2015年7月26日日曜日

打上花火と線香花火 ~空に国境はない・花火は魂~

♪どんとなった花火だ きれいだな
 空いっぱいに 広がった
 しだれ花火が ひろがった♪

 これは童謡「花火」(作詞:井上赳 作曲:下総皖一)の1番です。
 いろんな花火の歌がありますが、幼い頃に歌ったこの曲が原点で、打上花火を見るとこのメロディーが思い出されます。

 7月25日には、東京では「隅田川花火大会」、大阪では「天神祭奉納花火」があり、いよいよ花火シーズン本番ですね。
 今回は、夏の風物詩「花火」をテーマにしたいと思います。

 花火には、大きく分けて2種類あります。「打上花火(法令上の用語は煙火)」と、「おもちゃ花火(同:玩具花火)に分けられます。

 打上花火は、火薬を球状に成形した「星」と呼ばれるものを詰めた、紙製の球体「玉」を打ち上げる花火で、取扱いや打ち上げには許可が必要です。

 打上花火には、「割物(球状に飛散)」、「ポカ物(ランダムな方向に飛ぶ)」、「型物(ハート型等)」などの分類がありますが、花火大会の主役は、球状に広がる「割物」です。

 様々な大きさ・色に変わる花火は、多くの人出を集める夏の大イベントになっています。
 では、花火大会の「人出ベスト10大会」を紹介します。

・1位「江戸川花火大会」(東京都) 8月1日 前年人出139万人
・2位「天神祭奉納花火」(大阪府) 7月25日 前年人出130万人
・3位「関門海峡花火大会」(山口県) 8月13日 前年人出120万人
・4位「おたる潮まつり・道新納涼花火大会」(北海道) 7月24日、26日 前年人出108万人
・5位「長岡まつり 大花火大会」(新潟県) 8月2日、3日 前年人出103万人

・6位「神宮外苑花火大会」(東京都) 8月11日 前年人出100万人
・7位「隅田川花火大会」(東京都) 7月25日 前年人出95万人
・8位「高崎まつり大花火大会」(群馬県) 8月1日 前年人出77万人
・8位「わっしょい百万夏まつり 花火」(福岡県) 8月2日 前年人出77万人
・10位「全国花火競技大会 大曲の花火」(秋田県) 8月22日 前年人出72万人

 ちなみに、5位の「長岡まつり 大花火」、10位の「大曲の花火」、そして11位にあたる70万人の人出の「土浦全国花火競技大会(茨城県、10月3日)」が、「平成の日本三大花火大会」と言われています。

 上位10大会は、いずれも夏休み(7月下旬から8月)に開催されます。やっぱり、「花火=夏休みのイベント」というイメージで、日本には根付いていますね。

  花火1発の値段は、開花したときの直径が100mとなる3号玉で4000円、5号玉で1万円、7号玉で3万円程度だそうです。
 しかし、10号玉(1尺玉)では10万円で、開花すると450mにもなる2尺玉は60万円と一気に値段が跳ね上がります。
 世界一大きいと言われている4尺玉は、直径800mで1発260万円です。この4尺玉は、日本の新潟県で打ち上げられているそうです。

 そう言えば、先日、芥川賞をとった又吉直樹さんの「火花」の中にも、主人公と先輩の出会いのシーンとして、「熱海の花火大会」が選ばれています。
 
 ただ、夜とは言っても暑い毎日が続きますので、花火見物に行かれる方は、水分補給を忘れないでください。

<写真:江戸川花火大会>



 
花火の歴史をひもとくと、世界最初の花火は6世紀、中国で火薬が使われるようになるのとほぼ同時期に作られはじめたと言われています。
 
 日本では、室町時代中期の公家・万里小路時房の日記『建内記(建聖院内府記)』の1447年5月5日(文安4年3月21日)の記載に、「浄華院における法事の後に境内にて、唐人(中国人)が風流事(花火)を行った。」という記事があり、これが最初と考えられています。

 戦国時代には、1582年4月14日(天正10年3月22日)にポルトガル人の「イエズス会宣教師」が現在の大分県臼杵市にあった聖堂で花火を使用したという記録があります。
 また、1581年に織田信長が安土城で、1589年には伊達政宗が米沢城で、花火を見たという説があります。

 江戸時代になると、1613(慶長18)年に、徳川家康が駿府城内で、外国人の行った花火を見物したという記事あり、その後は各地で花火が盛んに行われました。
 1648年には、江戸幕府が「隅田川以外の花火禁止令」を出しています。

 江戸の花火と言えば、「たまやー」「かぎやー」の両国川開きの掛け声が有名ですが、こんな悲しい話があります。

 「鍵屋」が、1659年創業から現在まで15代続いている花火師なのに対し、「玉屋」は鍵屋で番頭を務めていた腕のよい職人・清七が独立し、のれん分けしてもらった分家で、一時は鍵屋を上回る人気を誇りました。
 「玉やだと  又またぬかすわと  鍵や云ひ」という川柳も残っています。

 しかし、1843(天保14)年に出してしまった火事が原因で、玉屋は「江戸お構い(追放)」になり、一代限りで終わってしまいました。「たまやー」の掛け声だけが残ることになりました。


<天神祭奉納花火(大阪)>



 時代は流れて、20世紀末、1987(昭和62)年のドイツでのエピソードを紹介します。

 この頃、ドイツは東西に分断されていて、ベルリンには東西に分断する「ベルリンの壁」がありました。
 この年、西ベルリンで7000発の花火が上がりました。花火を上げたのは、日本の花火師・佐藤勲さんでした。
 佐藤さんは、マスコミのインタビューに答えてこう話しました。
「ベルリンは地上に壁がありますが、空には国境はありません。日本の花火は、東西どちらから見ても同じに見えます。」

 翌日、ベルリンの新聞は1面で、「空に国境はない」と報じました。
 その2年後の1989(平成元)年、ベルリンの壁は崩壊し、地上にも国境がなくなりました。

<写真:線香花火>

 



 ここまで、「打上花火」の話をしてきましたが、最後は「おもちゃ花火(玩具花火)」のエピソードを紹介します。

 「おもちゃ花火」は、子供でもできるので、夏の夜の遊びにはピッタリです。
 その代表格が「線香花火」で、こよりや細い竹ひごの先端に火薬を付けた花火です。

 太平洋戦争が終わってすぐの頃の、「裸の大将放浪記」で有名な放浪の画家・山下清さん(1922年~1971年 東京都台東区出身)のお話です。
 山下清さんの花火好きは有名で、熱海や長岡の花火大会を題材にした作品を残していますが、実は線香花火も大好きでした。

 子供たちが、線香花火をしているのを見て、山下清さんは目を細めてこう言ったそうです。
「きれいだな。これは魂なんだな。」

 か細い火花ながら長時間楽しめる「線香花火」は、確かに魂という言葉がぴったりですね。

♪どんとなった何百 赤い星
 いちどに かわって 青い星
 もいちど かわって 金の星♪
(童謡「花火」 2番)

 今夜は、久しぶりに線香花火でも、やりたいですね。


<一句>
 空に解け 魂しみる 花火花

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