「オリンピックでは、銅メダルと4位以下では、その後の人生に大きな違いがあります。」 これは、1992年のスペインのバルセロナオリンピックで2つの銅メダル(個人・デュエット)を獲得したシンクロナイズドスイミングの奥野史子(おくの・ふみこ)さんの言葉です。
確かに、オリンピックのあと、報奨金をもらったりテレビに出演しているのは、ほぼメダリストだけです。そして、このあとも「リオのメダリスト」として、一生、履歴に残り、スポンサーもつきます。
奥野史子さんは、夫の朝原宣治さんも北京オリンピックの銅メダリスト(陸上男子・4×100mmリレー)ですので、メダルの恩恵を身に染みてわかっているのだと思います。
対して、入賞者はどうでしょうか?
今回は、人生を賭けたオリンピック選手たちの戦いのうち、メダルを獲った選手と獲れなかった選手とを紹介します。
まずは、リオデジャイロ・オリンピックのカヌー競技で、日本人初、いやアジア初のメダル(銅メダル・スラローム)を獲得した羽根田卓也(はねだ・たくや)選手です。
羽根田選手は、1987(昭和62)年7月17日、愛知県豊田市出身の29歳です。
9歳の時に、元カヌー選手だったお父さんの影響でカヌーを始め、地元の朝日丘中学校から杜若(とじゃく)高校に進学しました。
高校時代の羽根田選手は、「上手くなりたい、強くなりたい」との一心で全力少年になりました。
朝6時前に家を出ると、近くの矢作川の支流・巴川にある「岡崎カヌー練習場」で朝練をしました。
それが終わると、10km以上離れた杜若高校までスクールバスで登校しました。バス停のない練習場へ羽根田選手のためにスクールバスが迎えにきてくれました。
昼休みには校庭で懸垂をし、夕方、もう一度スクールバスで「岡崎カヌー練習場」へ行き、暗くなるまで練習をつづけました。
羽根田選手は、最初は直線の速さを競う「スプリント」をやっていましたが、激流でゲートをくぐる「スラローム」に変更し、高校3年で日本選手権を制しました。
羽根田卓也選手が「世界」を目指すようになったのは、中学3年の時、ポーランドで世界的なレベルを知った時でした。
「日本にいたのでは世界と戦えない」と悟った羽根田選手は、2006年、高校を卒業すると、カヌーの強豪国であるスロバキア(中央ヨーロッパ)に渡り、2009年に「コメンスキー大学の体育スポーツ学部」に進学し、世界を転戦するようになります。(現在はコメンスキー大学の大学院に在籍)
2008年の北京オリンピックでは予選落ちしましたが、2012年のロンドンオリンピックでは7位に入賞し、日本でスポンサーを探します。
しかし、日本から1人のメダリストも出していないマイナースポーツである「カヌー」に、資金援助してくれるスポンサーはなかなか見つかりませんでした。
資金を集めるのには、やっぱり「メダル」が必要なんですね。
フェンシングの大田選手でさえ、北京オリンピックでメダルを獲るまでは無職で、「ニート剣士」と呼ばれていました。
羽根田選手は、唯一、面接をしてくれた「ミキハウス」にスポンサーになってもらうことができ、スロバキアに渡って10年後の2016年リオデジャネイロ・オリンピックで、ついに日本初、いやアジア初のメダルをカヌー競技で獲りました。
彼のメダルを一番に喜んでくれたのが、世界でともに戦ってきた外国の選手たちだったことが、羽根田卓也選手の苦労を象徴していますね。
<カヌー・スラローム>
羽根田卓也選手と同じリオデジャネイロ・オリンピックに出場した選手に、レスリング男子グレコローマンスタイル66キロ級の井上智裕(いのうえ・ともひろ)選手がいます。
彼は、兵庫県神戸市の出身で、1987(昭和62)年7月17日に生まれました。お気づきになりましたか?
そうなんです、羽根田選手と井上選手は生年月日がまったく同じなんです。
井上智裕選手は、兵庫県の育英(いくえい)高校から日本体育大学に進学し、卒業後、母校・育英高校の教員になりました。
井上選手は、高校の時からレスリング・グレコローマンの選手として活躍し、2012年のロンドンオリンピック出場を目指しますが、国内選考会の全日本選手権で敗れ引退します。
ちなみに、オリンピックのレスリング競技には、「フリースタイル(男子・女子)」と「グレコローマン(男子のみ)」があり、井上選手が選んだグレコローマンは「腰から上だけを攻撃する競技」で、「ギリシャとローマ」という言葉の意味が表すとおり、古代ローマなどが発祥と言われています。
引退して抜け殻にようになった井上智裕さんに、奥さんの裕美さんは「もう1度、レスリングをやってみたら。」と背中を押します。
井上さんは、2013年3月に育英高校を退職し、裕美さんと7歳の長男を連れて横浜に引っ越し、母校の日本体育大学で練習を始めます。
貯蓄を取り崩し、アルバイトでピザの配達をしながら練習します。
そんな井上選手の記事を見た「三恵海運(神戸市)」が、スポンサーに名乗り出てくれてやっと練習に専念できるようになります。
2014年、2015年の全日本選手権を連覇したあと2016年のアジア選手権にも優勝し、ついにリオデジャネイロ・オリンピックの切符を手にします。
しかし、人生を賭けたリオ・オリンピックの2回戦でセルビアの選手に敗れてしまい、敗者復活戦の3位決定戦でもジョージアの選手に負けて、5位入賞で終わってしまいました。
オリンピック終了後、銅メダリストの羽根田卓也選手は「ハネタク」というニックネームをもらって、多数のテレビに出演し、報奨金ももらいました。
一方で、5位入賞の井上智裕選手はテレビにも出ないし、新聞記事も見たことがありません。
2014年には長女が生まれ、4人家族になった井上選手は試合後のインタービューで、「メダルをとって恩返しをしたかったけど、ありがとうとみなさんにお礼を言いたいです。」と話しています。
<レスリング・グレコローマン>
オリンピックは、多くのアスリートの人生を賭けた「夢」だと思います。
オリンピックに出られるのも一握りの選手だし、その中で「メダリスト」になるのは奇跡的なことです。
「努力して夢をつかむ」選手と「努力してもメダリストになれない」選手が出るのは、仕方のないことです。
シビアで残酷ですが、でも、だからこそ、世界中の選手たちが4年に1度の「オリンピック・ドリーム」を目指して、人生を賭けた戦いをするのだと思います。
すでに、次の「2020年東京オリンピック大会」への戦いは始まっています。
選手たちはもちろん、わたしたちも2020年に「それぞれの夢のゴール」を定めて、人生のメダルに向かってがんばってみませんか。
状況は最悪で夢は遠くても、お互い奇跡を信じてがんばっていきましょう!
「見せてやれ底力」
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