以前、このブログでも紹介しましたが、2015(平成27)年10月3日、徳島県徳島市の市道で視覚障害者の山橋衛二さん(50歳)が、盲導犬ヴァルデスを連れて散歩中にバックしてきたトラックにひかれて亡くなりました。
山橋さんをひいたトラックは、バックの際に鳴るブザーのスイッチを切っていたので、山橋さんは気づきませんでした。
この時、盲導犬ヴァルデスは、自分だけ逃げようと思えば逃げられたのに、山橋さんのそばを離れずに、ご主人の山橋さんを守るように、一緒にトラックにひかれて死んでしまいました。
偶然にも、10月3日はヴァルデスの誕生日でした。
ちょうど10歳の誕生日に、「やさしく人間に忠実な盲導犬」ヴァルデスは、ご主人と一緒に、星になりました。
それから半年後、山橋さんとヴァルデスの交通事故の原因となった「車の警報音を切ってはいけない」ことが、徳島県の条例で決まりました。
さらに、2016年10月、国土交通省は、ハイブリッド車(HV車)や電気自動車は走行音が静かすぎることで、視覚障害者や子供、老人などが気づきにくいとして、ガソリン車と同じレベルの走行音を出して周囲に接近を知らせる装置の取り付けを義務づけることを決めました。
新基準では、ハイブリッド車や電気自動車が時速20キロ以下の低速で走行する場合には、「速度に応じて50デシベルから56デシベル以上」のガソリン車と同じレベルの大きさの音を出すよう定められました。
また、高齢者でも聞き取りやすい低い周波数の音を加えることも求めています。
国土交通省は、道路運送車両法の保安基準を改正し、新型車は1年半後の平成30年3月から義務づけられますが、すでに販売されている型の車についても、4年後の東京オリンピックが開催される2020(平成32)年から義務づけられることなりました。
「静かな走りで環境にやさしい」車が主流になってきている中で、1人の視覚障害者と1頭の盲導犬が犠牲になった事故がきっかけとなって、「歩行者と盲導犬に命の音の出る車」が復活したことは、すばらしいと思います。
やさしさを諦(あきら)めずに、ご主人を最後まで守って星になった盲導犬ヴァルデスの死が、無駄ではなっかたのだと思えて、胸が熱くなっています。
<写真 山橋衛二さんと盲導犬ヴァルデス>
盲導犬は、「身体障害者補助犬法」(平成14年10月施行)に基づいて認定された犬で、特別な訓練をうけていて、公共施設や交通機関をはじめ、飲食店やスーパー、ホテルなど様々な場所に同伴することができます。
ヴァオルデスは、ラブラドール・リトリバーでしたが、これは日本の盲導犬では1番多い種類です。ほかに、ゴールデン・レトリーバーや1代雑種などもいます。
1939(昭和14)年に、ドイツから日本に初めてきた盲導犬はシェパードでしたが、警察犬や猟犬にも使われる見た目がいかつい「シェパード」の盲導犬は減り、たれ目・たれ耳でやさしく見える「レトリバー」系が多くなったそうです。
日本の盲導犬の実働頭数は、2016年3月末現在で966頭で前年より13頭減っています。
都道府県の中で、1番多い東京都が99頭、次いで大阪府61頭、神奈川県59頭と続きます。それにしても、少ないですね。
因(ちな)みにヴァルデスがいた徳島県は、ヴァルデスの事故死で1頭減って3頭となり、全国の都道府県で最低の数です。
<写真:盲導犬ヴァルデスが暮らし事故死した付近の徳島市東部>
盲導犬は、生後2か月から1歳までは「パピーウオーカー」と呼ばれるボランテイア家庭で、愛情たっぷりに暮らし、人間への「愛とやさしい」を身につけます。
1歳を過ぎると訓練センターに行き、いよいよ盲導犬の訓練が始まります。
その際、1番先に教えられる言葉は、シット(座れ)やダウン(伏せ)などの命令の言葉ではなく、
GOODというほめ言葉だそうです。
最初に、「パピーウォーカー」や褒め言葉の「GOOD」があるから、盲導犬はやさしい犬になるのですね。
盲導犬は10歳前後(人間の年齢だと50歳ぐらい)で引退して、ボランテイアで受け入れてくれる家にもらわれたり、仲間の引退犬がたくさんいる施設で余生を暮らします。
実はヴァルディスも、あと1週間で引退することになっていました。
そのことを聞くと、最後までご主人のために働いたヴァルディスには、頭が下がる思いです。
今は、夜空のどこかで、山橋さんと一緒に星になって、幸せに暮らしていると信じたいです。
そして、「自動車の走行音を出すことを義務付ける」というニュースを空から聞いて、「GOODだ、ワン」と喜んでくれているはずです。
<一句>
「閑(しず)けさも 命の音は 消さぬ道」
2016年10月15日土曜日
2016年10月9日日曜日
やさしい時代をあきらめないで(1)「相模原障害者殺傷事件」とナチスのT4計画
オリンピックと台風のことを交互に書いてきた2016(平成28)年の夏から初秋でしたが、一方で、神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」で障害者19人が殺害される事件や、同じ神奈川県横浜市の「大口病院」で点滴に消毒剤が混入されて殺害される事件など、「やさしい時代」の終焉(しゅうえん)のような、忘れてはいけないショッキングな出来事もありました。
こんな社会的弱者への凄惨な事件が起こると、ヒットラー率いるナチスが行った「T4作戦」がよく取りざたされます。
実際、「津久井やまゆり園障害者殺傷事件」の犯人、植松聖(うえまつ・さとし)容疑者は「ヒットラーの思想が降りてきた」と話しています。
「優(やさ)しい時代」とは、1978(昭和53)年にNHKで放送されたドラマ(脚本:日向正健、出演:篠田三郎、壇ふみ 他)のタイトルです。
この年は、高度経済成長(1958年~1973年)のあとの「オイル・ショック」(1973年)から日本経済がやっと立ち直り、日本テレビの番組「24時間テレビ~愛は地球を救う」が始まった年です。
この番組によって、「日本赤十字社」などの公的機関に頼らない「民間募金」が、テレビで本格的に始まりました。
一方で「学生運動」が過去のものになり、大学のキャンパスでは、アリスやチューリップなどの「ニューミュージック」や、山口百恵・榊原郁恵・郷ひろみなどのアイドルの歌が流れていました。
因(ちな)みに、この年は伝説の歌番組「ザ・ベストテン」(TBS、司会:久米宏さん・黒柳徹子さん)が始まり、キャンデーズが解散、サザンオールスターズがデビューし、デイスコ・ブームが始まった年でもあります。
この年に生まれた有名人としては、澤 穂希(さわ・ほまれ 女子サッカー選手)さんや中村俊介(なかむら・じゅんすけ 男子サッカー選手)さん、DAIGO(ダイゴ 歌手)さん、浜崎あゆみ(歌手)さん、井上康生(いのうえ・こうせい 柔道)さん、菊川怜(きっかわ・れい 女優・司会)さんなどがいます。
携帯電話会社のCMで紹介されている「1980年代後半のバブル期」を控えて、みんなに優しく平和な「やさしい時代」の始まりだったのが、この年かも知れません
この頃から40年近く続いた、みんなに「やさしい時代」が、今、終わりを向かえようとしています。
今回から断続的に「やさしい時代をあきらめないで」というタイトルで、「やさしい時代の終焉」を思わせるニュースを取り上げ、いろいろと問題点を考えてみたいと思います。
1回目は「相模原市の障害者殺傷事件とナチスのT4作戦」についてです。
<津久井やまゆり園(神奈川県相模原市緑区)>
「相模原障害者殺傷事件」は、2016(平成28)年7月26日午前2時から3時頃、神奈川県相模原市緑区にある障害者施設「津久井やまゆり園」で発生しました。
元職員の植松聖(うえまつ・さとし)容疑者が園に侵入し、職員を拘束した上、ナイフなどの刃物で、重度の障害者を中心に計45人を刺し、男性9人と女性10人が死亡、男女20人が重傷、6人が軽傷を負いました。
死亡した19人の年齢は、18歳〜70歳でした。
植松容疑者は、2012(平成24)年12月から2016(平成28)年2月まで、「やまゆり園」で働いていました。
もともと、子供好きで父親と同じ小学校教員をめざしていましたが挫折し、その後は「福祉」の仕事ということで「やまゆり園」を希望しで働いていました。
ですから本当は「やさしい人」だったのだと思います。
ところが、重度障害者の世話の大変さに挫折し、2016年2月には「障害者に安楽死を」という手紙を衆議院議長の公邸にもっていったことがきっかけ(安倍総理にも渡そうとしましたが渡せませんでした)となって、施設から解雇され障害者福祉法に基づく措置入院させられました。
その措置入院中に、ナチスが障害者を殺害した「T4計画」を知り、「ヒットラーの思想が降りてきた」ことで、障害者たちの大量殺害を計画します。
もちろん、植松容疑者の残虐極まりない行動は、厳罰に処せられるべきだと思いますが、この事件にはいろいろな問題が背景にあると思います。
私は学生の頃、障害者施設へボランティアで訪問したことがありますが、「弱くてかわいそう人たちに優しく接する」という最初の「上から目線」のイメージとは違って、障害者の人たちは予想以上にしっかりしていて、施設の人たちにも「できることは自分でさせて、手伝わないように」と言われました。
甘やかしてはいけないということでしょうが、1人1人の障害者の人たちも自立しようと必死でした。
「やさしい」「お情け」だけでは、接してはいけない世界でした。
「やまゆり園」の元職員の話では、報酬は決して高くなく、勤務は過酷で宿直は月に4回、深夜までの勤務や早出もあって、いつも疲れていたそうです。
さらに、テレビを棚から落としたり、電灯を割ったり、暴れたり噛みついたりしても抵抗できない、とても大変な介護の仕事というのが、現実だそうです。
植松容疑者も、最初に志した時の「ボランティアの延長」的な甘い気持ちを粉々に砕かれ、言うことを聞かない障害者に切れてしまいました。
ついには「こいつらは生きていても役に立たない邪魔者。この世から安楽死させた方がいい。」という気持ちになって、「ナチスのT4作戦」に同調するようになりました。
(7月のあの日 平和に咲くアサガオ)
ナチスの「T4作戦」とは、第二次世界大戦中にナチスドイツで進められたもので、知的障害者や身体障害者、精神障害者などは、社会には「無用」であるばかりか、アーリア人の遺伝的な純粋性を脅かす存在である。
つまり、「生きる価値のない人間」と見なされ、殺害されたました。
ユダヤ人殺戮のモデルとも言われる作戦で、1940(昭和15)年から1945(昭和20)年までに、約20万人の障害者が殺害されました。
このナチスの歴史を知った植松容疑者は、ヒットラーに共感し、自らが障害者を殺害し「英雄」になろうとしました。
この考えに基づき、拘束した職員を同行させ、「重症」の患者から殺害しました。
ここで問題なのは、弱い抵抗できないものを選んで植松容疑者が殺傷した点と、「津久井やまゆり園」の勤務体制が、決して特別に悪いものではなく、県立の園の勤務はむしろ恵まれていて、もっとひどいところがたくさんある点です。
事件のあった2016年7月26日未明、「やまゆり園」には警備員1人、職員8人が勤務していました。
入所者定員160人(4月末で149人が入所)に対して、この数が多いか少ないかは議論を要すところですが、他の施設と比べれば、まだ県立で恵まれている方だと思います。
(たとえば、台風10号で9人が死亡した岩手県岩泉町のグループホーム「楽ん楽ん」で、台風の夜に泊まっていた職員は、所長1人だけでした。)
一方、2016年春に、「やまゆり園」がハローワークを通じて出した求人では、昼間の「世話人」が時給970円~1070円だったのに対して、「夜間専門生活支援員」の時給は905円で神奈川県の最低賃金と同じでした。
昼間より夜間が安いのには違和感を感じますし、ハローワークを通じて募集できる最低の時給905円では、夜間の生活支援員の人材レベルは、押して知るべしだと思います。
それでも、時給905円が本当にもらえていたとしたら、他の施設よりもまだ恵まれている方だと思います。
さきほど紹介した「やまゆり園」の元職員は、「仕事の環境の厳しさの中では、職員みんなが多かれ少なかれ、『施設の障害者が暴れたり面倒をかけたりせず、眠っていてくれたら楽なのに』と、思ったことがあるはず。」と話しています。
介護は、「高齢化社会」や「やさしい時代」の象徴だと言えますが、やっぱり現実は厳しいものです。 今でも、親や配偶者を、介護疲れで殺害する事例があとをたたないのが現実です。
それでも、「やさしさ」を社会みんなで支援し、高齢者や障害者など弱い立場の人たちを社会から排除せず、大切にする「やさしい時代」をあきらめてはいけないと思います。
<写真 海と空と島々>
最後に、殺傷事件後に「津久井やまゆり園」で献花をした、見形信子さんの話を紹介します。
見方さんは、NPO法人自立支援センター「くれぱす」の事務局長で、自身も筋肉の力が衰える難病と闘い、16年間に渡って自立支援施設で暮らした経験があります。
彼女は、「加害者の名前や生い立ちは報道されるのに、殺害された19人は名前さえ公表されないのはおかしい。」と語っていました。
<自作詩>
「やさしい時代をあきらめないで」
戦争は過去のもの
平和はあたりまえ
食べ物はなくならない
停電なんて ありえない
みんながそこそこ 幸せで
みんあがそこそこ いい暮らし
そんなやさしい時代が
終わろうとしている
高齢化で 介護と医療費 増すばかり
下流老人 見捨てるか?
子供たちも 二極化で
子供の貧困 やむを得ぬ
でも ちょっと 待ったあ
やさしい時代を あきらめないで
障害施設は やっかいもので
安楽死こそ いい考えだ
病院施設も 医療費嵩む
安楽死こそ ナイス措置
日本の危機を 救うのは
インフレ 爆買い 原子力
でも でも でもね
でも でもね
本当にそうかな 空を見て
風も雲も 光ってる
宇宙に続く ブルースカイ
本当にそうかな 海へ行こう
波は自由だ 海鳥も
世界へ続く オーシャンブルー
やさしい時代を 捨てないで
やさしい時代を 諦(あきら)めないで
こんな社会的弱者への凄惨な事件が起こると、ヒットラー率いるナチスが行った「T4作戦」がよく取りざたされます。
実際、「津久井やまゆり園障害者殺傷事件」の犯人、植松聖(うえまつ・さとし)容疑者は「ヒットラーの思想が降りてきた」と話しています。
「優(やさ)しい時代」とは、1978(昭和53)年にNHKで放送されたドラマ(脚本:日向正健、出演:篠田三郎、壇ふみ 他)のタイトルです。
この年は、高度経済成長(1958年~1973年)のあとの「オイル・ショック」(1973年)から日本経済がやっと立ち直り、日本テレビの番組「24時間テレビ~愛は地球を救う」が始まった年です。
この番組によって、「日本赤十字社」などの公的機関に頼らない「民間募金」が、テレビで本格的に始まりました。
一方で「学生運動」が過去のものになり、大学のキャンパスでは、アリスやチューリップなどの「ニューミュージック」や、山口百恵・榊原郁恵・郷ひろみなどのアイドルの歌が流れていました。
因(ちな)みに、この年は伝説の歌番組「ザ・ベストテン」(TBS、司会:久米宏さん・黒柳徹子さん)が始まり、キャンデーズが解散、サザンオールスターズがデビューし、デイスコ・ブームが始まった年でもあります。
この年に生まれた有名人としては、澤 穂希(さわ・ほまれ 女子サッカー選手)さんや中村俊介(なかむら・じゅんすけ 男子サッカー選手)さん、DAIGO(ダイゴ 歌手)さん、浜崎あゆみ(歌手)さん、井上康生(いのうえ・こうせい 柔道)さん、菊川怜(きっかわ・れい 女優・司会)さんなどがいます。
携帯電話会社のCMで紹介されている「1980年代後半のバブル期」を控えて、みんなに優しく平和な「やさしい時代」の始まりだったのが、この年かも知れません
この頃から40年近く続いた、みんなに「やさしい時代」が、今、終わりを向かえようとしています。
今回から断続的に「やさしい時代をあきらめないで」というタイトルで、「やさしい時代の終焉」を思わせるニュースを取り上げ、いろいろと問題点を考えてみたいと思います。
1回目は「相模原市の障害者殺傷事件とナチスのT4作戦」についてです。
<津久井やまゆり園(神奈川県相模原市緑区)>
「相模原障害者殺傷事件」は、2016(平成28)年7月26日午前2時から3時頃、神奈川県相模原市緑区にある障害者施設「津久井やまゆり園」で発生しました。
元職員の植松聖(うえまつ・さとし)容疑者が園に侵入し、職員を拘束した上、ナイフなどの刃物で、重度の障害者を中心に計45人を刺し、男性9人と女性10人が死亡、男女20人が重傷、6人が軽傷を負いました。
死亡した19人の年齢は、18歳〜70歳でした。
植松容疑者は、2012(平成24)年12月から2016(平成28)年2月まで、「やまゆり園」で働いていました。
もともと、子供好きで父親と同じ小学校教員をめざしていましたが挫折し、その後は「福祉」の仕事ということで「やまゆり園」を希望しで働いていました。
ですから本当は「やさしい人」だったのだと思います。
ところが、重度障害者の世話の大変さに挫折し、2016年2月には「障害者に安楽死を」という手紙を衆議院議長の公邸にもっていったことがきっかけ(安倍総理にも渡そうとしましたが渡せませんでした)となって、施設から解雇され障害者福祉法に基づく措置入院させられました。
その措置入院中に、ナチスが障害者を殺害した「T4計画」を知り、「ヒットラーの思想が降りてきた」ことで、障害者たちの大量殺害を計画します。
もちろん、植松容疑者の残虐極まりない行動は、厳罰に処せられるべきだと思いますが、この事件にはいろいろな問題が背景にあると思います。
私は学生の頃、障害者施設へボランティアで訪問したことがありますが、「弱くてかわいそう人たちに優しく接する」という最初の「上から目線」のイメージとは違って、障害者の人たちは予想以上にしっかりしていて、施設の人たちにも「できることは自分でさせて、手伝わないように」と言われました。
甘やかしてはいけないということでしょうが、1人1人の障害者の人たちも自立しようと必死でした。
「やさしい」「お情け」だけでは、接してはいけない世界でした。
「やまゆり園」の元職員の話では、報酬は決して高くなく、勤務は過酷で宿直は月に4回、深夜までの勤務や早出もあって、いつも疲れていたそうです。
さらに、テレビを棚から落としたり、電灯を割ったり、暴れたり噛みついたりしても抵抗できない、とても大変な介護の仕事というのが、現実だそうです。
植松容疑者も、最初に志した時の「ボランティアの延長」的な甘い気持ちを粉々に砕かれ、言うことを聞かない障害者に切れてしまいました。
ついには「こいつらは生きていても役に立たない邪魔者。この世から安楽死させた方がいい。」という気持ちになって、「ナチスのT4作戦」に同調するようになりました。
(7月のあの日 平和に咲くアサガオ)
ナチスの「T4作戦」とは、第二次世界大戦中にナチスドイツで進められたもので、知的障害者や身体障害者、精神障害者などは、社会には「無用」であるばかりか、アーリア人の遺伝的な純粋性を脅かす存在である。
つまり、「生きる価値のない人間」と見なされ、殺害されたました。
ユダヤ人殺戮のモデルとも言われる作戦で、1940(昭和15)年から1945(昭和20)年までに、約20万人の障害者が殺害されました。
このナチスの歴史を知った植松容疑者は、ヒットラーに共感し、自らが障害者を殺害し「英雄」になろうとしました。
この考えに基づき、拘束した職員を同行させ、「重症」の患者から殺害しました。
ここで問題なのは、弱い抵抗できないものを選んで植松容疑者が殺傷した点と、「津久井やまゆり園」の勤務体制が、決して特別に悪いものではなく、県立の園の勤務はむしろ恵まれていて、もっとひどいところがたくさんある点です。
事件のあった2016年7月26日未明、「やまゆり園」には警備員1人、職員8人が勤務していました。
入所者定員160人(4月末で149人が入所)に対して、この数が多いか少ないかは議論を要すところですが、他の施設と比べれば、まだ県立で恵まれている方だと思います。
(たとえば、台風10号で9人が死亡した岩手県岩泉町のグループホーム「楽ん楽ん」で、台風の夜に泊まっていた職員は、所長1人だけでした。)
一方、2016年春に、「やまゆり園」がハローワークを通じて出した求人では、昼間の「世話人」が時給970円~1070円だったのに対して、「夜間専門生活支援員」の時給は905円で神奈川県の最低賃金と同じでした。
昼間より夜間が安いのには違和感を感じますし、ハローワークを通じて募集できる最低の時給905円では、夜間の生活支援員の人材レベルは、押して知るべしだと思います。
それでも、時給905円が本当にもらえていたとしたら、他の施設よりもまだ恵まれている方だと思います。
さきほど紹介した「やまゆり園」の元職員は、「仕事の環境の厳しさの中では、職員みんなが多かれ少なかれ、『施設の障害者が暴れたり面倒をかけたりせず、眠っていてくれたら楽なのに』と、思ったことがあるはず。」と話しています。
介護は、「高齢化社会」や「やさしい時代」の象徴だと言えますが、やっぱり現実は厳しいものです。 今でも、親や配偶者を、介護疲れで殺害する事例があとをたたないのが現実です。
それでも、「やさしさ」を社会みんなで支援し、高齢者や障害者など弱い立場の人たちを社会から排除せず、大切にする「やさしい時代」をあきらめてはいけないと思います。
<写真 海と空と島々>
最後に、殺傷事件後に「津久井やまゆり園」で献花をした、見形信子さんの話を紹介します。
見方さんは、NPO法人自立支援センター「くれぱす」の事務局長で、自身も筋肉の力が衰える難病と闘い、16年間に渡って自立支援施設で暮らした経験があります。
彼女は、「加害者の名前や生い立ちは報道されるのに、殺害された19人は名前さえ公表されないのはおかしい。」と語っていました。
<自作詩>
「やさしい時代をあきらめないで」
戦争は過去のもの
平和はあたりまえ
食べ物はなくならない
停電なんて ありえない
みんながそこそこ 幸せで
みんあがそこそこ いい暮らし
そんなやさしい時代が
終わろうとしている
高齢化で 介護と医療費 増すばかり
下流老人 見捨てるか?
子供たちも 二極化で
子供の貧困 やむを得ぬ
でも ちょっと 待ったあ
やさしい時代を あきらめないで
障害施設は やっかいもので
安楽死こそ いい考えだ
病院施設も 医療費嵩む
安楽死こそ ナイス措置
日本の危機を 救うのは
インフレ 爆買い 原子力
でも でも でもね
でも でもね
本当にそうかな 空を見て
風も雲も 光ってる
宇宙に続く ブルースカイ
本当にそうかな 海へ行こう
波は自由だ 海鳥も
世界へ続く オーシャンブルー
やさしい時代を 捨てないで
やさしい時代を 諦(あきら)めないで
2016年10月5日水曜日
今年7個目上陸? 台風18号は日本海を東進し北陸・東北へ
台風18号(チャバ=タイの言葉で「ハイビスカス」という意味)が、対馬海峡から日本海を東進し、10月5日の夜から10月6日にかけて、北陸・東北へ上陸する可能性が高まっています。
日本海沿岸東進は、今年初めてのコースです。進路にあたる地域の方は、早めに準備し警戒してください。
気象庁の発表では、2016(平成28)年10月5日0時現在、「非常に強い台風18号」は、九州西方の北緯31度40分、東経126度20分の東シナ海にあって、時速30kmで北に進んでいます。
中心気圧は940hp(ヘクトパスカル)、中心付近の最大風速は45m/sで、中心から90kmの範囲では風速25m/s以上の暴風雨になっています。
この台風18号は、九州と朝鮮半島の間の対馬海峡を通って日本海側に入り、中国地方(山口県・島根県・鳥取県)・近畿地方(兵庫県・京都県)の日本海沿岸を東に進み、北陸(福井県・石川県・富山県・新潟県)から東北(山形県・秋田県・青森県)にかけて、上陸する可能性が高くなっています。
その後、日本列島を西から東に横断して、関東・東北を経て、太平洋に抜ける見通しです。
台風18号は比較的コンパクトな大きさですが、一時「猛烈な」強さをもっていたように、中心が近づくと風と雨が急激に強くなるので、厳重な注意が必要です。
さらに、日本海沿岸を台風が東に進むと、南よりの風が吹く九州・四国・近畿・東海・関東の太平洋沿岸でも、大雨になる可能性がありますので、この方面でも警戒してください。
<台風18号の進路予想 2016年10月6日0時 (気象庁HP)>
それにしても、今年は台風の日本への上陸・接近が多いですね。
もし、台風18号が日本本土へ上陸すれば、今年7個目となり、「災」が今年の漢字になった2004(平成16)年の10個に次いで、単独で2番目に多くなります。
今年の上陸台風のルートを紹介します。
・台風7号=北海道の中央部に上陸
・台風9号=関東・東北・北海道の太平洋岸を縦断
・台風10号=史上初めて東北地方太平洋岸に直接上陸し、続いて北海道へも上陸(岩手県と北海道を中心に死者・行方不明者27人)
・台風11号=北海道東部
・台風12号=九州西部
・台風16号=九州南部・四国南部・近畿南部・中部(太平洋沿岸沿いに西から東へ)
9月の台風16号は「大隅半島、足摺岬、室戸岬、紀伊半島」など、「太平洋側の半島と岬めぐりコース」を通過しましたが、今回は、これらのどれとも違う「日本海東進コース」です。
あえて言えば、「久米島、対馬」など、「東シナ海・日本海の島めぐりコース」みたいな気がしています。
進路と周辺の地域の皆さん、台風の備えのイラストを貼っておきますので、参考にして十分に注意してくださいね。

最後に、気象庁の天気予報や台風情報などでよく使う、一日の時間帯をあらわす用語を紹介します。
<未明(みめい)>=午前0時~午前3時
<明け方(あけがた)>=午前3時~午前6時
<朝(あさ)>=午前6時~午前9時
<昼前(ひるまえ>=午前9時~正午
<昼過ぎ(ひるすぎ)>=正午~午後3時
<夕方(ゆうがた)=午後3時~午後6時
<夜のはじめ頃(よるのはじめころ)>=午後6時~午後9時
<夜遅く(よるおそく)>=午後9時~午前0時
天気予報や台風の進路予報などで使う「時間帯」の用語は、漠然としているようですが、実は3時間ごとのきっちりとした時間帯を示しています。
もちろん、台風の強さを表す表現も、実は数字で決まっています。(*下記の数字には端数があって、正確には船などの速さを表す単位のノット(knot)で決まっています。)
<猛烈(もうれつ)な台風>=中心付近の最大風速が54km/s以上、
<非常に強い台風>=中心付近の最大風速が44m/s以上54m/s未満、
<強い台風>=中心付近の最大風速が33m/s以上44m/s未満
<(強さの表記のない)台風>=中心付近の最大風速が約17m/s以上33m/s未満
これらの時間帯や台風の強さを表す単位も参考に、「台風18号に厳重に警戒」してください。

日本海沿岸東進は、今年初めてのコースです。進路にあたる地域の方は、早めに準備し警戒してください。
気象庁の発表では、2016(平成28)年10月5日0時現在、「非常に強い台風18号」は、九州西方の北緯31度40分、東経126度20分の東シナ海にあって、時速30kmで北に進んでいます。
中心気圧は940hp(ヘクトパスカル)、中心付近の最大風速は45m/sで、中心から90kmの範囲では風速25m/s以上の暴風雨になっています。
この台風18号は、九州と朝鮮半島の間の対馬海峡を通って日本海側に入り、中国地方(山口県・島根県・鳥取県)・近畿地方(兵庫県・京都県)の日本海沿岸を東に進み、北陸(福井県・石川県・富山県・新潟県)から東北(山形県・秋田県・青森県)にかけて、上陸する可能性が高くなっています。
その後、日本列島を西から東に横断して、関東・東北を経て、太平洋に抜ける見通しです。
台風18号は比較的コンパクトな大きさですが、一時「猛烈な」強さをもっていたように、中心が近づくと風と雨が急激に強くなるので、厳重な注意が必要です。
さらに、日本海沿岸を台風が東に進むと、南よりの風が吹く九州・四国・近畿・東海・関東の太平洋沿岸でも、大雨になる可能性がありますので、この方面でも警戒してください。
<台風18号の進路予想 2016年10月6日0時 (気象庁HP)>
それにしても、今年は台風の日本への上陸・接近が多いですね。
もし、台風18号が日本本土へ上陸すれば、今年7個目となり、「災」が今年の漢字になった2004(平成16)年の10個に次いで、単独で2番目に多くなります。
今年の上陸台風のルートを紹介します。
・台風7号=北海道の中央部に上陸
・台風9号=関東・東北・北海道の太平洋岸を縦断
・台風10号=史上初めて東北地方太平洋岸に直接上陸し、続いて北海道へも上陸(岩手県と北海道を中心に死者・行方不明者27人)
・台風11号=北海道東部
・台風12号=九州西部
・台風16号=九州南部・四国南部・近畿南部・中部(太平洋沿岸沿いに西から東へ)
9月の台風16号は「大隅半島、足摺岬、室戸岬、紀伊半島」など、「太平洋側の半島と岬めぐりコース」を通過しましたが、今回は、これらのどれとも違う「日本海東進コース」です。
あえて言えば、「久米島、対馬」など、「東シナ海・日本海の島めぐりコース」みたいな気がしています。
進路と周辺の地域の皆さん、台風の備えのイラストを貼っておきますので、参考にして十分に注意してくださいね。

最後に、気象庁の天気予報や台風情報などでよく使う、一日の時間帯をあらわす用語を紹介します。
<未明(みめい)>=午前0時~午前3時
<明け方(あけがた)>=午前3時~午前6時
<朝(あさ)>=午前6時~午前9時
<昼前(ひるまえ>=午前9時~正午
<昼過ぎ(ひるすぎ)>=正午~午後3時
<夕方(ゆうがた)=午後3時~午後6時
<夜のはじめ頃(よるのはじめころ)>=午後6時~午後9時
<夜遅く(よるおそく)>=午後9時~午前0時
天気予報や台風の進路予報などで使う「時間帯」の用語は、漠然としているようですが、実は3時間ごとのきっちりとした時間帯を示しています。
もちろん、台風の強さを表す表現も、実は数字で決まっています。(*下記の数字には端数があって、正確には船などの速さを表す単位のノット(knot)で決まっています。)
<猛烈(もうれつ)な台風>=中心付近の最大風速が54km/s以上、
<非常に強い台風>=中心付近の最大風速が44m/s以上54m/s未満、
<強い台風>=中心付近の最大風速が33m/s以上44m/s未満
<(強さの表記のない)台風>=中心付近の最大風速が約17m/s以上33m/s未満
これらの時間帯や台風の強さを表す単位も参考に、「台風18号に厳重に警戒」してください。
2016年10月3日月曜日
リオから東京へ「1461日の紙飛行機」~誰もが夢に挑戦できる~
リオデジャネイロのオリンピック・パラリンピックが終わって、2020年東京オリンピック・パラリンピックへの1461日がもう始まっています。
そうです。「1461日」とは、365日×4+1日(2月29日)=1461日、つまり、4年間のことです。
リオ・オリンピックでは、日本選手の逆転が目立ちました。
体操の内村航平選手をはじめ、レスリングの登坂絵莉、伊調薫。土性沙羅の女子3選手、バドミントンの高橋礼華選手と松友美佐紀選手のペアなどが、土壇場からの大逆転で金メダルを獲得しました。
そのシーンをテレビで見る度、私たちが子供の頃見ていた「世界一への夢」を思い出させてくれ、本当に感動しました。
テレビでは、試合の当日だけの「一瞬の勝負」に見えますが、本当はそれまでの4年間、1461日の練習の積み重ね、いえ、もしかしたら今まで選手たちが、青春・人生の日々に努力を積み重ねてきた結果、なんですよね。
だからこそ、オリンピック・パラリンピックは、見る人に深い感動と夢みることの大切さを訴え、テレビでオリンピックを見て、「世界への夢」をスタートさせた内村航平選手のような子供たちが、出てくるのだと思います。
<体操男子 金メダル記念切手>
リオ・オリンピック中継のテレビ朝日系のテーマソングに、福山雅治さんの「1461日」が選ばれていました。その歌詞の一部を紹介します。
♪「1461日」
(作詞・作曲・歌 福山雅治)
♪
だけど そろそろ残りの人生逆算しながらテレビ見ながら
あと何十回 桜の花見れるかなって
すべての命に終わりがある そんな当たり前がちょっとね
でも僕は 君を見ていると 勇気が出ちゃうんだよ
1461日 人知れず 積み重ねたものが 溢れ出してしまうから
今 君は何を見つめながら 戦っているの
嬉しいなその汗が
嬉しいなその笑顔
時には自分に勝てることも
時には負けることもあるけど
君は君を変えた♪
福山雅治さん自身の、この歌についてのコメントの一部を紹介します。
「『1461日』。出場するアスリートの皆さんは、その日数、どれほどの努力を積み重ねてきたのか。それをリオ五輪というステージで最善の形で表現することが出来るのか。毎回なんですが、観ていてこちら側が緊張で全身が固まります。と同時にとても興奮します。
勝手ながら、アスリート達の戦いからは「自分を変えることが出来るのは自分」というメッセージを受け取ってる気がしています。結果というのは誰のせいでもない。そのステージに立つ時は孤独なんだという決意を。」
オリンピックやパラリンピックを見ていると、日常生活の中で忘れていた、「世界へ挑戦する」という自分が子供の頃描いていた夢が久々に心に蘇ってきます。
そして、「誰もが夢をもち、挑戦する権利をもっている」ことを思いだし、やってみようという気持ちも出てきます。
もちろん、その分野はアスリートだけではありません。
それは「世界一になるための勉強」や「世界一になるための研究」だったり、「世界一のビジネス」だったり、「世界一のビジネスマン・ビジネスウーマン」だったり、「世界一優しい医療・介護」だったり、「世界一すてきな女性」だったり、「世界一かっこいい男」だったり、「世界一の親」だったり、「世界一勇気ある不登校」だったり、何でもいいし、何歳からでもいいんです。
リオ・オリンピックの男子100m×4リレーで、日本初の銀メダルをとった山縣亮太選手はこう言っています。
「夢は実現できるんだということを、証明できた。」
まずは「世界一の夢」をもって、「世界一努力する覚悟」をもって、「世界一」をめざしませんか。
あのデイズニーランドの創始者、ウォルト・ディズニー氏はこう言っています。
If you can dream it, you can do it.「夢みることができれば、それは実現できる。」
リオのヒーロー、ヒロインたちを見て、私も1461日後、4年後を目指して。自分の夢に挑戦しようと思っています。
皆さんも、「1枚の平面の紙が、大空を飛べるようになった紙飛行機」のように、2020年を目指してがんばっていきませんか。
大切なのは結果ではなく、「どう飛んだか どこを飛んだのか」だと信じて、とりあえず1461日間、がんばってみましょう。
<白鳳大学オープンキャンパスのポスター>
そうです。「1461日」とは、365日×4+1日(2月29日)=1461日、つまり、4年間のことです。
リオ・オリンピックでは、日本選手の逆転が目立ちました。
体操の内村航平選手をはじめ、レスリングの登坂絵莉、伊調薫。土性沙羅の女子3選手、バドミントンの高橋礼華選手と松友美佐紀選手のペアなどが、土壇場からの大逆転で金メダルを獲得しました。
そのシーンをテレビで見る度、私たちが子供の頃見ていた「世界一への夢」を思い出させてくれ、本当に感動しました。
テレビでは、試合の当日だけの「一瞬の勝負」に見えますが、本当はそれまでの4年間、1461日の練習の積み重ね、いえ、もしかしたら今まで選手たちが、青春・人生の日々に努力を積み重ねてきた結果、なんですよね。
だからこそ、オリンピック・パラリンピックは、見る人に深い感動と夢みることの大切さを訴え、テレビでオリンピックを見て、「世界への夢」をスタートさせた内村航平選手のような子供たちが、出てくるのだと思います。
<体操男子 金メダル記念切手>
リオ・オリンピック中継のテレビ朝日系のテーマソングに、福山雅治さんの「1461日」が選ばれていました。その歌詞の一部を紹介します。
♪「1461日」
(作詞・作曲・歌 福山雅治)
♪
だけど そろそろ残りの人生逆算しながらテレビ見ながら
あと何十回 桜の花見れるかなって
すべての命に終わりがある そんな当たり前がちょっとね
でも僕は 君を見ていると 勇気が出ちゃうんだよ
1461日 人知れず 積み重ねたものが 溢れ出してしまうから
今 君は何を見つめながら 戦っているの
嬉しいなその汗が
嬉しいなその笑顔
時には自分に勝てることも
時には負けることもあるけど
君は君を変えた♪
福山雅治さん自身の、この歌についてのコメントの一部を紹介します。
「『1461日』。出場するアスリートの皆さんは、その日数、どれほどの努力を積み重ねてきたのか。それをリオ五輪というステージで最善の形で表現することが出来るのか。毎回なんですが、観ていてこちら側が緊張で全身が固まります。と同時にとても興奮します。
勝手ながら、アスリート達の戦いからは「自分を変えることが出来るのは自分」というメッセージを受け取ってる気がしています。結果というのは誰のせいでもない。そのステージに立つ時は孤独なんだという決意を。」
オリンピックやパラリンピックを見ていると、日常生活の中で忘れていた、「世界へ挑戦する」という自分が子供の頃描いていた夢が久々に心に蘇ってきます。
そして、「誰もが夢をもち、挑戦する権利をもっている」ことを思いだし、やってみようという気持ちも出てきます。
もちろん、その分野はアスリートだけではありません。
それは「世界一になるための勉強」や「世界一になるための研究」だったり、「世界一のビジネス」だったり、「世界一のビジネスマン・ビジネスウーマン」だったり、「世界一優しい医療・介護」だったり、「世界一すてきな女性」だったり、「世界一かっこいい男」だったり、「世界一の親」だったり、「世界一勇気ある不登校」だったり、何でもいいし、何歳からでもいいんです。
リオ・オリンピックの男子100m×4リレーで、日本初の銀メダルをとった山縣亮太選手はこう言っています。
「夢は実現できるんだということを、証明できた。」
まずは「世界一の夢」をもって、「世界一努力する覚悟」をもって、「世界一」をめざしませんか。
あのデイズニーランドの創始者、ウォルト・ディズニー氏はこう言っています。
If you can dream it, you can do it.「夢みることができれば、それは実現できる。」
リオのヒーロー、ヒロインたちを見て、私も1461日後、4年後を目指して。自分の夢に挑戦しようと思っています。
皆さんも、「1枚の平面の紙が、大空を飛べるようになった紙飛行機」のように、2020年を目指してがんばっていきませんか。
大切なのは結果ではなく、「どう飛んだか どこを飛んだのか」だと信じて、とりあえず1461日間、がんばってみましょう。
<白鳳大学オープンキャンパスのポスター>
| ♪「365日の紙飛行機」 (作詞:秋元康 作曲:角野寿和・青葉紘季 歌:AKB48) ♪ 人生は紙飛行機 願い乗せて 飛んでいくよ 風の中を 力の限り ただ進むだけ その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか それが一番 大切なんだ さぁ 心のままに 365日 飛んでいけ 飛んでみよう♪ |
2016年9月23日金曜日
リオのヒロイン(6)片腕のスプリンター・辻沙絵選手とパラリンピック
ここまで5回に渡ってリオデジャネイロ・オリンピックのヒーロー、ヒロインの皆さんを紹介してきましたが、6回目は「オリンピック」ではなく、「リオ・パラリンピック」のヒロイン・辻沙絵(つじ・さえ)さんを紹介します。 2016(平成28)年のパラリンピックは、リオ・オリンピックが終わった9月7日から18日まで、ブラジル・リオデジャネイロのオリンピックと同じ会場で開催されました。
参加国は160ヶ国以上、22競技、528種目に4300人以上が参加しました。
日本勢は金メダルこそ取れませんでしたが、銀10個、銅14個の24個のメダルを取りました。
そんなメダリストの1人に、日本体育大学の学生、21歳の辻沙絵選手がいます。
辻選手は、生まれつき右手のひじから先がありませんが、日本代表のスプリンターとして、リオ・パラリンピックに初出場し、陸上女子400m(T45/T46/T47クラス、辻さんはT47=片前腕切断または片前腕最小の障害基準に該当)で銅メダルを獲得し、100m(同)で7位、200m(同)でも7位に入賞しました。
<辻沙絵さんのパラリンピック出場を応援するポスター>
辻沙絵(つじ・さえ)さんは、1994(平成6)年10月28日、北海道の函館市に近い人口3万人足らずの町、七尾町で生まれました。
彼女は小さい頃は自分の手が人と違うのに気づかず、弟が生まれた時に両手があるのを見て、初めて自分の右手のひじから先がないことに気づいたそうです。 でも、挫けずことなく、明るく積極的な子供で、「できないことを減らしていこう」と思いがんばりました。
函館市立鍛神小学校5年生の時からハンドボールを始めた辻さんは、両手を使うハンドボール競技でも必死の努力で、健常者と対等以上の活躍をします。
ボールを胸で止めたり、左手一本でとってシュートしたり、じん帯断絶などの痛い思いをしながらもハンドボールの名選手になりました。
そして、ハンドボールの強豪校、茨城県立水海道第二高校に進学した辻選手は、インターハイ(高校総体)で、健常者に混じって全国のベストエイトに進出し、国体の選手にも選ばれました。
さらにスポーツ推薦で、日本体育大学に進学します。
すばらしい頑張り屋ですね。
大学でも、関東リーグ1部で活躍していた辻選手でしたが、突然、大学のハンドボール部の監督に「パラリンピックの陸上」への転向を勧められます。
辻選手の瞬発力が高いからという理由だそうですが、本当は日体大の「70人をオリンピック・パラリンピックへ」という目標の達成のためということも、あったのかもしれません。
「ハンドボールで健常者と対等に渡り合えている私は、パラリンピックとは無縁」と、最初は躊躇(ちゅうちょ)した辻沙絵選手ですが、いざ障害者の陸上大会に出場すると、あっというまに才能を発揮します。
陸上を始めてわずか1年で、100m12秒86、200m27秒08、400m59秒72というすばらしい日本記録を打ち立てて、見事リオデジャネイロ・パラリンピックの日本代表になりました。
以降は、「実力と美貌をもち会わせたアスリート」として脚光を浴びています。
辻沙絵選手は、右手の先がないので地上につくのは左手と両足の3点だけのスタートになります。
スタートで地面をつく力も減りますし、スタート直後はどうしても左に体が傾いてしまいます。
こんなハンディの中で、100m12秒台で走る女子がいること自体が、すごいことだと思います。
初出場のパラリンピックの陸上女子400mで、みごと銅メダルをとった辻選手は、インタービューに答えてこう言っています。
「大好きだったハンドボールを辞め、いろいろなものを犠牲にしてきました。
それがメダルという形になって良かったと思います。
でも、100%満足はしていません。」
<パラリンピックのマーク>
ここからは、「パラリンピック」について紹介します。
パラリンピックの語源については、諸説あって通説はありません。
有力な説としては、2つあります。
第1は、「もう一つのオリンピック」(「もう一つの(Parallel)」+オリンピック(Olympic)」)という説です。
第2の説は、「パラブレジア(Paraplegia、脊髄損傷等による下半身麻痺者)+オリンピック(Olympic)」という説です。
2つとも造語ですが、誰が作ったかははっきりしません。「日本人命名説」もあります。
現在の「パラリンピック大会」の起源とされているのは、1948(昭和23)年7月28日、ロンドンオリンピック開会式の日に、イギリスのストーン・マンデビル病院で、「第二次世界大戦」で負傷した兵士たちのリハバリのために行われた「障害者の競技大会」です。
「手術よりスポーツを」というスローガンのもとで始められたと伝えられています。
最初は1病院の入院患者の大会だったのが次第に国際大会になって広がり、ついには1960(昭和35)年のローマオリンピックの時に「第1回パラリンピック(当時の名前は、第9回ストーン・マンデビル大会)」がローマで開催されました。
1988(昭和63)年のソウル・オリンピック後に開催された大会から、正式に「パラリンピック」と呼ばれるようになりました。
また、1992(平成4)年に行われたフランスのアルベールビル冬季オリンピックからは、冬季パラリンピックも開かれるようになりました。
さらに、2000(平成12)年のオーストラリアのシドニーで行われたオリンピックからは、パラリンピックの開催がオリンピック開催地の義務になりました。
1960年のローマ大会では、わずか23ヶ国400人の参加でしたが、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは、178ヶ国、4350人もの人たちが参加しています。
パラリンピックは、NHKなどではオリンピックの閉会後、オリンピックと同じテーマ曲・画像で報道され、障害者の人たちの「生き甲斐」「目的」ともなっていて、すばらしいと思います。
しかし、あえて言わせてもらえば、「パラリンピック」にはいくつか問題もあります。
1つは費用面で、参加や練習には多額の費用が必要で、日本では1人平均で年130万円とも言われています。
スポンサーのついている一部の選手以外は、お金がなければ参加できない「高嶺の花」となっています。中には、参加費用を捻出するために、ヌード写真集を出した女子選手もいます。
もう1つは、クラス分けの複雑さとメダルの価値の問題です。
たとえば、リオ・パラリンピックの男子100mには16のクラス(16個の金メダル)があり、辻沙絵選手が出場した女子100mには14のクラス(14個の金メダル)があります。
いろいろなハンディをもった選手に「メダルのチャンスを」という配慮はよくわかりますが、一方でオリンピックに準じる大会として「パラリンピック」を位置づけるなら、「世界一」のメダルの数は増やしすぎてはいけないのでは、とも思います。
理想は、「障害者も対等に健常者と競い合えるオリンピック」ではないのかなとも思います。
辻沙絵さんは、今後の夢を聞かれて、こう答えています。
「卓球の選手で、パラとオリンピックの両方に出ている人がいます。(福原愛・伊藤美誠選手と卓球ダブルスで対戦したポーランドのナタリア・パルティカ選手は片方の手のひじから先がありません。)
私も、どっちの世界でも通用する選手になりたいです。」
辻沙絵さんの、ポジティブさはすごいですね。応援したいと思います。
東京オリンピックと東京パラリンピックの両方に、辻沙絵さんが出たらすばらしいことだと思いませんか。
<片手でハンドボールをする辻沙絵さん>
最後に、NHKのリオ・オリンピックとリオ・パラリンピックの共通のテーマ曲になった、安室奈美恵さんが歌う「HERO」の一部を紹介します。
♪「Hero」♪
歌:安室奈美恵
作詞・作曲:Ryosuke Imai・SUNNY BOY
♪
I’ll be your hero
I’ll be your hero
いろんな色で染まる 世界で
一人で 振り向かなくてもいい
今までの君のまま進めばいいから
あきらめないで everyday
君だけのための hero
どんな日もそばにいるよ
Oh Oh… I’ll be your hero
君だけのための hero
強くなれる訳は 大切な人が
常に笑顔で支えてくれた
だから乗り越えられる
険しい道のりも
君と交わした 約束の場所
たどりついてみせる
いつか必ず forevermore ♪
参加国は160ヶ国以上、22競技、528種目に4300人以上が参加しました。
日本勢は金メダルこそ取れませんでしたが、銀10個、銅14個の24個のメダルを取りました。
そんなメダリストの1人に、日本体育大学の学生、21歳の辻沙絵選手がいます。
辻選手は、生まれつき右手のひじから先がありませんが、日本代表のスプリンターとして、リオ・パラリンピックに初出場し、陸上女子400m(T45/T46/T47クラス、辻さんはT47=片前腕切断または片前腕最小の障害基準に該当)で銅メダルを獲得し、100m(同)で7位、200m(同)でも7位に入賞しました。
<辻沙絵さんのパラリンピック出場を応援するポスター>
辻沙絵(つじ・さえ)さんは、1994(平成6)年10月28日、北海道の函館市に近い人口3万人足らずの町、七尾町で生まれました。
彼女は小さい頃は自分の手が人と違うのに気づかず、弟が生まれた時に両手があるのを見て、初めて自分の右手のひじから先がないことに気づいたそうです。 でも、挫けずことなく、明るく積極的な子供で、「できないことを減らしていこう」と思いがんばりました。
函館市立鍛神小学校5年生の時からハンドボールを始めた辻さんは、両手を使うハンドボール競技でも必死の努力で、健常者と対等以上の活躍をします。
ボールを胸で止めたり、左手一本でとってシュートしたり、じん帯断絶などの痛い思いをしながらもハンドボールの名選手になりました。
そして、ハンドボールの強豪校、茨城県立水海道第二高校に進学した辻選手は、インターハイ(高校総体)で、健常者に混じって全国のベストエイトに進出し、国体の選手にも選ばれました。
さらにスポーツ推薦で、日本体育大学に進学します。
すばらしい頑張り屋ですね。
大学でも、関東リーグ1部で活躍していた辻選手でしたが、突然、大学のハンドボール部の監督に「パラリンピックの陸上」への転向を勧められます。
辻選手の瞬発力が高いからという理由だそうですが、本当は日体大の「70人をオリンピック・パラリンピックへ」という目標の達成のためということも、あったのかもしれません。
「ハンドボールで健常者と対等に渡り合えている私は、パラリンピックとは無縁」と、最初は躊躇(ちゅうちょ)した辻沙絵選手ですが、いざ障害者の陸上大会に出場すると、あっというまに才能を発揮します。
陸上を始めてわずか1年で、100m12秒86、200m27秒08、400m59秒72というすばらしい日本記録を打ち立てて、見事リオデジャネイロ・パラリンピックの日本代表になりました。
以降は、「実力と美貌をもち会わせたアスリート」として脚光を浴びています。
辻沙絵選手は、右手の先がないので地上につくのは左手と両足の3点だけのスタートになります。
スタートで地面をつく力も減りますし、スタート直後はどうしても左に体が傾いてしまいます。
こんなハンディの中で、100m12秒台で走る女子がいること自体が、すごいことだと思います。
初出場のパラリンピックの陸上女子400mで、みごと銅メダルをとった辻選手は、インタービューに答えてこう言っています。
「大好きだったハンドボールを辞め、いろいろなものを犠牲にしてきました。
それがメダルという形になって良かったと思います。
でも、100%満足はしていません。」
<パラリンピックのマーク>
ここからは、「パラリンピック」について紹介します。
パラリンピックの語源については、諸説あって通説はありません。
有力な説としては、2つあります。
第1は、「もう一つのオリンピック」(「もう一つの(Parallel)」+オリンピック(Olympic)」)という説です。
第2の説は、「パラブレジア(Paraplegia、脊髄損傷等による下半身麻痺者)+オリンピック(Olympic)」という説です。
2つとも造語ですが、誰が作ったかははっきりしません。「日本人命名説」もあります。
現在の「パラリンピック大会」の起源とされているのは、1948(昭和23)年7月28日、ロンドンオリンピック開会式の日に、イギリスのストーン・マンデビル病院で、「第二次世界大戦」で負傷した兵士たちのリハバリのために行われた「障害者の競技大会」です。
「手術よりスポーツを」というスローガンのもとで始められたと伝えられています。
最初は1病院の入院患者の大会だったのが次第に国際大会になって広がり、ついには1960(昭和35)年のローマオリンピックの時に「第1回パラリンピック(当時の名前は、第9回ストーン・マンデビル大会)」がローマで開催されました。
1988(昭和63)年のソウル・オリンピック後に開催された大会から、正式に「パラリンピック」と呼ばれるようになりました。
また、1992(平成4)年に行われたフランスのアルベールビル冬季オリンピックからは、冬季パラリンピックも開かれるようになりました。
さらに、2000(平成12)年のオーストラリアのシドニーで行われたオリンピックからは、パラリンピックの開催がオリンピック開催地の義務になりました。
1960年のローマ大会では、わずか23ヶ国400人の参加でしたが、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは、178ヶ国、4350人もの人たちが参加しています。
パラリンピックは、NHKなどではオリンピックの閉会後、オリンピックと同じテーマ曲・画像で報道され、障害者の人たちの「生き甲斐」「目的」ともなっていて、すばらしいと思います。
しかし、あえて言わせてもらえば、「パラリンピック」にはいくつか問題もあります。
1つは費用面で、参加や練習には多額の費用が必要で、日本では1人平均で年130万円とも言われています。
スポンサーのついている一部の選手以外は、お金がなければ参加できない「高嶺の花」となっています。中には、参加費用を捻出するために、ヌード写真集を出した女子選手もいます。
もう1つは、クラス分けの複雑さとメダルの価値の問題です。
たとえば、リオ・パラリンピックの男子100mには16のクラス(16個の金メダル)があり、辻沙絵選手が出場した女子100mには14のクラス(14個の金メダル)があります。
いろいろなハンディをもった選手に「メダルのチャンスを」という配慮はよくわかりますが、一方でオリンピックに準じる大会として「パラリンピック」を位置づけるなら、「世界一」のメダルの数は増やしすぎてはいけないのでは、とも思います。
理想は、「障害者も対等に健常者と競い合えるオリンピック」ではないのかなとも思います。
辻沙絵さんは、今後の夢を聞かれて、こう答えています。
「卓球の選手で、パラとオリンピックの両方に出ている人がいます。(福原愛・伊藤美誠選手と卓球ダブルスで対戦したポーランドのナタリア・パルティカ選手は片方の手のひじから先がありません。)
私も、どっちの世界でも通用する選手になりたいです。」
辻沙絵さんの、ポジティブさはすごいですね。応援したいと思います。
東京オリンピックと東京パラリンピックの両方に、辻沙絵さんが出たらすばらしいことだと思いませんか。
<片手でハンドボールをする辻沙絵さん>
最後に、NHKのリオ・オリンピックとリオ・パラリンピックの共通のテーマ曲になった、安室奈美恵さんが歌う「HERO」の一部を紹介します。
♪「Hero」♪
歌:安室奈美恵
作詞・作曲:Ryosuke Imai・SUNNY BOY
♪
I’ll be your hero
I’ll be your hero
いろんな色で染まる 世界で
一人で 振り向かなくてもいい
今までの君のまま進めばいいから
あきらめないで everyday
君だけのための hero
どんな日もそばにいるよ
Oh Oh… I’ll be your hero
君だけのための hero
強くなれる訳は 大切な人が
常に笑顔で支えてくれた
だから乗り越えられる
険しい道のりも
君と交わした 約束の場所
たどりついてみせる
いつか必ず forevermore ♪
2016年9月19日月曜日
台風16号が太平洋岸を東進? 暴風雨に警戒 ~上陸すれば6個目で観測史上2位~
台風16号(マラカス=フィリピンの言葉で「強い」という意味)と本州の南岸に伸びる前線の影響で、九州、中国・四国、近畿、東海、関東の太平洋岸を中心に「暴風雨」になる可能性が高まっています。
気象庁の発表では、2016年9月19日21時現在、「非常に強い台風16号」は、鹿児島県枕崎市の南西約80kmの北緯30度50分、東経129度40分の東シナ海にあって、時速30kmで東北東に進んでいます。
中心気圧は945hp(ヘクトパスカル)、中心付近の最大風速は45m/sで、中心から110kmの範囲では風速25m/s以上の暴風雨になっています。
この台風16号は、日本のはるか南海上で誕生し西へ進み、台湾の手前で北上して、沖縄の先島諸島から東シナ海を大きく回り込んで日本本土に接近しています。
9月19日深夜から9月21日にかけて、日本の太平洋岸を九州から関東まで、東北東に進む見込みです。
この影響で、台風の進路にあたる地域では暴風雨の恐れがあり、離れた地域でも前線の影響で、広い範囲で大雨になることが予想されていますので、厳重に警戒してください。
<台風16号の進路予想 2016年9月19日21時 (気象庁HP)>
改めて台風への準備を紹介します。
まずは、飲み水や食糧、ライト、ラジオ、スマホ・携帯電話と充電器、生活用水(お風呂に水をためておく)を確保してください。
また、避難ルートの確認や、自治体からの避難情報(避難指示、避難勧告、避難準備情報)の早い取得手段(テレビ、ラジオ、スマホ、防災無線など)を確保しておきましょう。
特に、岩手県の場合で問題になったように、「避難準備情報は、単独で避難できない子供・老人・身体障害者などには即避難のサインであること」に注意してください。
もう一つ、水害の場合は「夜や豪雨の中を非難するより、2階など高い所に避難する方が安全な場合
があること」にも注意してください。
それにしても、今年は台風が多いですね。
もし、台風16号が日本本土(本州、北海道、九州、四国)に上陸すると、2016(平成28)年で6個めとなります。
これは、1990(平成2)年と1993(平成5)年の6個と並ぶ、気象庁の観測史上2番目に多い記録になります。
ちなみに、観測史上1位は、2004(平成16)年の10個です。
○2016年9月19日22時00分現在の警報発表地域(12県)
静岡県、愛知県、徳島県、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県(うち、愛知県と宮崎県では「土砂災害警戒情報」が出ているところがあります。
<2016年9月16日18時現在の天気図 (気象庁)>
おしまいに、ニュースでよく使われる「雨の強さ」の表現を紹介します。
1) 「やや強い雨」(1時間に10mm以上20mm未満)
2) 「強い雨」(1時間に20mm以上30mm未満)
3) 「激しい雨」(1時間に30mm以上50mm未満)
4) 「非常に激しい雨」(1時間に50mm以上80mm未満)
5) 「猛烈な雨」(1時間に80mm以上)
気象庁の目安では、「激しい雨」(30mm以上)で道路が川のようになり、「非常に激しい雨」(50mm以上)になると、傘は役に立たず車の運転は危険です。
そして「猛烈な雨」(80mm以上)では、大災害が起こる危険もあります。
最後に、国土交通省が運営している「川の防災情報」を、スマホやパソコンで検索して「お気に入り」に入れておくと、全国の川の水位や雨量、レーダー雨量などが、無料で見ることができます。
それでは、これらも活用して、台風16号に備えてください。
気象庁の発表では、2016年9月19日21時現在、「非常に強い台風16号」は、鹿児島県枕崎市の南西約80kmの北緯30度50分、東経129度40分の東シナ海にあって、時速30kmで東北東に進んでいます。
中心気圧は945hp(ヘクトパスカル)、中心付近の最大風速は45m/sで、中心から110kmの範囲では風速25m/s以上の暴風雨になっています。
この台風16号は、日本のはるか南海上で誕生し西へ進み、台湾の手前で北上して、沖縄の先島諸島から東シナ海を大きく回り込んで日本本土に接近しています。
9月19日深夜から9月21日にかけて、日本の太平洋岸を九州から関東まで、東北東に進む見込みです。
この影響で、台風の進路にあたる地域では暴風雨の恐れがあり、離れた地域でも前線の影響で、広い範囲で大雨になることが予想されていますので、厳重に警戒してください。
<台風16号の進路予想 2016年9月19日21時 (気象庁HP)>
改めて台風への準備を紹介します。
まずは、飲み水や食糧、ライト、ラジオ、スマホ・携帯電話と充電器、生活用水(お風呂に水をためておく)を確保してください。
また、避難ルートの確認や、自治体からの避難情報(避難指示、避難勧告、避難準備情報)の早い取得手段(テレビ、ラジオ、スマホ、防災無線など)を確保しておきましょう。
特に、岩手県の場合で問題になったように、「避難準備情報は、単独で避難できない子供・老人・身体障害者などには即避難のサインであること」に注意してください。
もう一つ、水害の場合は「夜や豪雨の中を非難するより、2階など高い所に避難する方が安全な場合
があること」にも注意してください。
それにしても、今年は台風が多いですね。
もし、台風16号が日本本土(本州、北海道、九州、四国)に上陸すると、2016(平成28)年で6個めとなります。
これは、1990(平成2)年と1993(平成5)年の6個と並ぶ、気象庁の観測史上2番目に多い記録になります。
ちなみに、観測史上1位は、2004(平成16)年の10個です。
○2016年9月19日22時00分現在の警報発表地域(12県)
静岡県、愛知県、徳島県、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県(うち、愛知県と宮崎県では「土砂災害警戒情報」が出ているところがあります。
<2016年9月16日18時現在の天気図 (気象庁)>
おしまいに、ニュースでよく使われる「雨の強さ」の表現を紹介します。
1) 「やや強い雨」(1時間に10mm以上20mm未満)
2) 「強い雨」(1時間に20mm以上30mm未満)
3) 「激しい雨」(1時間に30mm以上50mm未満)
4) 「非常に激しい雨」(1時間に50mm以上80mm未満)
5) 「猛烈な雨」(1時間に80mm以上)
気象庁の目安では、「激しい雨」(30mm以上)で道路が川のようになり、「非常に激しい雨」(50mm以上)になると、傘は役に立たず車の運転は危険です。
そして「猛烈な雨」(80mm以上)では、大災害が起こる危険もあります。
最後に、国土交通省が運営している「川の防災情報」を、スマホやパソコンで検索して「お気に入り」に入れておくと、全国の川の水位や雨量、レーダー雨量などが、無料で見ることができます。
それでは、これらも活用して、台風16号に備えてください。
リオのヒーローたち(5)誕生日が同じ2選手を分けるメダルと入賞~カヌー・羽根田選手ほか
「オリンピックでは、銅メダルと4位以下では、その後の人生に大きな違いがあります。」 これは、1992年のスペインのバルセロナオリンピックで2つの銅メダル(個人・デュエット)を獲得したシンクロナイズドスイミングの奥野史子(おくの・ふみこ)さんの言葉です。
確かに、オリンピックのあと、報奨金をもらったりテレビに出演しているのは、ほぼメダリストだけです。そして、このあとも「リオのメダリスト」として、一生、履歴に残り、スポンサーもつきます。
奥野史子さんは、夫の朝原宣治さんも北京オリンピックの銅メダリスト(陸上男子・4×100mmリレー)ですので、メダルの恩恵を身に染みてわかっているのだと思います。
対して、入賞者はどうでしょうか?
今回は、人生を賭けたオリンピック選手たちの戦いのうち、メダルを獲った選手と獲れなかった選手とを紹介します。
まずは、リオデジャイロ・オリンピックのカヌー競技で、日本人初、いやアジア初のメダル(銅メダル・スラローム)を獲得した羽根田卓也(はねだ・たくや)選手です。
羽根田選手は、1987(昭和62)年7月17日、愛知県豊田市出身の29歳です。
9歳の時に、元カヌー選手だったお父さんの影響でカヌーを始め、地元の朝日丘中学校から杜若(とじゃく)高校に進学しました。
高校時代の羽根田選手は、「上手くなりたい、強くなりたい」との一心で全力少年になりました。
朝6時前に家を出ると、近くの矢作川の支流・巴川にある「岡崎カヌー練習場」で朝練をしました。
それが終わると、10km以上離れた杜若高校までスクールバスで登校しました。バス停のない練習場へ羽根田選手のためにスクールバスが迎えにきてくれました。
昼休みには校庭で懸垂をし、夕方、もう一度スクールバスで「岡崎カヌー練習場」へ行き、暗くなるまで練習をつづけました。
羽根田選手は、最初は直線の速さを競う「スプリント」をやっていましたが、激流でゲートをくぐる「スラローム」に変更し、高校3年で日本選手権を制しました。
羽根田卓也選手が「世界」を目指すようになったのは、中学3年の時、ポーランドで世界的なレベルを知った時でした。
「日本にいたのでは世界と戦えない」と悟った羽根田選手は、2006年、高校を卒業すると、カヌーの強豪国であるスロバキア(中央ヨーロッパ)に渡り、2009年に「コメンスキー大学の体育スポーツ学部」に進学し、世界を転戦するようになります。(現在はコメンスキー大学の大学院に在籍)
2008年の北京オリンピックでは予選落ちしましたが、2012年のロンドンオリンピックでは7位に入賞し、日本でスポンサーを探します。
しかし、日本から1人のメダリストも出していないマイナースポーツである「カヌー」に、資金援助してくれるスポンサーはなかなか見つかりませんでした。
資金を集めるのには、やっぱり「メダル」が必要なんですね。
フェンシングの大田選手でさえ、北京オリンピックでメダルを獲るまでは無職で、「ニート剣士」と呼ばれていました。
羽根田選手は、唯一、面接をしてくれた「ミキハウス」にスポンサーになってもらうことができ、スロバキアに渡って10年後の2016年リオデジャネイロ・オリンピックで、ついに日本初、いやアジア初のメダルをカヌー競技で獲りました。
彼のメダルを一番に喜んでくれたのが、世界でともに戦ってきた外国の選手たちだったことが、羽根田卓也選手の苦労を象徴していますね。
<カヌー・スラローム>
羽根田卓也選手と同じリオデジャネイロ・オリンピックに出場した選手に、レスリング男子グレコローマンスタイル66キロ級の井上智裕(いのうえ・ともひろ)選手がいます。
彼は、兵庫県神戸市の出身で、1987(昭和62)年7月17日に生まれました。お気づきになりましたか?
そうなんです、羽根田選手と井上選手は生年月日がまったく同じなんです。
井上智裕選手は、兵庫県の育英(いくえい)高校から日本体育大学に進学し、卒業後、母校・育英高校の教員になりました。
井上選手は、高校の時からレスリング・グレコローマンの選手として活躍し、2012年のロンドンオリンピック出場を目指しますが、国内選考会の全日本選手権で敗れ引退します。
ちなみに、オリンピックのレスリング競技には、「フリースタイル(男子・女子)」と「グレコローマン(男子のみ)」があり、井上選手が選んだグレコローマンは「腰から上だけを攻撃する競技」で、「ギリシャとローマ」という言葉の意味が表すとおり、古代ローマなどが発祥と言われています。
引退して抜け殻にようになった井上智裕さんに、奥さんの裕美さんは「もう1度、レスリングをやってみたら。」と背中を押します。
井上さんは、2013年3月に育英高校を退職し、裕美さんと7歳の長男を連れて横浜に引っ越し、母校の日本体育大学で練習を始めます。
貯蓄を取り崩し、アルバイトでピザの配達をしながら練習します。
そんな井上選手の記事を見た「三恵海運(神戸市)」が、スポンサーに名乗り出てくれてやっと練習に専念できるようになります。
2014年、2015年の全日本選手権を連覇したあと2016年のアジア選手権にも優勝し、ついにリオデジャネイロ・オリンピックの切符を手にします。
しかし、人生を賭けたリオ・オリンピックの2回戦でセルビアの選手に敗れてしまい、敗者復活戦の3位決定戦でもジョージアの選手に負けて、5位入賞で終わってしまいました。
オリンピック終了後、銅メダリストの羽根田卓也選手は「ハネタク」というニックネームをもらって、多数のテレビに出演し、報奨金ももらいました。
一方で、5位入賞の井上智裕選手はテレビにも出ないし、新聞記事も見たことがありません。
2014年には長女が生まれ、4人家族になった井上選手は試合後のインタービューで、「メダルをとって恩返しをしたかったけど、ありがとうとみなさんにお礼を言いたいです。」と話しています。
<レスリング・グレコローマン>
オリンピックは、多くのアスリートの人生を賭けた「夢」だと思います。
オリンピックに出られるのも一握りの選手だし、その中で「メダリスト」になるのは奇跡的なことです。
「努力して夢をつかむ」選手と「努力してもメダリストになれない」選手が出るのは、仕方のないことです。
シビアで残酷ですが、でも、だからこそ、世界中の選手たちが4年に1度の「オリンピック・ドリーム」を目指して、人生を賭けた戦いをするのだと思います。
すでに、次の「2020年東京オリンピック大会」への戦いは始まっています。
選手たちはもちろん、わたしたちも2020年に「それぞれの夢のゴール」を定めて、人生のメダルに向かってがんばってみませんか。
状況は最悪で夢は遠くても、お互い奇跡を信じてがんばっていきましょう!
「見せてやれ底力」
確かに、オリンピックのあと、報奨金をもらったりテレビに出演しているのは、ほぼメダリストだけです。そして、このあとも「リオのメダリスト」として、一生、履歴に残り、スポンサーもつきます。
奥野史子さんは、夫の朝原宣治さんも北京オリンピックの銅メダリスト(陸上男子・4×100mmリレー)ですので、メダルの恩恵を身に染みてわかっているのだと思います。
対して、入賞者はどうでしょうか?
今回は、人生を賭けたオリンピック選手たちの戦いのうち、メダルを獲った選手と獲れなかった選手とを紹介します。
まずは、リオデジャイロ・オリンピックのカヌー競技で、日本人初、いやアジア初のメダル(銅メダル・スラローム)を獲得した羽根田卓也(はねだ・たくや)選手です。
羽根田選手は、1987(昭和62)年7月17日、愛知県豊田市出身の29歳です。
9歳の時に、元カヌー選手だったお父さんの影響でカヌーを始め、地元の朝日丘中学校から杜若(とじゃく)高校に進学しました。
高校時代の羽根田選手は、「上手くなりたい、強くなりたい」との一心で全力少年になりました。
朝6時前に家を出ると、近くの矢作川の支流・巴川にある「岡崎カヌー練習場」で朝練をしました。
それが終わると、10km以上離れた杜若高校までスクールバスで登校しました。バス停のない練習場へ羽根田選手のためにスクールバスが迎えにきてくれました。
昼休みには校庭で懸垂をし、夕方、もう一度スクールバスで「岡崎カヌー練習場」へ行き、暗くなるまで練習をつづけました。
羽根田選手は、最初は直線の速さを競う「スプリント」をやっていましたが、激流でゲートをくぐる「スラローム」に変更し、高校3年で日本選手権を制しました。
羽根田卓也選手が「世界」を目指すようになったのは、中学3年の時、ポーランドで世界的なレベルを知った時でした。
「日本にいたのでは世界と戦えない」と悟った羽根田選手は、2006年、高校を卒業すると、カヌーの強豪国であるスロバキア(中央ヨーロッパ)に渡り、2009年に「コメンスキー大学の体育スポーツ学部」に進学し、世界を転戦するようになります。(現在はコメンスキー大学の大学院に在籍)
2008年の北京オリンピックでは予選落ちしましたが、2012年のロンドンオリンピックでは7位に入賞し、日本でスポンサーを探します。
しかし、日本から1人のメダリストも出していないマイナースポーツである「カヌー」に、資金援助してくれるスポンサーはなかなか見つかりませんでした。
資金を集めるのには、やっぱり「メダル」が必要なんですね。
フェンシングの大田選手でさえ、北京オリンピックでメダルを獲るまでは無職で、「ニート剣士」と呼ばれていました。
羽根田選手は、唯一、面接をしてくれた「ミキハウス」にスポンサーになってもらうことができ、スロバキアに渡って10年後の2016年リオデジャネイロ・オリンピックで、ついに日本初、いやアジア初のメダルをカヌー競技で獲りました。
彼のメダルを一番に喜んでくれたのが、世界でともに戦ってきた外国の選手たちだったことが、羽根田卓也選手の苦労を象徴していますね。
<カヌー・スラローム>
羽根田卓也選手と同じリオデジャネイロ・オリンピックに出場した選手に、レスリング男子グレコローマンスタイル66キロ級の井上智裕(いのうえ・ともひろ)選手がいます。
彼は、兵庫県神戸市の出身で、1987(昭和62)年7月17日に生まれました。お気づきになりましたか?
そうなんです、羽根田選手と井上選手は生年月日がまったく同じなんです。
井上智裕選手は、兵庫県の育英(いくえい)高校から日本体育大学に進学し、卒業後、母校・育英高校の教員になりました。
井上選手は、高校の時からレスリング・グレコローマンの選手として活躍し、2012年のロンドンオリンピック出場を目指しますが、国内選考会の全日本選手権で敗れ引退します。
ちなみに、オリンピックのレスリング競技には、「フリースタイル(男子・女子)」と「グレコローマン(男子のみ)」があり、井上選手が選んだグレコローマンは「腰から上だけを攻撃する競技」で、「ギリシャとローマ」という言葉の意味が表すとおり、古代ローマなどが発祥と言われています。
引退して抜け殻にようになった井上智裕さんに、奥さんの裕美さんは「もう1度、レスリングをやってみたら。」と背中を押します。
井上さんは、2013年3月に育英高校を退職し、裕美さんと7歳の長男を連れて横浜に引っ越し、母校の日本体育大学で練習を始めます。
貯蓄を取り崩し、アルバイトでピザの配達をしながら練習します。
そんな井上選手の記事を見た「三恵海運(神戸市)」が、スポンサーに名乗り出てくれてやっと練習に専念できるようになります。
2014年、2015年の全日本選手権を連覇したあと2016年のアジア選手権にも優勝し、ついにリオデジャネイロ・オリンピックの切符を手にします。
しかし、人生を賭けたリオ・オリンピックの2回戦でセルビアの選手に敗れてしまい、敗者復活戦の3位決定戦でもジョージアの選手に負けて、5位入賞で終わってしまいました。
オリンピック終了後、銅メダリストの羽根田卓也選手は「ハネタク」というニックネームをもらって、多数のテレビに出演し、報奨金ももらいました。
一方で、5位入賞の井上智裕選手はテレビにも出ないし、新聞記事も見たことがありません。
2014年には長女が生まれ、4人家族になった井上選手は試合後のインタービューで、「メダルをとって恩返しをしたかったけど、ありがとうとみなさんにお礼を言いたいです。」と話しています。
<レスリング・グレコローマン>
オリンピックは、多くのアスリートの人生を賭けた「夢」だと思います。
オリンピックに出られるのも一握りの選手だし、その中で「メダリスト」になるのは奇跡的なことです。
「努力して夢をつかむ」選手と「努力してもメダリストになれない」選手が出るのは、仕方のないことです。
シビアで残酷ですが、でも、だからこそ、世界中の選手たちが4年に1度の「オリンピック・ドリーム」を目指して、人生を賭けた戦いをするのだと思います。
すでに、次の「2020年東京オリンピック大会」への戦いは始まっています。
選手たちはもちろん、わたしたちも2020年に「それぞれの夢のゴール」を定めて、人生のメダルに向かってがんばってみませんか。
状況は最悪で夢は遠くても、お互い奇跡を信じてがんばっていきましょう!
「見せてやれ底力」
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