2015年8月22日土曜日

甲子園2015夏 ヒーローたちの名言 ~小笠原・清宮・オコエ、そして~

 2015年夏の甲子園は、「東海大相模(神奈川代表)」の45年ぶり2回目の優勝で幕を閉じました。
 今回は、甲子園のヒーローたちの名言を中心に、100年目の夏の大会を振り返ってみたいと思います。

 高校野球100年目の夏は、一言で言えば「東高西低」でした。準々決勝に残ったのは、関東4校、東北2校、九州2校で、ベスト4に残ったのは関東3校、東北1校でした。

 みごと全国制覇した「東海大相模高校」には、MAX150km越えの2人の剛速球投手がいました。
 左のエース小笠原慎之介投手が、「吉田に追いつけ追い越せで切磋琢磨してきました。」と話せば、右のエース吉田凌投手も、「同じチームに小笠原がいることは、自分にとって間違いなくプラスです。」と語りました。

 「二人で日本一」を合言葉にして激戦を勝ち抜き、見事、優勝しました。
 小笠原投手が優勝後のインタビューで言った、「日本一になるために練習をしてきました。苦しい思い出しかありません。」という言葉は、東海大相模の練習の厳しさを象徴しています。

 優勝した「東海大学付属相模高等学校(東海大相模)」は、1963(昭和38)年に神奈川県相模原市に誕生した東海大学の付属高校で、甲子園へは今回を含め夏10回、春9回の出場し、うち春夏2回ずつの全国制覇を果たしました。
 OBには、巨人の原辰徳監督をはじめ、巨人の菅野智之投手や国民栄誉賞を受賞した柔道の山下泰裕選手など、多くの有名人がいます。

<阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)>

 



 次に、今大会の入場者数が、地元関西勢がベストエイトに残れなかったのに、入場者が昨年より9000人多い86万2000人となったことからもわかるように、例年以上に大会を盛り上げた、注目の二人の言葉を紹介します。

 まず、「和製ベイブルース」と言われ、出場試合は満員、臨時列車まで出た早稲田実業(西東京代表)の清宮幸太郎選手が、準決勝で、仙台育英高校の佐藤世那投手に完封されたあとの言葉です。
 「ああいうピッチャーを倒していかないと、全国制覇なんてできないと、今日、痛感しました。もっともっと成長したい。甲子園の土は持って帰りません。(1年生なので)また、ここへ戻ってくるので、いらないです。」

 もう一人、注目されたのが関東一高(東東京代表)のオコエ瑠偉選手です。
 オコエも、準決勝で東海大相模に10-3で敗れ、その後、3年生らしくこう語りました。
 「悔いはないです。一生忘れられない甲子園でした。今後は、プロに行きます。今までの日本にいなかった、すべてトップレベルの選手になりたいと思います。」

 

 ここまで、野球エリート高校の選手の話を紹介しました。
 続いては、昨年の覇者「大阪桐蔭高校」を予選で撃破し甲子園に初出場し、甲子園でも1勝を挙げた、雑草集団「大阪偕成学園高校」を紹介します。

 まず、2回戦でホームランを甲子園スタンドへ叩き込んだ大阪偕成高校の姫野優也選手は、中学卒業後、一度は天理高校(奈良県)に進学しましたが、1年春に高校をやめ、工事現場などで働きながらひと夏遊びつくしました。
 1年の9月に、山本皙監督(47歳)に見いだされ、大阪偕星学園に編入学しました。

 エースの光田悠哉投手も、進路に悩み中3で一時は野球を辞めていましたが、山本監督に声をかけられ、高校で野球を再開し、甲子園への道をつかみました。

 大阪偕成高校の他の選手も、多かれ少なかれ苦労してきた生徒ばかりで、まさに「雑草野球部」です。
 山本監督自身も、前任の高校で逮捕(不起訴)された経験がある苦労人で、本当にどん底からの復活です。

 山本監督は、こう語ります。「スポーツってね、国籍、肌の色、お金持ち、貧乏とか関係ないんですよ。野球がうまい奴が勝つ。貧乏でもお金持ちに勝てるんです。野球をしてるときくらいは、子供たちにそういう夢を見させてあげたい。」

 練習量は、「大阪桐蔭にも負けない」と豪語しますが、野球部の財政は苦しく、練習用のユニホームは上下500円、スパイクは980円で、宿泊は1泊2500円のところに泊まったそうです。

 この雑草集団が、激戦区大阪を勝ち抜き、前年全国制覇の大阪桐蔭高校に勝ち、甲子園に出場できたのは、まさに奇跡だと思います。

 姫野優也選手は、「高校野球は人生で1度しかない。遊んでいたときより今の方が楽しかった」と語り、光田投手も「最初は辞めたいと思ったけど、続けてきてよかった。悔いはありません。」
とインタビューに答えました。

 山本監督も、「自分の子供たちを甲子園のグラウンドに立たせられて感無量です。」と涙ながらに語りました。
 こういうドラマがあるから、甲子園には「夢と魅力」があるのだと思います。

 ちなみに、大阪偕成高校(旧 此花商業高校)は、1929年に創立された歴史ある学校で、
出身者には、俳優の鶴田浩二さんや、吉本新喜劇のお笑い芸人・坂田利夫さん、タレントの彦摩呂さんなど、多彩なメンバーがいます。

<阪神甲子園球場 外観>




 最後は、高校野球らしい「さわやか」な話を二つ。

 一つ目は、決勝戦で一度は追いつきながら「東海大相模」に10対6で敗れ、惜しくも東北勢初の全国制覇を逃した「仙台育英高校(宮城県代表)」のキャプテン佐々木柊野選手の言葉です。

 「僕はこれで野球をやめます。母子家庭で私学に行かせてもらって、母には苦労をかけました。卒業したら消防士になります。
 野球で、ひとりではなにもできないと学びました。周りの人と協力して、人のためになる仕事がしたいと思います。」

 甲子園の出場選手には、ドラフト候補や大学や社会人で野球を続ける者が多い中、準優勝チームのキャプテンのこの言葉は、本来の高校野球スピリットを思い出させてくれる「さわやかな名言」だと思います。

  もう一つは、準々決勝で敗退した秋田商業高校(秋田県代表)の選手たちが、宿泊したホテルの連絡用掲示板に残した「寄せ書き」の話です。
  仙台育英高校に敗れ、帰ることになった翌日の朝、ホワイトボードにタイトル「ホテルの皆様」、テーマ「感謝」という、秋田商業の選手たちの寄せ書きが残されていました。

 「おいしすぎるごはん、ベットメイク、ありがとうございました。」 「来年もまた戻ってきます。」など、選手たちの暖かい感謝のメッセージが、ホワイトボードいっぱいに書かれていました。
 秋田商業ナインは、ホテルの従業員たちに、さわやかな風を残して、東北へ帰って行きました。

<秋田商業ナインが残した「感謝」の寄せ書き>

 


  甲子園の勝者や敗者はもちろん、出場できなかった全国の高校の選手たちも、甲子園の「夢と思い出」を胸に刻んで、新たな人生への1歩を、踏み出してくれることを祈りたいと思います。


<一句>

・ 甲子園 勝ち負け越えて 人生へ 

 
 

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