2016年5月1日日曜日

日本の巨大地震の歴史と直前の出来事(2)~熊本地震は拡大する?~

 熊本地震が、「南海トラフの巨大地震」の引き金になるのかどうかを調べるために、歴史に残る「南海トラフを震源とする巨大地震」(東海地震、東南海地震、南海地震)と、その直前に起きた出来事を調べるブログの2回目は、「室町時代から江戸のはじめ」(1361年~1605年)に起きた3つの巨大地震について調べてみます。

   平安時代後期に起きた「永長・康和地震」(1096年~1099年)から、262年後の1361年(室町前期=南北朝時代)に、日本の歴史上4回目となる「南海トラフを震源とする巨大地震」が起きました。

   1361(正平16)年7月26日午前4時頃、マグニチュード(M)8.3~8.5の東南海・南海地震と推定される大地震が発生し、東海・近畿・四国の太平洋岸を中心に揺れと津波に襲われ、摂津(大阪府)、阿波(徳島県)、土佐(高知県)などを中心に、大きな被害が発生しました。
 
  特に太平洋に面した雪湊(現在の徳島県美波町由岐<ゆき>港)では、1700戸が流失し60人が死亡するなど、被害が大きかったと、「太平記」に記載されています。

  正平地震の前の出来事としては、前年の1360(正平15)年11月13日と14日に計2回、紀伊(和歌山)・摂津(大阪)で、M7.5~8.0の津波を伴う地震が起きました。
また、本震の2日から3日前から、断続的に近畿で、前震と思われる地震がありました。

  地震の日に、「真夏の雪」が降ったとの記述もありますが、これは「由岐と雪」の間違いだろうと言われています。
   それにしても、「前震」があったのは、注目ですね。

<現在の由岐港(徳島県海部郡美波町)>



 
 
   「正平地震」から137年後の室町(戦国)時代、真っ只中の1498(明応7)年9月11日午前8時頃、「東海地震・東南海地震」と推定される大地震が発生しました。

   「明和(めいわ)地震」と言われるこの地震の規模はM8.2~8.4で、東海・東南海地震と言われています。
伊勢(三重県)から駿河(静岡・愛知県)などが大津波に襲われ、死者3万~4万人と言われています。
   また、この地震では、静岡県の浜名湖が海につながり、鎌倉の大仏が流されました。

   では、「正平地震」の前に起こったことを調べてみましょう。

  まず、本震の3年前の1495(明和4)年9月3日に、鎌倉で地震・津波がありました。
  次に、「明和地震」の2ケ月あまり前の、1498年6月30日に、宮崎県沖の「日向灘(ひゅうがなだ)」でM7.0~7.5の地震が発生し、大分など九州各地や四国の愛媛県で揺れを観測し、死者が多数出ています。

   実は、ある地震の専門家(大学教授)は、「熊本・大分の地震」のあとは、経験的に「日向灘」で地震が起こる可能性が高いと言っいます。
   もし、そうだとすると、「日向灘地震→南海トラフの巨大地震」という事実が、過去にあったのは不気味ですね。

 
<日向灘(宮崎県)>
 



   最後は、「明和地震」から、106年後の1605(慶応9)年2月3日に起きた「慶長(けいちょう)地震」です。
この年は、「関ケ原の戦いの5年後」、「徳川家康が江戸幕府を開いてから2年後」にあたります。

   「慶長地震」は、関東から九州までの太平洋側の広い範囲で大津波が観測された「津波地震」で、地震の規模はM8.0程度です。
   特に、八丈島(東京都)や紀州(和歌山県)、阿波(徳島県)、土佐(高知k県)などの被害が大きく死者は1万人~2万人と言われています。

  この「慶長地震」が、最近、注目されています。
  それは、この地震の前に起こった出来事が、今回に似ていると言われているからです。
  では、慶長地震の前に起きたことを、見ていきましょう。

   まず、 「慶長地震」の9年前の1596(文禄5)年、9月1日にM7.0の地震が四国の伊予(愛媛県)で起こりました(「慶長伊予地震」)。
  この地震は、今、注目されている「日本最大級の断層・中央構造線」が震源と言われています。

   それから3日後の9月4日、今度は大分県でM7.0~7.8の「慶長豊後地震」が起こり、死者710人、2つの島が沈むという被害が出ました。

   さらに、翌9月5日には、今度は京都でM7.5の直下型の地震「慶長伏見地震」が発生し、京都や大阪を中心に1000人以上が亡くなり、伏見城も損壊しました。

  この3つの地震は、「中央構造線」沿いに、<四国→九州→近畿>とわずか5日間で発生しているので、「3連動地震」とも、言われています。
   今回の「熊本地震」が、これに似ていると言われているのです。

  そして、これらの地震の9年後、1605年に、南海トラフを震源としたと考えられる「慶長地震」が起こっているのは歴史的な事実です。


<中央構造線>


 
   今回は、室町時代(南北朝)から江戸初期までに起こった3つの「南海トラフを震源とする巨大地震」を
調べてみました。

  それらの記録では、この3つのうち、少なくても、1498年の「明応地震」と1605年の「慶長地震」の2つは、九州(日向灘、大分)で地震が起きたあとに、発生しています。

  また、残りの1361年の「正平地震」も含め、3つの巨大地震全部が、発生の数か月から数年前に、九州・四国・近畿など西日本で、比較的規模の大きい(M7.0以上)、「地震」が発生しています。

   2016年の「熊本地震」がそうであるかどうかは、わかりませんが、十分な「備え」はしておく必要があると思います。
 
  次回、3回目は、江戸中期以降の「南海トラフを震源とする巨大地震」である、「宝永地震」、「安政地震」、「昭和の東南海地震・南海地震」について、検証してみたいと思っています。


<熊本の避難している子供たちのボランティア>


 
   最後は、熊本地震のボランティアの中でも、「特別な存在」のボランテイアの話です。

   医者、看護師、保健婦、耐震診断をする技術者、調理師、片付けボランティアなどなど、たくさんのボランテイアが被災地「熊本」に入っています。
  そんな中、「避難している子供たちのボランテイア」が、震度7の揺れに襲われた「熊本県益城町」で誕生しました。

   町の総合体育館に避難している子供たちが、「僕たち私たちにも、できることを始めよう。」と自主的に立ち上がり、床やトイレの掃除、避難者への声かけ、「避難所カフェ」の手伝いなどのボランティアをしています。

   雨で濡れた床をモップで拭いたり、紙コップで無料のコーヒーを配ったりする「避難している子供たち」の元気な姿に、避難者も支援者も、ボランティアに来てくれている大人たちも、みんなが勇気と温かい心をもらっています。

  地震に負けるな! がんばろう熊本、がんばろう大分、そしてがんばろう日本!


<一句>
   備えして   元気と勇気で   地震越え(自信声)

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