2015年6月27日土曜日

沖縄の悲劇と夢と「なんくるないさ」

 
 作家の百田尚樹氏が自民党議員の勉強会で、「沖縄の2つの新聞社(琉球新報と沖縄タイムズ)はつぶさないといけない。」と発言したというニュースが流れています。
 
 百田氏のマスコミ批判は当たらないと思いますが、確かに沖縄には独自の世論があり、主張があり、元気があり、夢があります。
 今回は、「悲劇の県」とも言われる沖縄について、紹介します。

 今からちょうど70年前、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年の3月から6月にかけて、沖縄では、日本国内で起きた「最後の地上戦」と言われる沖縄戦が行われました。

 この時のアメリカ・イギリス軍の犠牲者が1万4088人だったのに対し、日本側の犠牲者は18万8136人で、うち12万2228人が沖縄県人でした。このうち、9万4000人が民間人で、中には「ひめゆり学徒隊」で知られる女学生たちや、子供、老人なども大勢含まれています。

 「すべての地獄を集めた」と称される、民間人を巻き込んだ沖縄戦は、凄惨を極め、使われた砲弾・銃弾は、アメリカ軍だけで砲弾6万発、手榴弾39万発、ロケット弾2万発、機関銃弾3000万発に達しました。
 「鉄の雨(嵐)」が降った中で、日本側では多くの特攻や自決などの悲劇が繰り返されました。

<写真・沖縄戦の戦死者を弔う摩文仁の丘>



 沖縄の悲劇は、終戦後も続きます。
 沖縄は、アメリカ軍による占領統治となったのです。

 日本本土が、1951(昭和26)年の「サンフランシスコ講和条約」で主権を回復してからも、沖縄は長くアメリカ軍の統治下に置かれました。
 戦後、27年目の1972(昭和47)年に、やっと日本に復帰し「沖縄県」となりました。

 しかし、現在に至るまで、多くのアメリカ軍基地が沖縄県内に点在し、駐日アメリカ軍基地のうち、専用施設の74%が沖縄県にあり、2万2777人のアメリカ兵が沖縄に駐留しています。

 1995年に沖縄キャンプハンセンで、日本人の12歳の小学生少女がアメリカ兵に拉致・強姦された事件をはじめ、住民とアメリカ軍とのトラブルや事故が多く発生し、沖縄県民の大きな負担となっています。
 実は、昭和30年代の前半までは、本土にも多くのアメリカ軍基地があり、周辺住民が米兵の犯罪に巻き込まれる事件が頻発し反対運動が起きたたため、多くの米軍基地が本土から沖縄に移転した経緯があります。

 沖縄県は、地理的には日本本土と中国の中間に位置し、「中国の海洋進出の玄関」とか「軍事上の要石」とも言われており、東アジアで国際紛争が起きれば、日米の前線基地となり、再び戦場になる危険さえあります。(事実、沖縄は、ベトナム戦争でアメリカ軍が空爆を行った時の前線基地の一つでした。)

 このような切迫した状況の中で、沖縄の「基地反対」「戦争反対」の機運の高まりがあることは、
理解しておかないといけないと思います。


<沖縄県の地図>

 


 ここからは、「沖縄県の夢」の話をします。

 沖縄県在住の友人が、「沖縄は子供が多く、人口も増えているさ。」と笑顔で言っていましたが、これは事実なんです。

 2010(平成22)年の国勢調査によると、沖縄県の人口は139万2503人で5年前より2.3%増加しています。
 増加率は全国4位で、自然増加率は1位です。
 さらに、14歳以下の年少人口も17.8%と多く、全国1位です。

 沖縄県というと「長寿県」のイメージがありますが、実は子供の多い、「若くて元気があり夢のある県」なんです。
 もちろん、2001年にNHKで放送された朝の連続ドラマ小説「ちゅらさん」にも描かれているとおり、沖縄ではまだまだ大家族も多く、老人が幸せに暮らせる県でもあるのです。

 ちなみに、琉球民族という言葉がありますが、沖縄県民の多くは、分子生物学的(遺伝子比較)には、ほぼ九州・四国・中国の人と同じです。(沖縄のみなさんが、別の民族ではなく日本人だということです。)

<沖縄の海>



 最後に、最も有名な沖縄の方言の一つである「なんくるないさ」の本当の意味について、紹介します。

 「なんくるないさ」は、本土では、「大丈夫」とか「なんともないよ」のような意味で、南国の沖縄県民の楽観的ないイメージとともに、とられがちです。

 しかし、本当は、「真(まくとぅ)そーけー なんくるさいさ」というのが正しい使い方で、その意味は「くじけずに正しい道を歩き、努力すれば、いつかよい日が来る」という前向きなものです。

 沖縄県民は、多くの悲劇の中で、どんな圧力にも負けず世間にも流されずに、正しい主張をし、努力して、自分たちの力で、未来の平和と幸せをつかむことを覚えたのだと思います。

 沖縄が「日本から独立」してしまわないように、日本人みんなが沖縄を仲間として受け入れ、助け合っていくことが大切なことだと思います。


 「チバリヨー(がんばれ)、沖縄。なんくるないさ!」


 
 

2015年6月25日木曜日

本当は怖いMERSの話

 MERS(中東呼吸器症候群)が、隣リの韓国で猛威をふるっています。
 WHO(世界保健機関)は、今回のMERSの韓国流行は「公衆衛生上の緊急事態」には当たらないと発表しましたが、本当にそうでしょうか?

韓国のMERS患者は、2015年6月23日現在で175人、うち27人が死亡しています。単純に考えれば、致死率は15%ということになります。
 これでも十分危険です。しかし、大半の患者が入院治療中ですので、本当は退院した人と死亡した人の割合を比較するのが致死率だと思います。

 韓国で完治し退院できた人は54人なので、この数字と死亡した人の数を比較すると27人/81人で、致死率は33%に跳ね上がります。これは、あのエボラ出血熱に迫る高い数字です。

 韓国での隔離対象者は、のべ1万人を超え4次感染までいるということです。

 これで本当に、大丈夫なのでしょうか?とても不安です。

 MERS(中東呼吸器症候群)は、その名前のとおり、2012年に中東のサウジアラビアで第一号の患者が発見されたコロナウイルスで感染する呼吸器系の病気です。

 ヒトコブラクダから人へ移り、潜伏期間は最長2週間で、発症後に人から人へも転移すると言われています。
が、まだ発見後、三年しか経っていないので、本当はわからないことも多い病気です。今のところ、特効薬もありません。

 こんな危険な病気が、お隣りの韓国で大流行しているのです。日本は、もっと危機感を持たないと、取り返しのつかないことになるのではないかと心配です。

 中国やベトナムなどでは、韓国旅行のキャンセルや、韓国からの入国に厳しいチェックをかけているそうです。

 韓国政府は、中国からの旅行者激減に、「もしも、韓国でMERSにかかったら医療費は無料で、お見舞い金3000米ドルを出す」という政策を発表したそうです。

「3000ドルで、命がけの韓国旅行はできない。」という、中国ネットユーザーのコメントが正しいと思うのは私だけではないと思います。

 最後に、ヒトコブラクダの名誉のために書いておきますが、現在、日本にいる25頭のヒトコブラクダからは、MERSウイルスは検出されていません。

2015年6月9日火曜日

危機マックの「スマイル0%」? スタッフ軽視の再建計画

  マックセットが選択式で1000種類になったと聞いて、4ヶ月ぶりにマクドナルドへ行ってみました。

 「ハンバーガー×飲み物×サイドメニュー」で1000種類ということで、ワクワクしながらメニューを見てみました。
 全体的には600円代のセットが多く、正直、野菜系が少し多いぐらいで、代わり映えはせず、「エビフレイオとポテトとコーラー」の定番セットを頼みました。

 コーラーとポテトはすぐ出てきましたが、「(エビフレイは)少し時間がかかりますので、お席でお待ちください。」と言われて、番号札を渡されて席につきました。

 「1分以内にできなければ、料金はいいません。」って言っていた、かつてのマックの面影はないなと思いながら、メニューポスターを見て、あることに気づきました。
 「あれぇ。スマイル0円復活って聞いたけど、店員にもポスターにもスマイルがないよね。」
 よくよく見てみると、メニューポスターの右上に、小さく小さく「スマイル0円」と書いてあって苦笑しました。

<新メニューとスマイル0円>



 先日、異物混入などの対応が悪く業績悪化に苦しむ日本マクドナルドホールディングスが、経営再建策として「ビジネスリカバリープラン」を発表しました。

 その内容は、サラ・カサノバ社長などの役員報酬カットは、6ヶ月10%~20%減で、社長には1億円を超える報酬が支払われるのに対し、従業員の給与は実質カットになります。
 さらに、不採算131店を閉鎖し、本部社員100人を早期退職させるそうです。

 これでは、「経営陣の責任を社員に押し付けている」って言われても、仕方ないですよね。
 店員のモチベーションが下がって、「スマイル0円」どころか、「スマイル0%」になっても仕方ないと思います。

 そんなことを思っていると、「お待たせしました」と笑顔のない店員が、エビフレオを持ってきてくれました。待ち時間、約5分ぐらいかな。

 食べながら、夕方の店内を見まわしてみると、70席ほどの店内には15人ぐらいの客がいて、半分が学生、半分が中高年です。

<マクドナルド店内>



 マクドナルドは、「ママズ・アイ・プロジェクト」を立ち上げたそうですが、子供連れは1組もいませんでした。このプロジェクトは放送作家鈴木おさむさんと、有名ブロガーなど5人の女性(ママ)によるプロジェクトですが、天下のマックがこんな少ない人数で、今、実際に来ている客層とも異なる視線で、改革ができるのかどうか、大きな疑問です。
 
 2015年度、フランチャイズを含めたマクドナルドの全店売上高は、前年度比14.4%減の3820億円、最終損益は380億円の最終赤字を見込んでいます。
 2015年5月も、前年同期比22.2%減で16ヶ月連続減少だということです。

 店内で、作り笑いではなく、本当に「スマイル 0円」が実感できる顧客目線での改革をしないと、マクドナルドの危機はまだまだ続きそうに思うのは、私だけでしょうか。


<1句>

「スマイルは 0円よりも 心から」


 

2015年6月7日日曜日

AKB48総選挙の名言集 「努力は必ず報われることを人生で証明します」他

 2015(平成27)年6月6日、福岡ヤフオクドームで「第7回AKB48選抜総選挙」が行われ、19万4049票を集めた地元・九州出身の指原莉乃(さしはら りの)さんが、2年ぶり2度目の1位に輝きました。

 このブログでは、選挙結果ではなく、上位80人に入った若い女性アイドルたちが数分ずつ行う当選スピーチから、滅多に聞けない女子の本音の言葉を、「心に残る名言」として紹介します。

 
 まず、第4位(137,252票)になったAKB総監督の高橋みなみ(1991年生 東京都出身さんの言葉です。

 「立候補した272人みんなが頑張っています。でも、ここに立てるのは80人だけなんです。
 AKBグループにいればいるほど頑張り方が分からなくなると思います。人生とは、矛盾との戦いなんです。

 でもね、未来は今なんです。今を頑張らないと未来はないということ。頑張らないと始まらないんだということをみんなには忘れないでいてほしいんです。
 私は間もなく卒業しますが、『努力は必ず報われること』を、私、高橋みなみは人生をもって証明します。」(高橋みなみさんの言葉・抜粋)

 さすが、秋元康プロデュ-サーに「AKBとは高橋みなみのこと」と言わした総監督「たかみな」ですね。すばらしい名言だと思います。

<AKB48選抜総選挙の行われた福岡ヤフオクドーム(福岡市)>



 「AKB48選抜総選挙」の1票は、1人1票ではなく、5月に発売されたCD「僕たちは戦わない」に入っている「投票用紙」1枚が1票となっています。(つまり、CDさえ購入すれば、1人何票でも投票できる仕組みです。)

 このCDは1枚1600円ですので、1位の指原さんだけで3億1千万円以上を売り上げたことになります。
 ちなみに、今回の立候補者は272人で、CD売上は初日だけで147万枚、23億円以上だったそうです。

 AKB48が、2005(平成17)年に初めて秋葉原でコンサートを開いた時の観客は7人だったそうですので、隔世の感がありますね。

 次に、今回の選挙で初めて神7(かみせぶん 上位7人)入りを果たした、第7位(81,422票)の17歳の新星、宮脇咲良(みやわき さくら、1998年生 鹿児島県出身)さんの言葉を紹介します。

 「これからは、先輩たちが切り開いた道を歩くのではなく、私たちが道を切り開いていきます。
 来年は、1位のイスに座って、誰も見たことのないAKBを作りたいと思っています。私は、AKBを壊したい。」 (宮脇咲良さんの言葉・抜粋)

 若さ溢れる、チャレンジ精神いっぱいの言葉ですね。
 新しいものを作るのは、古いものを壊さないといけない。幕末の若き志士たちの思想に近いかなとも思います。そう言えば、宮脇咲良さんは、維新の雄藩の一つ「薩摩」の出身ですね。

 「AKB48選抜総選挙」は、2009(平成21)年に始まり、今年で7回目です。
 ここで、昨年までの総選挙での名言を紹介します。

・「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください。」
<第3回(2011)年1位 前田敦子さんの言葉=キンタローがものまね)

・「もう一度、この景色が見たかった。」
<第4回(2012)年に2年ぶりの1位 大島優子さんの言葉)

・「悔しい力を先輩、私たちにぶつけてきてください。
 潰すつもりにで来てください。いつでも待っています。」
<第4回(2012)年5位 篠田麻里子さんの言葉)

・「私、篠田麻里子は卒業します。」
<第5回(2013)年第5位 篠田麻里子さんの言葉)

 芸能界、あるいは「女の世界」の、厳しさが伝わってきますね。あまり、ライバル心をむき出しにしなかった前田敦子さんは、早めに卒業したのかも知れませんね。

 ところで、ここで紹介した、前田敦子さん、大島優子さん、篠田麻里子さんの3人の名前を見て、何かお気づきになりませんか。
 そうなんです。3人とも名前に「子」がついているんです。
 最近、女の子の名前から消えたと言われている「子」が、今をときめくアイドルグループの中心メンバーだった3人の名前についているのは、不思議な気がします。

 ちなみに、この3人が卒業した2015年の第7回選抜総選挙で「子」がついている最上位メンバーは、26位の小嶋真子さんです。そして、80人の選抜メンバーの中で「子」がついているのは、5人(6%)だけです。

<ヤフオクドーム行き臨時バスの行き先表示(過去3回の1位を表示)>



 最後に、今年、2015年の「第7回AKB48選抜総選挙」で1位(194、049票)に輝いた指原莉乃さん(1992年生、大分県出身)の「心にの残るスピーチ」を紹介します。

 「私は開き直りました。私は指原莉乃をやり通そうと、そう決めました。私はブスで貧乳でいい所は本当に少ないです。
 グループには可愛いコがたくさんいます。今年はこんなに自分に自信のない指原が1位になることができました。

 全国の自分に自信のない皆さん。

 私のようにいじめられて引きこもりになって親に迷惑をたくさん掛けてしまったみなさん。陽の当たっていない皆さん。
 私はもう一度1位になることができました。
 奇跡の1回ではなく、自分で1年頑張ってきたことを評価されての1位だと信じています。
 私は落ちこぼれです。選ばれた人間ではありません。全国の落ちこぼれの皆さん。私の1位をどうか自信に変えてください。」 (指原莉乃さんの言葉より抜粋)


 正直、他のAKBメンバーに比べたら、かわいくもなくスキャンダルも経験した指原莉乃さんが、2回目の1位になったのは奇跡だと思います。
 だけど、そんな指原さんが当選して、見事なスピーチで、聞く人に勇気を与えてくれる。
 ここにこそ、「AKB48選抜総選挙」が、単なる人気投票で終わらない意義がある気がしています。

 華やかに見える若いAKBアイドルたちも、人生を賭けて、一生懸命にがんばっている。すごく、勇気をもらった気がしています。


「🎵
恋するフォーチュン クッキー
未来は そんな悪くないよ
Hey!  Hey! Hey!
ツキを呼ぶには笑顔を見せること
(中略)
人生捨てたものじゃないよ
あっと驚く奇跡が起きる」

★指原莉乃がセンターの「🎵恋するフォーチュンクッキー」より
(歌:AKB 作詞:秋元康 作曲:伊藤心太郎)

2015年6月5日金曜日

夏の夜に舞う鳴かぬホタルの話

「夏は夜  月の頃はさらなり
 闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる

 また ただ一つ二つなど
 ほのかにうち光りて 行くもをかし
 雨など降るもをかし」

 これは、平安時代の女流作家として有名な清少納言<966(康保3)年~1025(万寿2)年>の「枕草子」の一節です。
 彼女は、夏の風情の代表格として「ホタル(蛍)」を挙げています。

 6月になって、いよいよ夏本番を向かえる今回は、古くから日本の夏の風物詩として親しまれている「ホタル(蛍)」を取り上げます。

<光るホタル>




 ホタル(蛍)は、コウチュウ目カブトムシ亜目コメツキムシ下目ホタル科に分類される昆虫で、日本では本州以南に約40種類が分布しています。(世界では、約2,000種と言われています。)

 日本のホタルの代表格は、ゲンジボタル(体長15mm前後)とヘイケボタル(体長8mm前後)ですね。
 ゲンジボタルやヘイケボタルは、卵、幼虫、成虫ともに光りますが、これはホタル全般に言えることではなく、成虫が光るホタルの種類は以外と少ないそうです。
 
  余談ですが、「ゲンジボタル」の名前は、「源氏物語」の主人公 「光源氏(ひかるげんじ)」に由来するという説もあります。

 
 ゲンジボタルやヘイケボタルは、幼虫時代を小川等で過ごし、カワニナなどの貝類を主食にします。
 川岸の地中でサナギになり、1ヶ月ほどで成虫になり飛び立ちます。

 「ホタルはエサを食べずに、露を飲む。」と、田舎で聞いたことがありました。
 それで、捕まえたホタルには草に水を付けてやっていました。
 私は、これは間違いだと、ずっと思っていました。

 しかし、実は、これは俗説ではなく正しく、多くの種類のホタルの成虫は、口器が退化しエサを食べられなくなるそうです。かろうじて、水だけは飲めます。

 「ホタル ダイエット」なるものが、できそうな気もしますが、水だけしか口に入れることができないので、成虫になって1~2週間で死んでしまいます。

「蛍二十日に蝉三日」と、旬の短いものの例えとして言われています。
 優雅に光飛ぶホタルですが、本当は「いとあわれなり」ですね。

<群れるホタル>



 ホタルというと「発光」が連想されますが、ホタルの光は腹部後方の発光器から出ています。発光物質は「ルシフェリン」というもので、ホタルの他にも、一部の深海魚や微生物が、持っているそうです。

 ホタルの光は、非常に効率がよくほとんど熱を出さないため、「冷光」と呼ばれています。LEDより、効率のいい光源をホタルが持っているのは、驚きですね。


 ホタルは、「火垂る」とも書きますが、これは、江戸時代の「大和本草」(貝原益軒著)によると、「ホタル。ホは火なり、タルは垂なり」とあり、飛翔している雄ボタルが、下で待つ雌ボタルの元へ一直線に光りながら降りる様を表したものです。
 
 ホタルの光でもう一つ、不思議なことがあります。富士川のあたりを境に、西日本と東日本で、ホタルの点滅間隔が違っていて、西のホタルは約2秒ごと、東のホタルは約4秒ごとに点滅するそうです。

 西のホタルはせっかちで、東のホタルはのんびり屋さんなのかも。
 ちなみに、このホタルの東西の境界(富士川付近)は、電源周波数が東西で50MHZと60HZで異なる境界と、ほぼ一致するそうです。ますます不思議ですね。

 「ホタルの光」と言えば、夏はホタルの光で、冬は窓の雪灯りで本を読んで勉強したという、 古代中国の「晋(しん)国の車胤(しゃいん)」 と言う人の「蛍雪の功」の故事が有名です。
 「ホタルの光」の曲の歌詞にもなっていますが、計算上は、2000匹のホタルを集めても、その光で本を読むのは難しいそうです。

<右田年英(1863年~1925年)作 「五月蛍」>



 おしまいは、「鳴かぬ蛍が身を焦がす」話です。

 冒頭で、清少納言の「枕草子」の一節を紹介しましたが、清少納言と同じ平安時代に生きた源重之(不明~1000年)という歌人のホタルの歌が、「後拾遺和歌集」(1086年管制)の中にあります。

「音もせで 思いに燃ゆる 蛍こそ、鳴く虫よりも あわれなりけり」 (源重之)
 
 これと同じ意味の和歌が、清少納言のライバル、紫式部(生没年不明)の作った名作「源氏物語」の第25帖「蛍」に書かれています。

「こゑはせで 身をのみこがす 螢こそ いふよりまさる 思ひなるらめ」  (紫式部)

 これらの和歌を元に作られ、江戸時代に流行した「都都逸(どどいつ)」が、残っています。


 「恋に焦がれて 鳴く虫よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす」


 「恋しい恋しい」と鳴く虫より、鳴かないホタルの方が、思いを募らせて、身を焦がす(光らせる)って、いい歌ですね。
 「枕草子」風に言うと、「いとをかし」です。


 おまけのトリビアです。

 ホタルと言うと、思い出される童謡が、「ほ ほ ほたる こい」という、あの歌ですが、実は秋田県地方の「わらべうた」だそうです。
 歌詞、全体を紹介します。


🎵「ほたるこい」  秋田県地方のわらべうた

ほ ほ ほたる こい
あっちのみずは にがいぞ
こっちのみずは あまいぞ
ほ ほ ほたる こい
ほ ほ やまみちこい

ほたるのおとさん かねもちだ
どうりで おしりが ピカピカだ

ほ ほ ほたるこい
やまみちこい
ひるまは くさばの つゆのかげ
よるは ぽんぽん たかじょうちん

天じく あがり したれば
つんばくろに さらわれべ

ほ ほ ほたる こい
あっちのみずは にがいぞ
こっちのみずは あまいぞ
ほ ほ ほたる こい
ほ ほ やまみちこい

ほ ほ ほたるこい
ほ ほ やまみちこい
あんどの ひかりを ちょっとみてこい
ほ ほ ほたるこい
ほ ほ やまみちこい
ほ ほ ほ ほ ほ ほ ほ
 

2015年6月2日火曜日

夢は叶う思い強ければ ~風になった俳優 今井雅之さん

 「夢は叶う 思い強ければ」

 これは、去る5月28日に大腸がんのために亡くなった俳優の今井雅之さんの言葉です。

 自衛隊→大学生→俳優と、異色の経歴をもつ今井雅之さんは、死の1ヶ月前の4月30日に、ライフワークとしていた演劇「THE WINDS OF GOD」の記者会見に、痩せこけた姿で出席し、「自分ががんで末期のステージ4である」ことを告白し、無念の舞台降板をしました。

 病気と戦う勇気あるその姿は、神風特攻隊員のような、さわやかな感動を残しました。今回は、その今井雅之さんを偲んで、紹介します。

 今井雅之(いまい まさゆき)さんは、1961(昭和36)年4月21日に、兵庫県城崎郡日高町で生まれました。
 今井さんのブログの言葉を借りれば、「号泣県議の出張先」として有名になった城崎(きのさき)温泉の近くで育ったそうです。(もちろん、城崎温泉は志賀直哉の小説「城崎にて」でも知られる名湯です。)

<城崎温泉>



 1980(昭和55)年4月、兵庫県立豊岡高校を卒業後、自衛官だった父の影響もあって、自衛隊に入隊します。

 自衛隊では、滋賀県高島市の今津駐屯地にいた第3師団第3戦車大隊に配属されます。
 ここで1年半、訓練を受けますが、「俳優になりたい」という夢の実現のために、1981(昭和56)年9月に、陸士長(上等兵クラス)で退職しました。

 翌1982(昭和57)年4月、法政大学文学部英文学科に入学します。今井さんは青山学院大学にも合格していたそうですが、当時、悪役だった巨人の江川卓投手のファンで、江川が法政大学の出身だったから入学したそうです。

 サザンオールスターズ(青山学院大学出身)よりも、江川を選んだということですね。世間の評判に左右されない今井さんらしい選択だと思います。

 学生時代には、「真夏の青森~北九州間マラソン」や「真冬の北海道縦断(稚内~函館)」などの、サバイバルに挑戦しました。
 ちなみに、今井さんは、空手道2段、柔道初段です。

 1986(昭和61)年に法政大学を卒業すると、奈良橋陽子(1947年~)さん演出の「MONKEY」で、舞台デビューします。

 その後、舞台、テレビ、映画など、数多くの作品に出演し活躍します。

 舞台では、ライフワークとなり自ら脚本を書いた『THE WINDS OF GOD』(ザ・ウインズ・オブ・ゴッド)を1988(昭和63)年に初演し、20年以上、再演を続け、国内はもちろん、アメリカやイギリスでも上演します。
 この作品は、1991(平成3)年に「文化庁芸術祭賞」を受賞しています。

 テレビでは、NHK連続テレビ小説の「ノンちゃんの夢」(1988年)や「ええにょぼ」
(1993年)をはじめ、NHK大河ドラマ「花の乱」(1994年)、フジテレビ「お金がない」(1994年)、TBSの日曜劇場「仁ーJIN-完結編」(2011年)など、多くのドラマに出演しています。
 個人的には、貧乏な織田裕二と借金取りの今井雅之さんが、次第に仲良くなっていく「お金がない」が大好きでした。

 映画でも、「日本アカデミー賞優秀助演男優賞」を受賞した「静かな生活」(1995年)をはじめ。「WINDS OF GOD」(1995年)、「極道の妻たち NEO」(2013年)など、多くの作品に出演しています。

 また、テレビのバラエテイ番組でも活躍しています。
 テレビ朝日の「いきなり!黄金伝説」では、サバイバル生活を体験し、アリや蜘蛛などを平気で食べました。(ネット上の噂では、これが癌の原因だとも言われていますが??)

 さらに、NHKの「英語でしゃべらナイト」では、得意の英語(英文科卒・英米で公演)で、あのトム・ハンクスにインタービューして、「あなたの英語はすばらしい」と褒められたりもしています。

<神風特別攻撃隊の出撃>



 元自衛隊員で体力に自信があった今井雅之さんですが、2014(平成26)年の精密検査で、大腸癌が見つかり、医師からは「ここまで進行するには10年はかかる」「すぐに手術をしないと、あと3日しか持たない」と伝えられました。

 「絶対に治す」「再び舞台に立つ」と、強い意志でがんばった今井雅之さんですが、悪化する病気には勝てずに、2015(平成27)年4月30日に、「THE WINDS OF GOD」の舞台降板を決意し記者会見をします。

 そして5月28日午前3時5分、東京都内の病院で亡くなられました。享年54歳でした。

 今井雅之さんの2015年4月1日のブログの一部を紹介します。
 
「思えば、中1の時に映画にはまり、
いつか映画に携わる仕事がしたいと思った中1の10月からもう早40年。
ほんまに夢は叶う思い強ければやな!!

もちろん9月の(製作中映画の)クランクアップまで色々あると思いますけど俺は絶対に負けない!!
絶対にクランクアップという頂上に登るまで頑張ります!
楽しみます!
夢を追っかけます!
ありがとうみんな!」

(公式ブログ「今井雅之の押忍!」2015年4月1日より)

 今井さんの夢が叶わず、本当に残念ですね。
 最後に、今井さんの亡くなる前日のエピソードを紹介します。

 今井雅之さんは、自衛隊出身で神風攻撃隊を題材にした舞台をライフワークとしていましたが、、『THE WINDS OF GOD』公演の最後には涙ながらに「NO MORE WAR!」と叫ぶなど、反戦の意識も強かった俳優さんでした。

 その今井さんは、「戦後70年目」の2015年の舞台公演の千秋楽の地に、激戦地「沖縄」を選んでいました。
 5月31日がその日で、今井さんも沖縄の舞台挨拶に行くことを切望していました。

 その4日前、5月27日(死の前日)に、ベッドで苦しむ今井雅之さんの部屋に、スタッフが訪れて「沖縄公演のポスター」と、ファンの手紙や千羽鶴などを渡しました。
 今井さんは喜び、部屋から帰るスタッフに「最後の敬礼」をして、見送ったそうです。

 もしかしたら、今井雅之さんは、かつての神風特攻隊員のように敬礼をして、「癌という最強の敵に体当たりしてくるよ」と、言いたかったのかも知れません。

<千羽鶴>

 


一句

・夢叶う 信じた勇士が 風になる

2015年6月1日月曜日

不気味!「異常震域の巨大地震」発生と口永良部島の爆発的噴火

 2015(平成27)年5月30日午後8時24分頃、小笠原諸島西方沖を震源とするM(マグニチュード)8.5という巨大地震が発生しました。

 東京都小笠原村や神奈川県二宮町で最大震度5強の揺れがあり、北海道から沖縄県まで、全国で震度1~5の揺れが発生しました。

 この地震は、大きな被害を出した関東大震災(1923年 M7.9)や阪神淡路大震災(1997年 M7.3)をはるかに上回り、1885年以降に国内で発生した地震では、東日本大震災(2011年 M9.0)に次ぐ、2番目の規模の巨大地震でした。(マグニチュ-ド(M)が1上がると、地震の規模は30倍といわれています。)

 幸い、震源の深さが590kmと極端に深かったため、津波は発生しませんでした。
 ちなみに、津波の発生の目安は、(1)震源が海、(2)地震の規模マグニチュード(M)が6.5以上、(3)震源が60kmより浅い、の3つですが、今回は3番目の震源の深さが基準より深く、津波は発生しませんでした。

 気になるのは、気象庁が「異常震域」と言っているように、今回の地震が非常に深いところであたった地震としては、世界的にも初めてと言っていいほどの規模の「巨大地震(M8.0以上)」であったことです。
 
 地震の専門家も「聞いたことがない」という、今回の「異常震域の巨大地震」は、いったい、何を意味するのでしょうか。不気味です。
 当分の間、地震についての十分な注意が必要だと思います。

 
 <小笠原諸島>



 もう一つ、気になるのが火山の噴火と巨大地震の関係です。
 「異常震域の地震」が発生した前日、2015(平成27)年5月29日、鹿児島県の口永良部島の火山が爆発的噴火をして、9000mまで噴煙が上がり、火砕流が発生し、「噴火警戒レベル」が初めて最高の5になりました。
 
 以前紹介したように、超巨大地震(M9.0以上)の後には、近くの火山が大爆発するという歴史的事実があります。

 今回の口永良部島の大噴火は、「東日本大震災(2011年3月)」から4年余りで日本で起きた地震で、ある意味、「超巨大地震と火山噴火の連動」が証明されたのかも知れません。

 しかし、「超巨大地震後に複数の火山が大噴火」した例が、過去にたくさんあることからも、「東日本大震災」後の火山の大噴火が、これで終わりでない可能性も十分にあります。

 御嶽山の噴火、桜島噴火、西之島噴火と近海変色、箱根山の膨張と火山性地震、など不気味な動きをする火山は、他にもたくさんあります。
 
 さらに、5月30日の小笠原諸島西方沖の地震は、M8,5という巨大地震ですが、M9,0の超巨大地震までは言えない微妙な規模です。
 この規模の深い震源の地震が、この後、日本の火山や地震にどんな影響を及ぼすのか、十分な備えをしながら、注視していく必要がありそうですね。


 最後に、火山が大噴火した鹿児島県の口永良部島について、紹介します。
 口永良部島(くちのえらぶじま)は、屋久島の西方約12kmに位置する南海の火山島で、屋久島や種子島などと「大隅諸島」を形成しています。

 島全体が、鹿児島県熊毛郡屋久島町の大字「口永良部島」で、全域が屋久島国立公園になっています。

 島はひょうたん型をしており、「南海ひょうたん島」とも言われています。面積は、38.04k㎡と小さいのですが、島の形はいびつで周囲の長さは49.6kmもあり、島の中の移動手段は車で、ガソリンスタンドもあります。

 島の噴火の歴史を紹介します。

 口永良部島は、もともと火山島で古くから噴火し、島が火山噴火で形成されたものと考えられています。

 残っている一番古い記録は、江戸末期の1841(天保12)年5月22日に新岳が噴火したものがあります。
 この年の8月1日には、「集落が焼失し、死者多数出た」との記録があります。

 1933(昭和8)年から1934(昭和9)年にかけて、大きな噴火があり、 「七釜」という集落は、噴石により全滅して、死者8名、負傷者26名が出ました。
 
 1966(昭和41)年11月22日 に、新岳で噴火し、小規模火砕流が発生しました。空振は、鹿児島市や種子島でも体感され、負傷者3名が出ました。

 また、昨年(2014年)8月3日にも新岳が噴火し、噴煙が800m上空まで上がりました。

 今回は、9000mまで噴煙があがったことから言っても、今度の噴火の大きさがわかると思います。

<口永良部島マップ>



 島の人口は、2歳の幼児から90歳を超えた老人まで、総勢137人(世帯数79、2014年10月末現在)です。
 1993年(平成5年)の人口173名と比べると、20年で20%余りの人口減となっています。

 それでも、島には、役場出張所や診療所(医師は常駐していません)、金岳小学校、金岳中学校、商店、郵便局、民宿などがあります。
 島の小中学校への「里親式の山村留学制度」も行い、島民は平和で幸せに暮らしていました。

 ところが、今回の噴火で全島避難となり、島民全員が屋久島や鹿児島、大阪などに避難しています。
 早く、「南海ひょうたん島」での平和な生活を取り戻してほしいですね。
 

一句
・ 大地揺れ 火山が吠えて  警戒モード

一首
・ 南海の 小島の山の 噴煙に 地球震える 海底深く