。翌1995(平成7)年にも「ズルい女」がミリオンヒットし、NHK紅白歌合戦に初出場します。
今までに、紅白出場3回、日本有線大賞グランプリ2回、日本レコード大賞の優秀作品賞と編曲賞を2回ずつ受賞しています。
1997(平成9)年のテレビのオーデション番組「ASAYAN」をきっかけにプロデュース活動を開始し、1998(平成10)年からはモーニング娘。のプロデューサーをしています。
2014(平成26)年3月に、喉頭がんが発見され、同年10月に手術して声帯を摘出しました。
そして、2015(平成27)年4月4日の母校・近畿大学の入学式で、生きることと引き替えに声を失ったことを、カミングアウトしました。
<桜>
つんく♂さんのことは、今まで、正直言って好きじゃなかったのですが、声をなくしたシンガーが堂々と、母校の入学式に出てきて祝辞をテロップで伝える姿には、本当に感動しました。
今度は、つんく♂さんの「オフィシャル ブログ」から紹介します。
「 1月半ばからキックボクシングを始めたりと、新たな人生のスタートに向かって体力作りもしております。
(中略)
これからもこんな私に出来る事。
こんな私にしか出来ない仕事をさせて頂こうと思っておりますので、
皆様どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
入学式でも皆さんに伝えましたが、私も新しい人生の1年生です!
気分一新がんばります!
(中略)
なにはともあれ、近畿大学新入生の皆様おめでとう!
全国の新人、新入生の皆様もおめでとうございます!
お互いファイト!」
最後に、「come back alive(生還)」してほしいとの気持ちを込めて、2002(平成14)年に、つんく♂さんが作詞・作曲したモーニング娘。の大ヒット曲「そうだ We're ALIVE」の一節を紹介します。
「♪ 幸せになりたい あなたを守ってあげたい 本当の気持ちはきっと伝わるはず
GO GO GO GO♪」
みなさんも私も、つんく♂さんを見習い、逆境に負けずに、「お互いファイト!」でがんばって生きていきましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿