2016年9月23日金曜日

リオのヒロイン(6)片腕のスプリンター・辻沙絵選手とパラリンピック

ここまで5回に渡ってリオデジャネイロ・オリンピックのヒーロー、ヒロインの皆さんを紹介してきましたが、6回目は「オリンピック」ではなく、「リオ・パラリンピック」のヒロイン・辻沙絵(つじ・さえ)さんを紹介します。 2016(平成28)年のパラリンピックは、リオ・オリンピックが終わった9月7日から18日まで、ブラジル・リオデジャネイロのオリンピックと同じ会場で開催されました。
 参加国は160ヶ国以上、22競技、528種目に4300人以上が参加しました。

 日本勢は金メダルこそ取れませんでしたが、銀10個、銅14個の24個のメダルを取りました。
 そんなメダリストの1人に、日本体育大学の学生、21歳の辻沙絵選手がいます。

 辻選手は、生まれつき右手のひじから先がありませんが、日本代表のスプリンターとして、リオ・パラリンピックに初出場し、陸上女子400m(T45/T46/T47クラス、辻さんはT47=片前腕切断または片前腕最小の障害基準に該当)で銅メダルを獲得し、100m(同)で7位、200m(同)でも7位に入賞しました。


<辻沙絵さんのパラリンピック出場を応援するポスター>




 辻沙絵(つじ・さえ)さんは、1994(平成6)年10月28日、北海道の函館市に近い人口3万人足らずの町、七尾町で生まれました。 
 彼女は小さい頃は自分の手が人と違うのに気づかず、弟が生まれた時に両手があるのを見て、初めて自分の右手のひじから先がないことに気づいたそうです。
 でも、挫けずことなく、明るく積極的な子供で、「できないことを減らしていこう」と思いがんばりました。

 函館市立鍛神小学校5年生の時からハンドボールを始めた辻さんは、両手を使うハンドボール競技でも必死の努力で、健常者と対等以上の活躍をします。

 ボールを胸で止めたり、左手一本でとってシュートしたり、じん帯断絶などの痛い思いをしながらもハンドボールの名選手になりました。

 そして、ハンドボールの強豪校、茨城県立水海道第二高校に進学した辻選手は、インターハイ(高校総体)で、健常者に混じって全国のベストエイトに進出し、国体の選手にも選ばれました。
 さらにスポーツ推薦で、日本体育大学に進学します。
 すばらしい頑張り屋ですね。

 大学でも、関東リーグ1部で活躍していた辻選手でしたが、突然、大学のハンドボール部の監督に「パラリンピックの陸上」への転向を勧められます。
 辻選手の瞬発力が高いからという理由だそうですが、本当は日体大の「70人をオリンピック・パラリンピックへ」という目標の達成のためということも、あったのかもしれません。

 「ハンドボールで健常者と対等に渡り合えている私は、パラリンピックとは無縁」と、最初は躊躇(ちゅうちょ)した辻沙絵選手ですが、いざ障害者の陸上大会に出場すると、あっというまに才能を発揮します。

 陸上を始めてわずか1年で、100m12秒86、200m27秒08、400m59秒72というすばらしい日本記録を打ち立てて、見事リオデジャネイロ・パラリンピックの日本代表になりました。
以降は、「実力と美貌をもち会わせたアスリート」として脚光を浴びています。

 辻沙絵選手は、右手の先がないので地上につくのは左手と両足の3点だけのスタートになります。
 スタートで地面をつく力も減りますし、スタート直後はどうしても左に体が傾いてしまいます。
 こんなハンディの中で、100m12秒台で走る女子がいること自体が、すごいことだと思います。

 初出場のパラリンピックの陸上女子400mで、みごと銅メダルをとった辻選手は、インタービューに答えてこう言っています。
「大好きだったハンドボールを辞め、いろいろなものを犠牲にしてきました。
 それがメダルという形になって良かったと思います。
 でも、100%満足はしていません。」

<パラリンピックのマーク>


ここからは、「パラリンピック」について紹介します。

 パラリンピックの語源については、諸説あって通説はありません。
 有力な説としては、2つあります。

 第1は、「もう一つのオリンピック」(「もう一つの(Parallel)」+オリンピック(Olympic)」)という説です。
 第2の説は、「パラブレジア(Paraplegia、脊髄損傷等による下半身麻痺者)+オリンピック(Olympic)」という説です。
 2つとも造語ですが、誰が作ったかははっきりしません。「日本人命名説」もあります。

 現在の「パラリンピック大会」の起源とされているのは、1948(昭和23)年7月28日、ロンドンオリンピック開会式の日に、イギリスのストーン・マンデビル病院で、「第二次世界大戦」で負傷した兵士たちのリハバリのために行われた「障害者の競技大会」です。
 「手術よりスポーツを」というスローガンのもとで始められたと伝えられています。

 最初は1病院の入院患者の大会だったのが次第に国際大会になって広がり、ついには1960(昭和35)年のローマオリンピックの時に「第1回パラリンピック(当時の名前は、第9回ストーン・マンデビル大会)」がローマで開催されました。

 1988(昭和63)年のソウル・オリンピック後に開催された大会から、正式に「パラリンピック」と呼ばれるようになりました。
 また、1992(平成4)年に行われたフランスのアルベールビル冬季オリンピックからは、冬季パラリンピックも開かれるようになりました。

 さらに、2000(平成12)年のオーストラリアのシドニーで行われたオリンピックからは、パラリンピックの開催がオリンピック開催地の義務になりました。

 1960年のローマ大会では、わずか23ヶ国400人の参加でしたが、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは、178ヶ国、4350人もの人たちが参加しています。


 パラリンピックは、NHKなどではオリンピックの閉会後、オリンピックと同じテーマ曲・画像で報道され、障害者の人たちの「生き甲斐」「目的」ともなっていて、すばらしいと思います。

 しかし、あえて言わせてもらえば、「パラリンピック」にはいくつか問題もあります。

 1つは費用面で、参加や練習には多額の費用が必要で、日本では1人平均で年130万円とも言われています。
 スポンサーのついている一部の選手以外は、お金がなければ参加できない「高嶺の花」となっています。中には、参加費用を捻出するために、ヌード写真集を出した女子選手もいます。

 もう1つは、クラス分けの複雑さとメダルの価値の問題です。
 たとえば、リオ・パラリンピックの男子100mには16のクラス(16個の金メダル)があり、辻沙絵選手が出場した女子100mには14のクラス(14個の金メダル)があります。

 いろいろなハンディをもった選手に「メダルのチャンスを」という配慮はよくわかりますが、一方でオリンピックに準じる大会として「パラリンピック」を位置づけるなら、「世界一」のメダルの数は増やしすぎてはいけないのでは、とも思います。

 理想は、「障害者も対等に健常者と競い合えるオリンピック」ではないのかなとも思います。

 辻沙絵さんは、今後の夢を聞かれて、こう答えています。
「卓球の選手で、パラとオリンピックの両方に出ている人がいます。(福原愛・伊藤美誠選手と卓球ダブルスで対戦したポーランドのナタリア・パルティカ選手は片方の手のひじから先がありません。)
 私も、どっちの世界でも通用する選手になりたいです。」

 辻沙絵さんの、ポジティブさはすごいですね。応援したいと思います。
 東京オリンピックと東京パラリンピックの両方に、辻沙絵さんが出たらすばらしいことだと思いませんか。

<片手でハンドボールをする辻沙絵さん>



最後に、NHKのリオ・オリンピックとリオ・パラリンピックの共通のテーマ曲になった、安室奈美恵さんが歌う「HERO」の一部を紹介します。


♪「Hero」♪

歌:安室奈美恵 
作詞・作曲:Ryosuke Imai・SUNNY BOY


I’ll be your hero
I’ll be your hero

いろんな色で染まる 世界で
一人で 
振り向かなくてもいい
今までの君のまま進めばいいから

あきらめないで everyday
君だけのための hero
どんな日もそばにいるよ

Oh Oh… I’ll be your hero
君だけのための hero

強くなれる訳は 大切な人が
常に笑顔で支えてくれた
だから乗り越えられる
険しい道のりも

君と交わした 約束の場所
たどりついてみせる
いつか必ず forevermore ♪
 


2016年9月19日月曜日

台風16号が太平洋岸を東進? 暴風雨に警戒 ~上陸すれば6個目で観測史上2位~

台風16号(マラカス=フィリピンの言葉で「強い」という意味)と本州の南岸に伸びる前線の影響で、九州、中国・四国、近畿、東海、関東の太平洋岸を中心に「暴風雨」になる可能性が高まっています。

 気象庁の発表では、2016年9月19日21時現在、「非常に強い台風16号」は、鹿児島県枕崎市の南西約80kmの北緯30度50分、東経129度40分の東シナ海にあって、時速30kmで東北東に進んでいます。
 中心気圧は945hp(ヘクトパスカル)、中心付近の最大風速は45m/sで、中心から110kmの範囲では風速25m/s以上の暴風雨になっています。

 この台風16号は、日本のはるか南海上で誕生し西へ進み、台湾の手前で北上して、沖縄の先島諸島から東シナ海を大きく回り込んで日本本土に接近しています。
 9月19日深夜から9月21日にかけて、日本の太平洋岸を九州から関東まで、東北東に進む見込みです。

 この影響で、台風の進路にあたる地域では暴風雨の恐れがあり、離れた地域でも前線の影響で、広い範囲で大雨になることが予想されていますので、厳重に警戒してください。

<台風16号の進路予想 2016年9月19日21時 (気象庁HP)>



改めて台風への準備を紹介します。

 まずは、飲み水や食糧、ライト、ラジオ、スマホ・携帯電話と充電器、生活用水(お風呂に水をためておく)を確保してください。

 また、避難ルートの確認や、自治体からの避難情報(避難指示、避難勧告、避難準備情報)の早い取得手段(テレビ、ラジオ、スマホ、防災無線など)を確保しておきましょう。

 特に、岩手県の場合で問題になったように、「避難準備情報は、単独で避難できない子供・老人・身体障害者などには即避難のサインであること」に注意してください。

 もう一つ、水害の場合は「夜や豪雨の中を非難するより、2階など高い所に避難する方が安全な場合
があること」にも注意してください。


 それにしても、今年は台風が多いですね。
 もし、台風16号が日本本土(本州、北海道、九州、四国)に上陸すると、2016(平成28)年で6個めとなります。

 これは、1990(平成2)年と1993(平成5)年の6個と並ぶ、気象庁の観測史上2番目に多い記録になります。
 ちなみに、観測史上1位は、2004(平成16)年の10個です。

○2016年9月19日22時00分現在の警報発表地域(12県)

 静岡県、愛知県、徳島県、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県(うち、愛知県と宮崎県では「土砂災害警戒情報」が出ているところがあります。 


<2016年9月16日18時現在の天気図 (気象庁)>


 おしまいに、ニュースでよく使われる「雨の強さ」の表現を紹介します。

1) 「やや強い雨」(1時間に10mm以上20mm未満)
2) 「強い雨」(1時間に20mm以上30mm未満)
3) 「激しい雨」(1時間に30mm以上50mm未満)
4) 「非常に激しい雨」(1時間に50mm以上80mm未満)
5) 「猛烈な雨」(1時間に80mm以上)

 気象庁の目安では、「激しい雨」(30mm以上)で道路が川のようになり、「非常に激しい雨」(50mm以上)になると、傘は役に立たず車の運転は危険です。
 そして「猛烈な雨」(80mm以上)では、大災害が起こる危険もあります。

 最後に、国土交通省が運営している「川の防災情報」を、スマホやパソコンで検索して「お気に入り」に入れておくと、全国の川の水位や雨量、レーダー雨量などが、無料で見ることができます。

 それでは、これらも活用して、台風16号に備えてください。
 

リオのヒーローたち(5)誕生日が同じ2選手を分けるメダルと入賞~カヌー・羽根田選手ほか 

 「オリンピックでは、銅メダルと4位以下では、その後の人生に大きな違いがあります。」 これは、1992年のスペインのバルセロナオリンピックで2つの銅メダル(個人・デュエット)を獲得したシンクロナイズドスイミングの奥野史子(おくの・ふみこ)さんの言葉です。

 確かに、オリンピックのあと、報奨金をもらったりテレビに出演しているのは、ほぼメダリストだけです。そして、このあとも「リオのメダリスト」として、一生、履歴に残り、スポンサーもつきます。
 奥野史子さんは、夫の朝原宣治さんも北京オリンピックの銅メダリスト(陸上男子・4×100mmリレー)ですので、メダルの恩恵を身に染みてわかっているのだと思います。

 対して、入賞者はどうでしょうか?
 今回は、人生を賭けたオリンピック選手たちの戦いのうち、メダルを獲った選手と獲れなかった選手とを紹介します。



 まずは、リオデジャイロ・オリンピックのカヌー競技で、日本人初、いやアジア初のメダル(銅メダル・スラローム)を獲得した羽根田卓也(はねだ・たくや)選手です。


 羽根田選手は、1987(昭和62)年7月17日、愛知県豊田市出身の29歳です。
 9歳の時に、元カヌー選手だったお父さんの影響でカヌーを始め、地元の朝日丘中学校から杜若(とじゃく)高校に進学しました。

 高校時代の羽根田選手は、「上手くなりたい、強くなりたい」との一心で全力少年になりました。

 朝6時前に家を出ると、近
くの矢作川の支流・巴川にある「岡崎カヌー練習場」で朝練をしました。
 それが終わると、10km以上離れた杜若高校までスクールバスで登校しました。バス停のない練習場へ羽根田選手のためにスクールバスが迎えにきてくれました。

 昼休みには校庭で懸垂をし、夕方、もう一度スクールバスで「岡崎カヌー練習場」へ行き、暗くなるまで練習をつづけました。

 羽根田選手は、最初は直線の速さを競う「スプリント」をやっていましたが、激流でゲートをくぐる「スラローム」に変更し、高校3年で日本選手権を制しました。

 羽根田卓也選手が「世界」を目指すようになったのは、中学3年の時、ポーランドで世界的なレベルを知った時でした。
 「日本にいたのでは世界と戦えない」と悟った羽根田選手は、2006年、高校を卒業すると、カヌーの強豪国であるスロバキア(中央ヨーロッパ)に渡り、
2009年に「コメンスキー大学の体育スポーツ学部」に進学し、世界を転戦するようになります。(現在はコメンスキー大学の大学院に在籍)

 2008年の北京オリンピックでは予選落ちしましたが、2012年のロンドンオリンピックでは7位に入賞し、日本でスポンサーを探します。
 しかし、日本から1人のメダリストも出していないマイナースポーツである「カヌー」に、資金援助してくれるスポンサーはなかなか見つかりませんでした。

 資金を集めるのには、やっぱり「メダル」が必要なんですね。
 フェンシングの大田選手でさえ、北京オリンピックでメダルを獲るまでは無職で、「ニート剣士」と呼ばれていました。

 羽根田選手は、唯一、面接をしてくれた「ミキハウス」にスポンサーになってもらうことができ、スロバキアに渡って10年後の2016年リオデジャネイロ・オリンピックで、ついに日本初、いやアジア初のメダルをカヌー競技で獲りました。

 彼のメダルを一番に喜んでくれたのが、世界でともに戦ってきた外国の選手たちだったことが、羽根田卓也選手の苦労を象徴していますね。

<カヌー・スラローム>



羽根田卓也選手と同じリオデジャネイロ・オリンピックに出場した選手に、レスリング男子グレコローマンスタイル66キロ級の井上智裕(いのうえ・ともひろ)選手がいます。

 彼は、兵庫県神戸市の出身で、1987(昭和62)年7月17日に生まれました。お気づきになりましたか?
 そうなんです、羽根田選手と井上選手は生年月日がまったく同じなんです。

 井上智裕選手は、兵庫県の育英(いくえい)高校から日本体育大学に進学し、卒業後、母校・育英高校の教員になりました。
 井上選手は、高校の時からレスリング・グレコローマンの選手として活躍し、2012年のロンドンオリンピック出場を目指しますが、国内選考会の全日本選手権で敗れ引退します。

 ちなみに、オリンピックのレスリング競技には、「フリースタイル(男子・女子)」と「グレコローマン(男子のみ)」があり、井上選手が選んだグレコローマンは「腰から上だけを攻撃する競技」で、「ギリシャとローマ」という言葉の意味が表すとおり、古代ローマなどが発祥と言われています。

 引退して抜け殻にようになった井上智裕さんに、奥さんの裕美さんは「もう1度、レスリングをやってみたら。」と背中を押します。

 井上さんは、2013年3月に育英高校を退職し、裕美さんと7歳の長男を連れて横浜に引っ越し、母校の日本体育大学で練習を始めます。
 貯蓄を取り崩し、アルバイトでピザの配達をしながら練習します。

 そんな井上選手の記事を見た「三恵海運(神戸市)」が、スポンサーに名乗り出てくれてやっと練習に専念できるようになります。

 2014年、2015年の全日本選手権を連覇したあと2016年のアジア選手権にも優勝し、ついにリオデジャネイロ・オリンピックの切符を手にします。

 しかし、人生を賭けたリオ・オリンピックの2回戦でセルビアの選手に敗れてしまい、敗者復活戦の3位決定戦でもジョージアの選手に負けて、5位入賞で終わってしまいました。 


 オリンピック終了後、銅メダリストの羽根田卓也選手は「ハネタク」というニックネームをもらって、多数のテレビに出演し、報奨金ももらいました。

 一方で、5位入賞の井上智裕選手はテレビにも出ないし、新聞記事も見たことがありません。
 2014年には長女が生まれ、4人家族になった井上選手は試合後のインタービューで、「メダルをとって恩返しをしたかったけど、ありがとうとみなさんにお礼を言いたいです。」と話しています。


<レスリング・グレコローマン>




 オリンピックは、多くのアスリートの人生を賭けた「夢」だと思います。
 オリンピックに出られるのも一握りの選手だし、その中で「メダリスト」になるのは奇跡的なことです。
 「努力して夢をつかむ」選手と「努力してもメダリストになれない」選手が出るのは、仕方のないことです。

 シビアで残酷ですが、でも、だからこそ、世界中の選手たちが4年に1度の「オリンピック・ドリーム」を目指して、人生を賭けた戦いをするのだと思います。
 
 すでに、次の「2020年東京オリンピック大会」への戦いは始まっています。

 選手たちはもちろん、わたしたちも2020年に「それぞれの夢のゴール」を定めて、人生のメダルに向かってがんばってみませんか。

 状況は最悪で夢は遠くても、お互い奇跡を信じてがんばっていきましょう! 
 「見せてやれ底力」



2016年9月11日日曜日

リオのヒロイン(4)レスリング4連覇・伊調薫選手 ~吉田の影から表舞台へ~

「リオデジャネイロ・オリンピックのヒーロー・ヒロイン」、4回目は、オリンピックの同一種目で女子初の4大会連続「金メダル」を獲った、レスリング63kg級の伊調馨選手を紹介します。
 伊調馨(いちょうかおり)選手は、1984(昭和59)年6月13日に、青森県八戸市生まれた32歳です。

 伊調馨さんは、姉・伊調千春さんと兄・伊調寿行さん(2人とも元・オリンピック代表)に刺激を受け、3歳の時に地元の「八戸クラブ」に入りレスリングをはじめました。
 八戸市立長者小学校を卒業し、中学時代には全国優勝をしています。

 中学を卒業すると、実家を離れてレスリングの強豪校、愛知県の中京女子大学付属高校(現・至学館高等学校)から、姉の伊調千春の在籍する中京女子大学(現・至学館大学)に進学します。

 中京女子大学(現・至学館大学)レスリング部は、栄和人監督(前日本レスリングヘッドコーチ)の指導の下、吉田沙保里選手(オリンピック3大会金メダル)をはじめ、リオオリンピック金メダリストの土性沙羅、登坂絵莉の両選手など、多くのメダリストを輩出しています。
 ちなみに栄監督は、女子レスリングで金メダルを獲るたびに、女子選手たちに投げられたり肩車をしたりするスキンヘットのあのおじさんです。(笑)

<2016年5月、リオオリンピック前に母校・長者小学校を訪問した時の伊調薫選手のサイン> 

伊調薫選手は、最初56kg級で試合をしていましたが、同じ階級に吉田沙保里選手がいて苦戦していました。(通算1勝2敗) そこで、1階級あげて63kg級に変更しました。

 63kg級では無敵と言ってもよく、2004年のアテネオリンピックで初めて金メダルを獲ったのを皮切りに、2008年の北京オリンピック、2012年のロンドンオリンピックと、女子63kg級レスリングでオリンピック3連覇を達成しました。

 オリンピック3連覇ということでは、同じレスリングの55kg級でアテネ・北京・ロンドンと3連覇した吉田沙保里と同じ成績でした。
 ところが、吉田が2012年11月に「国民栄誉賞」を贈られたのに対し、伊調には贈られませんでした。

 吉田が世界大会(オリンピック+世界選手権)で13連勝をしたのに対し、伊調薫選手は2008年北京オリンピックのあと、1度は引退を表明しカナダへ留学し、世界選手権に出場しませんでした。
 ここで、差がついたと言われていますが、伊調薫選手も、2007年に怪我で不戦敗になったのをのぞけば、2003年5月から2016年1月まで189連勝していて、記録上は遜色ありません。 

 一方で、吉田沙保里選手が明るく人当たりのいい性格で、テレビなどマスコミに積極的に出るのに対し、言葉数も少なくテレビなどにもほとんど出ないので、「吉田の陽」に対し「伊調の陰」と言われていることも影響があったのではないかいう説もあります。
 伊調自身は、「(吉田)沙保里さんがいなければ、レスリングがここまで注目されませんでした。負担が沙保里さん1人にいってしまって、本当に申し訳ない。」と、申し訳なさそうに話しています。


<伊調馨選手の金メダル 記念切手>

しかし、2016年リオデジャネイロ・オリンピックでは、吉田沙保里選手が決勝で敗れ銀メダルだったのに対し、伊調馨選手は残り数秒で逆転して、見事、金メダルを獲得しました。
 女子初の「オリンピック同種目4連覇」を達成した伊調選手は、それまで吉田沙保里選手の影に隠れていましたが、やっと陽の当たる表舞台に出ることになりました。
 ぜひ、今年こそ、「国民栄誉賞」を受賞してほしいものです。
 ちなみに、夏のオリンピックで、同一種目4連覇(金4個)したのは、男子ヨット・フィン級のポール・エルブストロム(デンマーク、1948年~1960年)、男子円盤投げのアル・オーター(アメリカ 1956年~1968年)、男子走り幅跳びのカール・ルイス(アメリカ 1984年~1996年)、そして競泳男子200m個人メドレーのマイケル・フェルプス(アメリカ 2004年~2016年)の4人だけで、伊調馨選手が5人目、女子では初めてです。


 最後に、伊調馨選手が北京オリンピック後に、一旦、引退表明してカラダへ留学した時の伊調薫選手のエピソードを紹介します。

 カナダで子供たちにレスリングを指導する、元世界選手権チャンピオンのクリスティン・ノードヘーゲンさんに伊調選手が、「日本では小さい頃から、負けたら怒られるし、落ち込む。」と話すと、ヘーゲンさんは「好きでやっているなら、楽しまないともったいなわ。」と答えました。
 伊調選手は「なるほど」と感心し、考え方を変えたそうです。

 伊調選手はテレビなどの出演を原則として断る代わりに、「私には現場があっている。」と言って、地方へ出かけて子供たちの指導をしています。

 伊調薫選手は、リオ・オリンピックの直前に、次のような話をしていました。
「リオが終わったら、自分が覚えたレスリングをどんなレベルの人たちにも言葉で伝えられるように勉強したい。一線を退いた人生の方が長いですから。
 でも、レスリングは生き甲斐なので、関わっていたい。」

 彼女は引退も考えていたようですが、オリンピック4連覇した伊調薫選手には、「東京オリンピック・金メダル」、そして「オリンピック5連覇」の期待が高まっています。
 もう少し、第1線でがんばってもらって、それから子供たちの指導にあたってもらいたいと願っています。

2016年9月8日木曜日

台風13号と前線の影響で「全国的に大雨」に注意してください1

台風13号(マーロウ=マカオの言葉で瑪瑙(めのう))と本州の南岸に伸びる前線の影響で、沖縄から九州、四国、本州、北海道までの広い範囲で「大雨」になる可能性が高まっています。

 台風13号は、沖縄近海で誕生し、九州・四国・本州の南海上を進み、9月8日には熱帯低気圧に変わる見込みです。
 しかし、台風が運んできた雨雲と前線が影響しあって、九州・四国から本州・北海道まで、広い範囲で大雨になることが予想されています。
 特に関東、近畿、中国、東海などで大雨が降っています。ほかにも被災地域も含め、全国で警戒してください。

○2016年9月7日23時30分現在の警報発表地域(10道府県)
 北海道、栃木県、群馬県、埼玉県、大阪府、奈良県、和歌山県、大分県、熊本県、沖縄県 

 気象庁の発表では、9月7日18時から8日18時までの24時間に予想される雨量は、いずれも多い所で
・近畿地方             250ミリ
・沖縄地方、東海地方、関東甲信地方 150ミリ  
・北陸地方             120ミリ 
・奄美地方、四国地方        100ミリ
 の見込みです。


<天気図 2016年9月7日18時 (気象庁HP) >


今回は、大雨に関する気象警報・注意報等を紹介します。  

 まず、「大雨注意報」は、大雨による災害が発生するおそれがあると予想されるときに発表されます。 
 対象となる災害として、浸水災害や土砂災害などがあげられます。雨がやんでも、土砂災害などのおそれが残っている場合は、発表が継続されます。

 発表基準は地域によってことなりますが、例えば「東京都港区」では、平坦地で3時間に50mm以上の雨が予想される場合、または平坦地以外で1時間30mm以上の雨が予想される場合に「大雨注意報」が出ます。
 ほかに、「土壌雨量指数(どじょううりょうしすう)」が123以上の時にも発表されます。この土壌雨量指数には単位はありませんが「土の中に含まれる水分の量」で、指数が高いと土砂崩れが起こりやすいということになります。

 この指数の計算方法は複雑ですが、おおまかな目安としては「1時間雨量-2」を合計していった値で、0になるとリッセトされます。
 たとえば、1時間20mmの雨が3時間降れば、(20-2)×3時間=54となり、その後、5時間雨が降らなければ、54ー(2×5時間)=44に下がります。(あくまで目安で、正確ではありません。)


 次に「大雨警報」は、大雨による重大な災害が発生するおそれがあると予想されるときに発表され7ます。対象となる重大な災害として、重大な浸水災害や重大な土砂災害などがあげられます。雨がやんでも、重大な土砂災害などのおそれが残っている場合は、発表を継続します。

 これも発表基準は地域によって異なりますが、「東京都港区」の場合は、平坦地で3時間に100mm以上の雨が予想される場合、または平坦地以外で1時間60mm以上の雨が予想される場合に「大雨警報」が出ます。
 ほかに、「土壌雨量指数(どじょううりょうしすう)」が154以上の時にも発表されます。

 つまり、大雨注意報や大雨警報が想定している災害は、「浸水被害」と「土砂災害」ということになります。


 大雨警報よりさらに上位の「大雨特別警報」は、台風や集中豪雨により数十年に一度の降雨量となる大雨が予想され、若しくは、数十年に一度の強度の台風や同程度の温帯低気圧により大雨になると予想される場合に発表されます。
 この大雨特別警報の発表基準は、「48時間降水量」か「3時間降水量」または「土壌雨量指数」が50年に1度以上の高い地域が、府県程度の範囲で一定以上出現した場合に出されます。

 「大雨特別警報」が発表された場合、浸水や土砂災害などの重大な災害が発生するおそれが著しく大きい状況が予想されます。雨がやんでも、重大な土砂災害などのおそれが著しく大きい場合は、発表が継続されます。

<大雨の警報・注意報のイメージ>



 ほかに気象庁が発表する大雨に関する情報としては、「記録的短時間大雨情報(例:大阪市で4時から5時間の1時間に100mmの雨量を観測)」や、「土砂災害警戒情報(都道府県と共同で発表)」などがあります。
 これらは、非常に危険な状態になっていることを意味します。

 しかし、「避難勧告」や「避難指示」などの「避難情報」を出すのは、基本的には市区町村なので、気象庁や都道府県が、そのタイミングや地域の判断を支援する情報を出しているという意味合いもあります。

 ただ、最終的には、個人の安全は個人が判断して守る必要があります。
 「気象警報・注意報」や「避難情報」は、気象庁・都道府県・市区町村のホームページや、テレビ・ラジオ、さらに防災無線や「民間気象会社」などからも取得できます。(防災メールなどのサービスをしているところも多いです。)

 台風接近時や大雨の時は、「早めの情報取得」と「早めの避難や防災対応の行動」心がけましょう。




2016年9月5日月曜日

リオのヒーロー(3)陸上400mリレーで「奇跡の銀メダル」を獲得した侍たち

2016(平成28)年8月19日(ブラジル現地時間)、リオデジャネイロ・オリンピック陸上の男子400m(100m×4)の決勝で、世界を驚かす銀メダルが生まれました
 日本チームの4人が、アメリカやカナダなどの強豪チームを抑えてジャマイカに次ぐ2位でゴールインして、世界を「あっ」と言わせたのです。
 3位のアメリカはあとで失格になりましたが、それがなくても日本は正真正銘の2着でゴールインしました。

 この時の日本チームは、第1走者・山縣亮太さん、第2走者・飯塚翔太さん、第3走者が桐生祥秀さん、そしてアンカーはケンブリッジ飛鳥さんでした。
 4人のタイムは37秒60で、アジア記録・日本記録を更新しました。
 4人の誰一人として100m10秒を切ったことがなく、4人のベストタイムを合わせると、40秒38なのに、それを2秒78も上回るタイムで、9秒台の選手がひしめき合うオリンピックのリレーの舞台を走り抜けた、まさに「奇跡」でした。

 「リオのヒーロー(ヒロイン)」を紹介する3回目は、男子400mリレーの4人の走者を紹介します。

<写真 リオデジャネイロ・オリンピックの銀メダルとバトン>




ここからは、4人のプロフィールとエピソードを紹介します。 まず、1走走者の山縣良太(やまがた りょうた)選手は、1992(平成4)年6月10日生まれで、広島県広島市の出身の24歳です。

 広島県広島市の修道中学・修道高校から慶応義塾大学総合政策学部に進み卒業し、現在は時計でおなじみの「セイコーホールディングス株式会社」に所属しています。

 100mの自己ベストは、リオデジャネイロ・オリンピックで出した10秒05で、日本歴代5位の記録です。
 「世界一のスタート」とも言われ、2012(平成24)年のロンドン・オリンピックと2016(平成28)年のリオデジャネイロ・オリンピックに出場し、100mでは両大会とも予選を突破し、準決勝に進出しています。

 広島市にあった山縣家は、おじいさんの代まで原爆の爆心地近くにあって、1945(昭和20)年8月6日の「広島原爆投下」では、ひいおじいさんは自宅で即死しました。
 山縣選手のおじいさんは、宮島に疎開していましたが、原爆投下後に広島市内に入って被爆しました。このため山縣亮太選手は、被爆3世ということになります。

 山縣選手はリオで銀メダルをとったあと、こう言いました。
「本当に歴史が作れてうれしいです。ここまでメダルを目標にやってきて『夢は実現できる』ことを証明できてうれしいです。」


 2番目に走った飯塚翔太(いいづか しょうた)選手は、1991(平成3)年6月23日に、静岡県御前崎市に生まれた25歳で、4人の中では最年長です。

 藤枝明誠高校から中央大学を卒業し、現在は美津濃株式会社(ミズノ)に所属しています。
 100mの自己ベストは10秒22で4人の中では一番遅いタイムですが、200mの自己バストは20秒11と日本歴代2位の記録をもっています。

 リオ・オリンピックの100mリレー決勝の入場時に、日本刀を抜くようなポーズの「侍スタイル」を考案したのは、飯塚選手の提案だったそうです。

 3走目の桐生祥秀(きりゅう よしひで)選手は、1995(平成7)年12月15日に滋賀県彦根市で生まれた20歳です。

 2013(平成25)年4月、京都洛南高校の3年生の時に100m10秒01の日本歴代2位の記録を出し、一躍、有名になりました。
 現在は東洋大学(東京都文京区)の学生です。

 2015年3月には、アメリカテキサス州で、追い風参考(3.3m)ながら9秒87を出しました。また、2016年6月にも10秒01を出していますが、リオ・オリンピックの100mでは、予選で敗退しています。

 桐生選手は、リレーで銀メダルを獲ったあと、次のように言っています。
「このメンバーで走れて、本当に最高の日になりました。
 これからも、僕ら全員がんばっていくので、応援、よろしくお願いします。」

 4人の中で一番若い桐生選手は、日本の短郷里界の星であり、2020年の東京オリンピックでも、まだ24歳です。
 それまでに、ぜひ10秒の壁を破ってほしいですね。


 最終走者のケンブリッジ・飛鳥・アントニオ選手は、1993(平成5)年5月31日にジャマイカで生まれ、2歳の時に日本の大阪に移住し日本国籍を取得しています。
 お父さんはジャマイカ人、お母さんは日本人のハーフです。

 大阪市立淀川中学を経て、東京高等学校(東京都大田区)、日本文理大学文学部に進み、スポーツアパレルやフィトネス事業などを行っている株式会社ドーム(東京都江東区)に入社しました。

 100mのベストタイムは10秒10で日本歴代9位の記録を持ち、リオデジャネイロ・オリンピックでは、100mで予選を突破し、準決勝に進出しました。

 生まれ故郷の「ジャマイカ」の英雄、ウサイン・ボルトが尊敬する人物で、2014年には一時、ジャマイカで練習しました。
 「オリンピックでは、ボルトと走りたい」と言っていましたが、400mリレーの最終走者同士という立場で夢が叶い、ボルトと一時は並走し、ボルトが1位、ケンブリッジ飛鳥が2位でゴールを切りました。

 ケンブリッジ飛鳥選手は、リレー後のインタビューで、「3人は完璧な位置で持ってきてくれたんで。『絶対メダル獲るぞ』という気持ちで走りました。4走はすごい選手がそろっていましたけれど、絶対負けないという気持ちで走りました。」
 と答えています。


 
<リオデジャネイロ・オリンピックのシンボルマークのモニュメント>




 100mを9秒台で走る選手も決勝に進出した選手も、1人もいない日本チームが400mリレーで銀メダルを獲ったのは「リオの奇跡」と呼ばれています。

 でも、その陰には、「3月からバトンの受け渡し練習」をしたり、「前の選手からバトンパスを受けとるために次の選手がスタートするのを、1歩の半分から四分の1だけ早くした」などの、見えない努力がありました。

 「一人では取れなかった陸上のオリンピックメダル」を、「4人のチームワークと努力」で、400mリレーという種目で、見事、獲得しました。
 すごく日本らしくて、本当にリオのヒーローたちですね。

 アンカーのケンブリッジ飛鳥選手は、こうも言っています。
「次はもっとやれる。4年後までに9秒代台を出して、またオリンピックに出たい。」

 4年後、2020年の東京の「新国立競技場」で、日本のアスリートたちが、リオよりもっと活躍してくれることを、期待しましょう。
 

2016年9月3日土曜日

今度は台風12号が九州・西日本上陸? 北日本も含め厳重警戒を!

2016(平成28)年8月末、台風10号(ライオンロック)が東北・北海道を直撃し死者が14人になり、まだ心肺停止の人や行方不明者が複数います。

 台風10号の被害の全貌も判明しないうちに、今度は九州・西日本に台風12号の接近・上陸の恐れが出ています。
 その後、この台風は北日本へ向かう可能性もあります・
 熊本地震の被災地や台風10号の被災地の北日本はもちろん、進路にあたる九州・西日本の皆さん、十分に警戒してください。

<台風12号進路予測 2016年9月3日3時 気象庁HP>



 台風12号(ナムセーウン)は、9月3日午前3時現在、北緯28度30分、東経130度30分の奄美大島の東約100kmの太平洋上にあって、北へ時速15kmの速さで進んでいます。
 中心の気圧は955hp(ヘクトパスカル)、中心付近の最大風速は40m/sの「強い」台風です。
 中心から40kmの範囲では、風速25km/s以上の暴風雨が吹いています。

 この台風は、9月4日~5日に九州・西日本に上陸する可能性が高く、その後、北日本に向かう可能性もあります。
 台風の接近に備えて、(1)非常用品(3日分の食糧・水や、電池・スマホの充電器など)の備蓄、(2)家の内外(窓や屋根、排水溝など)の点検・補強、(3)避難場所や避難ルートを家族などで話し合っておくこと、などをしておきましょう。(詳しくは、前回のブログ記事「Uターン台風10号、史上初、東北太平洋岸に上陸の恐れ!」をごらんください。)

<避難情報>


 ここでは、台風10号で、岩手県などで避難情報などが適切に活用できずに、大きな被害がありましたので、改めて、避難情報について紹介します。

 「避難情報」は、災害対策基本法や「自治体の地域防災計画」などに基づき、地方自治体(基本的には市区町村)が発表する「住民避難のための情報」で、「避難準備情報」「避難勧告」「避難指示」の3つの段階に分かれています。(避難準備情報→避難勧告→避難指示の順に緊急性が高くなります。)

 まず、「避難準備情報(ひなんじゅんびじょうほう)」は「避難の準備をしてください」という、一般的には緊急性の低い情報です。
 この情報が出たら通常は、気象情報(警報や河川はんらん情報)や自治体の発表する情報などをこまめに取るとともに、避難に備えて、持ち出すものの準備や避難ルート、避難場所の確認などをしてください。

 ただし、災害時要援護者(老人、子供、身体障害者などの一人で避難をするのが難しい人たち)のいる家庭や施設では、「避難準備情報」が出された段階で、より安全な場所(避難所や水害の場合は2階以上の高い場所)に避難を始めてください。

 台風10号で9人が亡くなった岩手県岩泉町のグループホームでは、町から「避難準備情報」が出されていましたが、この後半の部分の意味(災害時要援護者は避難行動を取る)が理解できていなくて、多くの犠牲者が出てしまいました。

 2番目に緊急性の高い「避難勧告(ひなんかんこく)」は、文字通り「避難してください」という自治体からの呼びかけ(勧告)です。
 自力で避難できる方は、この段階で避難するのが適切です。ただし、河川のはん濫などの水害の場合で夜間やすでに浸水が始まっている場合は、2階以上の高い場所に避難した方が安全な場合もあります。

 もっとも緊急性の高い「避難指示(ひなんしじ)」は、「危険が差し迫っています。ただちに避難してください。」という自治体の呼びかけですが、法的には原則として強制力はありません。
 あくまで、自分の判断と責任で避難することになります。

 最後に、台風豆知識として「台風の名前」について、紹介します。

 「台風10号(ライオンロック)」、「台風12号(ナムセーウン)」と紹介しましたが、このうち、「台風○号」は、北西太平洋(赤道より北で東経180度より西の領域)または南シナ海に存在し、なおかつ低気圧域内の最大風速(10分間平均)がおよそ17m/s(34ノット、風力8)以上の「熱帯低気圧」を「台風」と呼び、毎年1月1日から発生順に「1号」「2号」「3号」というように番号をつけます。
 
  次に「ライオンロック」や「ナムセーウン」という名前は、2000(平成12)年から、北西太平洋または南シナ海の領域で発生する台風には同領域内で用いられている固有の名前(日本・中国・タイなど加盟14ヶ国などが提案した名前)を、順に付けていて、各国10個ずつ合計140の名前を使いまわししていきます。
 ただし、大きな被害のあった台風の名前は、それ以降は使われません。

 ちなみに、台風10号の「ライオンロック」は香港の山の名前、台風12号の「ナムセーウン」は、ラオス中部の川の名前です。

<台風10号の名前の由来 香港のライオンロック>



 北日本に大きな被害をもたらした「台風10号(ライオンロック)」に続き、今度は九州・西日本に「台風12号(ナムセーウン)」が接近・上陸する可能性が高くなっています。

 台風情報だけでなく市区町村の「避難情報」や気象警報、河川警報なども、ネットやテレビなどでこまめにチェックして、できるだけ早めの行動をとり、被害を減らしましょう。