2016年6月3日金曜日

「ヒロシマ」を世界史に刻んだオバマ演説と「折り鶴」

 2016(平成28)年5月27日、アメリカの現職大統領として初めてバラク・オバマ大統領が、被爆地・広島を訪問し、歴史に残る演説をしました。
 今回は、その演説の一部を紹介します。

  オバマ大統領の演説は、3つの重要な内容を含んでいると思います。
  まず、1つ目は「広島が世界史に刻まれた」という事実です。

 オバマ演説の冒頭の部分を紹介します。

<英語>
71 years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
 
<和訳>
71年前、雲一つない晴れた朝に、空から死が降ってきて世界は変わりました。
閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊しました。
この時、人類は自分自身を破壊する手段を手に入れたのです。


 1945(昭和20)年8月6日に、世界で初めての原子爆弾が広島に落とされてから、71年が過ぎ、やっと、原爆を投下した国、アメリカの現職大統領が「HIROSHIMA」を訪問しました。
 
 それは第2次世界大戦で、敵国同士だった日米両国が友好国として、しっかりとした関係を築いたことを意味するとともに、両国の「善悪や恩讐」を超えて、「広島・長崎で世界初の原子爆弾が投下され、多くの犠牲者が出た事実」が、世界史に刻まれた瞬間でした。

 歴史というのは、「主な当事者がこの世を去ったあと、つまり100年前後経って、初めて公平な歴史になる。」と、司馬遼太郎さんは言っています。

 例えば、西暦1600年、約400年前の「関ケ原の合戦」が、東軍と西軍のどちらが正義かではなく、「日本の歴史上の出来事」として、歴史教科書で語られているように、「広島・長崎への原爆投下」も、当事者国同士の恩讐を超えて、悲惨な世界史上の「忘れてはならない出来事」になった瞬間が、今回のオバマ大統領の広島演説だったと思います。

 その象徴が、オバマ米国大統領が被爆者が、「未来のことを考えましょう」で抱き合ったシーンでした。

 そのことをオバマ大統領は、こう表現しています。

<英語>
Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.

<和訳>
 いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。
 その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。

<写真: 抱き合うオバマ大統領と原爆被爆者>



 2つ目に、オバマ演説で重要なのは、「戦争」についての歴史認識です。
 
 オバマ大統領は、「どの大陸においても、どの歴史においても、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。」(<英語>On every continent the history of civilization is filled with war.)
と述べ、さらにこう言っています。

「 富や、民族主義や、宗教的な理由から、悲惨な戦争が起こってきました。
  それぞれの歴史の転換点において、罪のない多くの人たちが犠牲になりました。その犠牲となった人たちの名前は、時が経つと忘れられました。それが人類の歴史です。」



 「文明の歴史は戦争に満ちている」というのは、悲しい「人類の歴史の事実」だと思います。
 それを確認した上で、それでも「これからの歴史は、広島の教訓から変えられる」と、オバマ大統領は語り、さらに、こうも言っています。

<和訳>
「 アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を追求する権利です。
 しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。
 それでも、その物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。


 これは、民主主義の国「アメリカ」の根本の原理です。
 アメリカの民主主義は、1人1人の「生命の自由、幸福を追求する権利」を守ることからスタートし、今もそれが最重要であると語っています。
 
 ともすれば、「国のため、宗教のために死ね」という全体主義になりがちなのが歴史で、そこから戦争の多くが始まっています。(例えば、戦前日本の「1億玉砕、火の玉だ」などはその典型です。)


 でも、アメリカ、イギリス、フランスなどの近代民主主事国家の根本原理には、「1人1人の個人の生命・自由を大切にすること」があります。

 その思想は、「日本国憲法」にも受け継がれています。

<写真 オバマ大統領の献花と演説があった広島平和公園>


 


 オバマ演説の核心は、次の言葉です。

<英語>
Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.

<和訳>
我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。
私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。

 恐怖からの「勇気」をもつことを、大統領は強調しました。
 そして、オバマ大統領の演説は、「広島・長崎の平和に学ぶ」という内容で締めくくられています。

<英語>
The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child.
That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.

<和訳>
 世界はここ(広島)で、一変しました。
 しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。
 この平和な平和は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。
 私たちが選択すべき未来は、「核戦争の夜明け」ではなく、私たちのモラルの目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれています。


 オバマ大統領が語った、広島と長崎にある平和の意味は、すごく重要で大切なことだと思います。
 オバマ大統領は「プラハ演説」で、2009年に「ノーベル平和賞」を受賞していますが、広島と長崎の街が71年かけて築いてきた「平和」こそが、「ノーベル平和賞」かそれ以上に値するものだと思います。

 
<「原爆の子像」と折り鶴 (平和公園)>


 アメリカ合衆国の現職大統領のオバマ氏が、「被爆地・広島」を訪問することが、どれほど勇気がいることだったかは、日本の総理大臣が「宣戦布告前の日本軍の攻撃で数千人の犠牲者を出したハワイのパールハーバー」で演説をすることをイメージすれば、想像できます。

 様々な内外の批判を覚悟で、広島を訪問されたオバマ大統領の「勇気」に、拍手と尊敬の気持ちを贈りたいと思います。

 オバマ大統領は、この広島演説の直前、自分で折った「4羽の折り鶴」をもって、平和資料館を訪れました。
 「(原爆の像のモデルになった)佐々木偵子さんの折り鶴を参考に折りました。」と言って、大統領は、そのうちの2羽を出迎えた子供たちに渡し、残りの2羽を「原爆資料館」に寄贈しました。

 次回は、「佐々木偵子さんと折り鶴」の話を紹介したいと思います。


<自作短歌>

 ヒロシマの 平和の祈りを 鶴に込め 「勇気」語った 大統領
 

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