2016年9月11日日曜日

リオのヒロイン(4)レスリング4連覇・伊調薫選手 ~吉田の影から表舞台へ~

「リオデジャネイロ・オリンピックのヒーロー・ヒロイン」、4回目は、オリンピックの同一種目で女子初の4大会連続「金メダル」を獲った、レスリング63kg級の伊調馨選手を紹介します。
 伊調馨(いちょうかおり)選手は、1984(昭和59)年6月13日に、青森県八戸市生まれた32歳です。

 伊調馨さんは、姉・伊調千春さんと兄・伊調寿行さん(2人とも元・オリンピック代表)に刺激を受け、3歳の時に地元の「八戸クラブ」に入りレスリングをはじめました。
 八戸市立長者小学校を卒業し、中学時代には全国優勝をしています。

 中学を卒業すると、実家を離れてレスリングの強豪校、愛知県の中京女子大学付属高校(現・至学館高等学校)から、姉の伊調千春の在籍する中京女子大学(現・至学館大学)に進学します。

 中京女子大学(現・至学館大学)レスリング部は、栄和人監督(前日本レスリングヘッドコーチ)の指導の下、吉田沙保里選手(オリンピック3大会金メダル)をはじめ、リオオリンピック金メダリストの土性沙羅、登坂絵莉の両選手など、多くのメダリストを輩出しています。
 ちなみに栄監督は、女子レスリングで金メダルを獲るたびに、女子選手たちに投げられたり肩車をしたりするスキンヘットのあのおじさんです。(笑)

<2016年5月、リオオリンピック前に母校・長者小学校を訪問した時の伊調薫選手のサイン> 

伊調薫選手は、最初56kg級で試合をしていましたが、同じ階級に吉田沙保里選手がいて苦戦していました。(通算1勝2敗) そこで、1階級あげて63kg級に変更しました。

 63kg級では無敵と言ってもよく、2004年のアテネオリンピックで初めて金メダルを獲ったのを皮切りに、2008年の北京オリンピック、2012年のロンドンオリンピックと、女子63kg級レスリングでオリンピック3連覇を達成しました。

 オリンピック3連覇ということでは、同じレスリングの55kg級でアテネ・北京・ロンドンと3連覇した吉田沙保里と同じ成績でした。
 ところが、吉田が2012年11月に「国民栄誉賞」を贈られたのに対し、伊調には贈られませんでした。

 吉田が世界大会(オリンピック+世界選手権)で13連勝をしたのに対し、伊調薫選手は2008年北京オリンピックのあと、1度は引退を表明しカナダへ留学し、世界選手権に出場しませんでした。
 ここで、差がついたと言われていますが、伊調薫選手も、2007年に怪我で不戦敗になったのをのぞけば、2003年5月から2016年1月まで189連勝していて、記録上は遜色ありません。 

 一方で、吉田沙保里選手が明るく人当たりのいい性格で、テレビなどマスコミに積極的に出るのに対し、言葉数も少なくテレビなどにもほとんど出ないので、「吉田の陽」に対し「伊調の陰」と言われていることも影響があったのではないかいう説もあります。
 伊調自身は、「(吉田)沙保里さんがいなければ、レスリングがここまで注目されませんでした。負担が沙保里さん1人にいってしまって、本当に申し訳ない。」と、申し訳なさそうに話しています。


<伊調馨選手の金メダル 記念切手>

しかし、2016年リオデジャネイロ・オリンピックでは、吉田沙保里選手が決勝で敗れ銀メダルだったのに対し、伊調馨選手は残り数秒で逆転して、見事、金メダルを獲得しました。
 女子初の「オリンピック同種目4連覇」を達成した伊調選手は、それまで吉田沙保里選手の影に隠れていましたが、やっと陽の当たる表舞台に出ることになりました。
 ぜひ、今年こそ、「国民栄誉賞」を受賞してほしいものです。
 ちなみに、夏のオリンピックで、同一種目4連覇(金4個)したのは、男子ヨット・フィン級のポール・エルブストロム(デンマーク、1948年~1960年)、男子円盤投げのアル・オーター(アメリカ 1956年~1968年)、男子走り幅跳びのカール・ルイス(アメリカ 1984年~1996年)、そして競泳男子200m個人メドレーのマイケル・フェルプス(アメリカ 2004年~2016年)の4人だけで、伊調馨選手が5人目、女子では初めてです。


 最後に、伊調馨選手が北京オリンピック後に、一旦、引退表明してカラダへ留学した時の伊調薫選手のエピソードを紹介します。

 カナダで子供たちにレスリングを指導する、元世界選手権チャンピオンのクリスティン・ノードヘーゲンさんに伊調選手が、「日本では小さい頃から、負けたら怒られるし、落ち込む。」と話すと、ヘーゲンさんは「好きでやっているなら、楽しまないともったいなわ。」と答えました。
 伊調選手は「なるほど」と感心し、考え方を変えたそうです。

 伊調選手はテレビなどの出演を原則として断る代わりに、「私には現場があっている。」と言って、地方へ出かけて子供たちの指導をしています。

 伊調薫選手は、リオ・オリンピックの直前に、次のような話をしていました。
「リオが終わったら、自分が覚えたレスリングをどんなレベルの人たちにも言葉で伝えられるように勉強したい。一線を退いた人生の方が長いですから。
 でも、レスリングは生き甲斐なので、関わっていたい。」

 彼女は引退も考えていたようですが、オリンピック4連覇した伊調薫選手には、「東京オリンピック・金メダル」、そして「オリンピック5連覇」の期待が高まっています。
 もう少し、第1線でがんばってもらって、それから子供たちの指導にあたってもらいたいと願っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿