「夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空」
この一節で始まる美しいメロディーの「夏の思い出」は、文字通り「夏になると思い出す」名曲です。今回は、この曲をテーマにしたいと思います。
まず、1番の歌詞を書きます。
♪「夏の思い出」(江間章子作詞、中田喜直作曲)♪
<1番>
夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径(こみち)
水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空
<写真:尾瀬>
私がこの歌を聞いて思い出すのは、中学の音楽の授業です。
「いじめ」や「けんか」が日常茶飯事だった、荒れた当時の中学校では、教室棟の端にあった音楽室での中年女性教師の「音楽」の授業は、絶好の「さぼりのターゲット」でした。
クラスの男子生徒の半分近くは、音楽室を抜け出して遊んでいました。
私はというと教室にはいましたが、ノートに落書きをしたり、瞑想に耽ったりしていました。
そんな中で、先生の弾くピアノから聞こえてきた「夏の思い出」は、歌詞とメロディーがすばらしかったので、すごく気に入って珍しく一生懸命に歌い覚えました。
ある日の音楽の授業で、先生がおっしゃいました。
「これから歌の試験をします。1人ずつ、自分の好きな歌を歌ってください。」
「えー。なんだよ。ふざけるなよ。」という声が上がりましたが、先生は気にせず試験を始めました。
やがて、私の番になりました。
私は、「夏の思い出」を選び歌いました。
(どうせ、音痴の音楽だ。自分の好きな歌を好きなように歌おう。)
そう開き直ってリラックスして歌った「夏の思い出」は、自分でも不思議なほど、うまく歌えたような気がしました。
後日、渡された成績表を見て、私はびっくりしました。
「音楽」の成績が、10段階評価で最高の「10」だったのです。
それは、まさに「夢見て咲いている」ようでした。
音痴家系の母親に見せると、ひっくり返るほど驚いて言いました。
「うちの子の音楽が、10のはずはないわ。何かの間違いよ。」(笑)
それから「夏の思い出」は、私の好きな曲の1つになりました。
「夏の思い出」は、1949(昭和24)年6月13日に、NHKラジオの番組『ラジオ歌謡』で、発表されました。
「ラジオ歌謡」は、敗戦で憔悴していた国民を元気づけるために、「夢と希望のある親しみやすい曲」を、ラジオで紹介する企画でした。
石井好子さんの歌で、初めてラジオ放送された「夏の思い出」は、瞬く間に多くの日本人の心を捕えました。曲中に現れる「尾瀬」の人気も、飛躍的に高まりました。
1962(昭和37)年8月~9月には、NHK『みんなのうた』でも紹介されました。
さらに、「音楽の教科書」にも掲載されることが多くなり、幅広い世代に親しまれています。
作詞の江間章子(えま・しょうこ 1913年~2005年)さんは、新潟県上越市出身の作詞家・詩人で、「おかあさん」や「花の街」なども作詞しています。
「夏の思い出」の詞は、小さい頃母の実家があった「岩手県岩手山麓」で見て親しみがあった「ミズバショウ」の花と、1944(昭和19)年に訪れた尾瀬の美しい風景の中で見た「ミズバショウ」が重なって感動したのを元に作られたそうです。
一方、作曲者の中田喜直(なかだ・よしなお 1923年~2000年)さんは、東京都渋谷区の出身で、日本童謡協会会長やフェリス女学院大学教授を歴任し、「雪の降るまちを」や「めだかの学校」、「ちいさい秋みつけた」など、たくさんの名曲を作曲しています。
「夏の思い出」が出来た当時、中田さんと江間さんは面識がなく、中田さんは尾瀬にも行ったことがなかったそうです。
ちなみに、中田さんが初めて尾瀬を訪れたのは、作曲から40年以上経った1990(平成2)年でした。
中田喜直さんが最初に書いた「夏の思い出」の曲は、中田さんのお母さんに「ちょっと、これは少々お粗末ではないですか。こんなものをNHKさんにお持ちすることはなりません。すぐ作り直しなさい。書き直しなさい」と言われて、楽譜を破り書き直しました。
そのあとで出来たのが、今の曲です。
そんなことがあったので、中田喜直さんは「夏の思い出」の印税を、ずっとお母さんに渡していました。
江間さんと中田さんは、「夏の思い出」を作る時に初めて会ったと紹介しましたが、実は、この二人には、不思議な縁があります。
江間章子さんのお父さんの家系は会津藩士でしたが、実は、中田喜直さんのお祖父さんも、会津藩士だったのです。
会津藩士を先祖にもつ初対面の二人が、福島県(南会津郡檜枝岐村)・新潟県(魚沼市)・群馬県(利根郡片品村)の3県にまたがる「尾瀬」を題材にした名曲を作りました。
不思議な縁を感じませんか。
「夏の思い出」の曲が、美しくも哀愁ただようメロディであるのは、「会津」の悲しい歴史のせいかも知れませんね。
ここで、「夏の思い出」の2番を紹介します。
<2番>
夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空
<写真 ミズバショウ>
最後に、中田さんと戦争のエピソードを紹介します。
終戦の直前、1945(昭和20)年に、佐賀県・鳥栖小学校を2人の特攻隊員が訪ねてきました。
2人は、学校のピアノを借りると、ベートーヴェンの「月光のソナタ」を、それはそれは上手に悲哀を込めて弾きました。
実は、この時の特攻隊員の一人が中田喜直さんだったのです。
中田喜直さんは、1940(昭和15)年、東京音楽学校(現・東京芸術大学)ピアノ科に入学し、戦時(太平洋戦争)のために、繰り上げ卒業しました。
その後、見習士官となって「宇都宮陸軍飛行学校」に入校し、帝国陸軍航空部隊のパイロットになりました。
陸軍少尉に任官し、フィリピンやインドネシアの戦線に赴き、その後、本土で特攻隊要員として終戦を迎えました。
あの戦争がもう少し長引いていたら、中田さんは特攻で戦死してしまい、「夏の思い出」も「めだかの学校」も「雪の降るまちを」も、生まれなかったかも知れませんね。
そう考えると、平和の尊さと戦争の怖さを、再認識させられます。
<一句>
・夏くれば 平和の祈り 思い出す
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