2016年9月23日金曜日

リオのヒロイン(6)片腕のスプリンター・辻沙絵選手とパラリンピック

ここまで5回に渡ってリオデジャネイロ・オリンピックのヒーロー、ヒロインの皆さんを紹介してきましたが、6回目は「オリンピック」ではなく、「リオ・パラリンピック」のヒロイン・辻沙絵(つじ・さえ)さんを紹介します。 2016(平成28)年のパラリンピックは、リオ・オリンピックが終わった9月7日から18日まで、ブラジル・リオデジャネイロのオリンピックと同じ会場で開催されました。
 参加国は160ヶ国以上、22競技、528種目に4300人以上が参加しました。

 日本勢は金メダルこそ取れませんでしたが、銀10個、銅14個の24個のメダルを取りました。
 そんなメダリストの1人に、日本体育大学の学生、21歳の辻沙絵選手がいます。

 辻選手は、生まれつき右手のひじから先がありませんが、日本代表のスプリンターとして、リオ・パラリンピックに初出場し、陸上女子400m(T45/T46/T47クラス、辻さんはT47=片前腕切断または片前腕最小の障害基準に該当)で銅メダルを獲得し、100m(同)で7位、200m(同)でも7位に入賞しました。


<辻沙絵さんのパラリンピック出場を応援するポスター>




 辻沙絵(つじ・さえ)さんは、1994(平成6)年10月28日、北海道の函館市に近い人口3万人足らずの町、七尾町で生まれました。 
 彼女は小さい頃は自分の手が人と違うのに気づかず、弟が生まれた時に両手があるのを見て、初めて自分の右手のひじから先がないことに気づいたそうです。
 でも、挫けずことなく、明るく積極的な子供で、「できないことを減らしていこう」と思いがんばりました。

 函館市立鍛神小学校5年生の時からハンドボールを始めた辻さんは、両手を使うハンドボール競技でも必死の努力で、健常者と対等以上の活躍をします。

 ボールを胸で止めたり、左手一本でとってシュートしたり、じん帯断絶などの痛い思いをしながらもハンドボールの名選手になりました。

 そして、ハンドボールの強豪校、茨城県立水海道第二高校に進学した辻選手は、インターハイ(高校総体)で、健常者に混じって全国のベストエイトに進出し、国体の選手にも選ばれました。
 さらにスポーツ推薦で、日本体育大学に進学します。
 すばらしい頑張り屋ですね。

 大学でも、関東リーグ1部で活躍していた辻選手でしたが、突然、大学のハンドボール部の監督に「パラリンピックの陸上」への転向を勧められます。
 辻選手の瞬発力が高いからという理由だそうですが、本当は日体大の「70人をオリンピック・パラリンピックへ」という目標の達成のためということも、あったのかもしれません。

 「ハンドボールで健常者と対等に渡り合えている私は、パラリンピックとは無縁」と、最初は躊躇(ちゅうちょ)した辻沙絵選手ですが、いざ障害者の陸上大会に出場すると、あっというまに才能を発揮します。

 陸上を始めてわずか1年で、100m12秒86、200m27秒08、400m59秒72というすばらしい日本記録を打ち立てて、見事リオデジャネイロ・パラリンピックの日本代表になりました。
以降は、「実力と美貌をもち会わせたアスリート」として脚光を浴びています。

 辻沙絵選手は、右手の先がないので地上につくのは左手と両足の3点だけのスタートになります。
 スタートで地面をつく力も減りますし、スタート直後はどうしても左に体が傾いてしまいます。
 こんなハンディの中で、100m12秒台で走る女子がいること自体が、すごいことだと思います。

 初出場のパラリンピックの陸上女子400mで、みごと銅メダルをとった辻選手は、インタービューに答えてこう言っています。
「大好きだったハンドボールを辞め、いろいろなものを犠牲にしてきました。
 それがメダルという形になって良かったと思います。
 でも、100%満足はしていません。」

<パラリンピックのマーク>


ここからは、「パラリンピック」について紹介します。

 パラリンピックの語源については、諸説あって通説はありません。
 有力な説としては、2つあります。

 第1は、「もう一つのオリンピック」(「もう一つの(Parallel)」+オリンピック(Olympic)」)という説です。
 第2の説は、「パラブレジア(Paraplegia、脊髄損傷等による下半身麻痺者)+オリンピック(Olympic)」という説です。
 2つとも造語ですが、誰が作ったかははっきりしません。「日本人命名説」もあります。

 現在の「パラリンピック大会」の起源とされているのは、1948(昭和23)年7月28日、ロンドンオリンピック開会式の日に、イギリスのストーン・マンデビル病院で、「第二次世界大戦」で負傷した兵士たちのリハバリのために行われた「障害者の競技大会」です。
 「手術よりスポーツを」というスローガンのもとで始められたと伝えられています。

 最初は1病院の入院患者の大会だったのが次第に国際大会になって広がり、ついには1960(昭和35)年のローマオリンピックの時に「第1回パラリンピック(当時の名前は、第9回ストーン・マンデビル大会)」がローマで開催されました。

 1988(昭和63)年のソウル・オリンピック後に開催された大会から、正式に「パラリンピック」と呼ばれるようになりました。
 また、1992(平成4)年に行われたフランスのアルベールビル冬季オリンピックからは、冬季パラリンピックも開かれるようになりました。

 さらに、2000(平成12)年のオーストラリアのシドニーで行われたオリンピックからは、パラリンピックの開催がオリンピック開催地の義務になりました。

 1960年のローマ大会では、わずか23ヶ国400人の参加でしたが、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは、178ヶ国、4350人もの人たちが参加しています。


 パラリンピックは、NHKなどではオリンピックの閉会後、オリンピックと同じテーマ曲・画像で報道され、障害者の人たちの「生き甲斐」「目的」ともなっていて、すばらしいと思います。

 しかし、あえて言わせてもらえば、「パラリンピック」にはいくつか問題もあります。

 1つは費用面で、参加や練習には多額の費用が必要で、日本では1人平均で年130万円とも言われています。
 スポンサーのついている一部の選手以外は、お金がなければ参加できない「高嶺の花」となっています。中には、参加費用を捻出するために、ヌード写真集を出した女子選手もいます。

 もう1つは、クラス分けの複雑さとメダルの価値の問題です。
 たとえば、リオ・パラリンピックの男子100mには16のクラス(16個の金メダル)があり、辻沙絵選手が出場した女子100mには14のクラス(14個の金メダル)があります。

 いろいろなハンディをもった選手に「メダルのチャンスを」という配慮はよくわかりますが、一方でオリンピックに準じる大会として「パラリンピック」を位置づけるなら、「世界一」のメダルの数は増やしすぎてはいけないのでは、とも思います。

 理想は、「障害者も対等に健常者と競い合えるオリンピック」ではないのかなとも思います。

 辻沙絵さんは、今後の夢を聞かれて、こう答えています。
「卓球の選手で、パラとオリンピックの両方に出ている人がいます。(福原愛・伊藤美誠選手と卓球ダブルスで対戦したポーランドのナタリア・パルティカ選手は片方の手のひじから先がありません。)
 私も、どっちの世界でも通用する選手になりたいです。」

 辻沙絵さんの、ポジティブさはすごいですね。応援したいと思います。
 東京オリンピックと東京パラリンピックの両方に、辻沙絵さんが出たらすばらしいことだと思いませんか。

<片手でハンドボールをする辻沙絵さん>



最後に、NHKのリオ・オリンピックとリオ・パラリンピックの共通のテーマ曲になった、安室奈美恵さんが歌う「HERO」の一部を紹介します。


♪「Hero」♪

歌:安室奈美恵 
作詞・作曲:Ryosuke Imai・SUNNY BOY


I’ll be your hero
I’ll be your hero

いろんな色で染まる 世界で
一人で 
振り向かなくてもいい
今までの君のまま進めばいいから

あきらめないで everyday
君だけのための hero
どんな日もそばにいるよ

Oh Oh… I’ll be your hero
君だけのための hero

強くなれる訳は 大切な人が
常に笑顔で支えてくれた
だから乗り越えられる
険しい道のりも

君と交わした 約束の場所
たどりついてみせる
いつか必ず forevermore ♪
 


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