2015年8月11日火曜日

「日本三大阿波おどり」とバナナのたたき売りから成功した男


踊る阿呆に見る阿呆 
同じ阿呆なら 踊らにゃ損々
ハア エラヤッチャ エラヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ ♪


 この歌「よしこの」で知られる「阿波踊り」は、日本三大盆踊りの一つで、四国・徳島で生まれ、東京・関東地方を中心に、全国で踊られています。 

 発祥の地「徳島の阿波おどり」は、毎年8月12日~15日の4日間、徳島市を中心に行われます。
 4日間の人出は130万人以上、踊り手は延べ10万人、「連(れん)」と呼ばれる踊りのグループ数は1000連とも言われています。

 前回、紹介した「よさこい踊り」と大きく違うのは、早いリズムで激しく踊る「よさこい」が若者中心であるのに対して、伝統芸能「阿波おどり」は、子供から年寄りまで、老若男女を問わず参加している点です。
 平成20(2008)年に亡くなった「よしこの」の歌と三味線の名手「お鯉さん」(本名:多田小餘綾=ただ・こゆるぎ 1907年~2008年 徳島県出身) は、100歳を超えていました。

 「高知のよさこい踊り」は、今年で62回目と紹介しましたが、「阿波おどり」の歴史は400年以上、江戸時代初期かそれ以前と言われており、回数をカウントすることはしていませんし、できません。

 起源には、「盆踊り起源説」 「(蜂須賀家の徳島城の)築城起源説」などがありますが、定説はありません。
 「阿波(あわ)おどり」の名前は、日本画家・林鼓浪(はやし・こどう 1887年~1965年、徳島市出身)が提案したものとされています。

 阿波おどりの連は、大きく分けて「男踊り」・「女踊り」・「鳴り物(三味線・鐘・太鼓など)」に分かれ、浴衣を着て踊ります。
 有名連と呼ばれる名人級の「連」がある一方で、「企業連」、「学生連」、「にわか連(客も参加できる)」など、誰でも参加できるのも阿波おどりです。「手を上げて、足を運べば阿波おどり」と言われています。

<写真 阿波おどり2015ポスター 徳島県>



 「よさこいおどり」が、札幌・名古屋など全国展開しているのに対して、「阿波おどり」は本場の四国・徳島を除くと、東京・関東を中心に広まっているのが特徴です。

 東京で「阿波おどり」と言えば、「東京高円寺(こうえんじ)阿波おどり」が有名です。
 1957(昭和32)年に第1回が開催され、地元の商店街と木場(きば)の徳島県出身者などが中心となって、次第に盛んになっていきました。

 現在は、毎年8月の最終の土日に行われ、150連、1万人が踊りに参加し、観客は120万人にも達し、「浅草サンバカーニバル」と並ぶ、東京の代表的な夏祭りになっています。


 「徳島」と「高円寺」と並んで、「日本三大阿波おどり」の一つに数えられるのが、埼玉県越谷市の「南越谷(みなみこしがや)阿波踊り」です。(「阿波おどり」ではなく「阿波踊り」です)

 1985(昭和60)年に、徳島出身の中内俊三社長が率いる住宅会社が中心となって始められた踊りが、次第に地域に浸透し、現在は8月の第4土曜と日曜に、南越谷の街全体で開催されています。
 2014年の人出は70万人に達し、連の数も延べ100連を超えています。

 この他にも、神奈川県大和市や東京都内の初台、神楽坂、三鷹、大塚などなど、30年以上の歴史を誇る「阿波おどり」が首都圏に目白押しです。

 「阿波おどり」のもう一つの特徴が、二拍子の軽快なリズムで、外国人も参加しやすく人気があります。

 徳島市の「あわおどり会館」で行っている「毎日踊る阿波おどり」には、ツアー客を含む多くの外国人観光客が訪れています。
 また、東京・新宿にオープンした「新宿阿波おどり」という店は、「阿波尾鶏(あわおどり=地鶏)」などの徳島料理や酒を楽しめ、店内で行われる「阿波おどり」にも参加でき、連日、外国人で満員です。

 さらに、来年、2016年5月には、フランスの首都パリで、徳島や高円寺の踊り子、数百人が公演をする計画が進んでいます。本当は、今年の予定でしたが「テロ問題」で1年延期されました。
 「Awa Odori Paris 2016」と題し、パリ市庁舎やノートルダム大聖堂がある「パリ4区」を舞台に、阿波おどりが「花の都」で、乱舞する予定です。
 まさに「世界へ進撃の阿波おどり」ですね。

<東京高円寺阿波おどり 2015年ポスター>



 ここで、阿波おどりの囃子歌である「よしこの」の歌詞を紹介します。


「よしこの」

♪ 
ハア エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
阿波の殿様 蜂須賀(はちすか)公が
今に残せし 阿波踊り

ハア エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
笹山通れば 笹ばかり
猪 豆喰て ホウイ ホイ ホイ
  

笛や太鼓の よしこのばやし
踊りつきせぬ 阿波の夜


ハア エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら
踊らにゃ損々
 

ハア エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ ♪ 



また最近では、こんな歌もよく歌われます。

「1かけ2かけ3かけて、しかけた踊りはやめられない。
 5かけ6かけ7かけて、やっぱり踊りはやめられない。」


 最後に、「南越谷阿波踊り」を創設した、中央住宅(現 ポラスグループ)の創業者・中内俊三さんの「バナナのたたき売り」からの立志伝を紹介します。

 中内俊三さんは、1938(昭和13)年徳島県板野郡の豪農の家に生まれました。
 地元の高校をトップで卒業し、農業を継ぎ、結婚もします。

 しかし、1964(昭和39)年、26歳の時に突然、身重の妻を残して上京します。
 「大都会で己の力量を試してみたかった。」一心だったそうです。

 東京はオリンピックの都市でした。
 「バナナのたたき売り」から始めて、苦労して住宅会社を起こし、ついには年商1000億円の「ポラスグループ」を築き上げ、埼玉県内トップの建設会社を作り上げます。

 その中内俊三さんが、「本社のある越谷への恩返し」として、1985(昭和60)年に南越谷の本社近くで始めたのが、「ふるさと・徳島」の阿波踊りでした。

<南越谷阿波踊り 2015年ポスター>



 中内俊三さんは、2005(平成17)年に67歳で亡くなりましたが、徳島と埼玉への感謝の気持ちを込めて始めた「南越谷阿波踊り」は年々盛んになり、徳島からも多くの連が参加しています。
 今年も、「踊る阿呆に 見る阿呆 どうせ阿呆なら 踊らにゃ そんそん」という「よしこの」のリズムにのせて、賑やかに開催されることでしょう。


<一句>

 阿波おどり 越谷・パリも 燃えている

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