2017年7月3日月曜日

追悼・小林麻央さん ~なりたい自分になる、ブログで浪漫飛行~

2017(平成29)年6月22日、小林麻央さんは34歳の若さで乳癌のため亡くなりました。
彼女はブログで「癌」を公表し、250万人以上の読者に、共感と勇気を与えました。
今回は、そんな小林麻央さんの人生と名言を紹介します。

最初に、乳癌の宣告を受けて2016(平成28)年9月1日に、小林麻央さんがブログを開設した日の言葉の一部を紹介します。

「先生に言われたのです。
『癌の陰に隠れないで』



私は
力強く人生を歩んだ女性でありたいから
子供たちにとって強い母でありたいから
ブログという手段で
陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました。

一度きりの人生なので、
なりたい自分になろうと
決意できたことは
うれしいです。

(2016年9月1日「なりたい自分になる」  小林麻央さんのブログより)


<写真 小林麻央さんの故郷 新潟県小千谷市>


 小林麻央(こばやし・まお)さんは、1982(昭和57)年7月21日、新潟県小千谷市に生まれました。
 お姉さんの小林麻耶さんは、元TBSのアナウンサーで今も芸能界で活躍しています。

 小林さん一家は、新潟県から埼玉県さいたま市、兵庫県西宮市、東京都荒川区、そして東京都世田谷区と移り住みました。これは、お父さんが信託銀行に勤務していて、転勤が多かったからだそうです。

 麻央さんは、國學院高校から上智大学文学部に進み卒業しました。
 大学在学中に、姉の麻耶さんの勧めで、日本テレビで明石家さんまさんが司会を務める番組「恋のからさわぎ」に出演したことがきっかけで、芸能界入りします。

 麻央さんは、2003年10月から3年間、フジテレビ系の「めざましどようび」のお天気キャスターをつとめてブレークします。

 その後、日本テレビの「NEWS ZERO」のサブキャスターとして、活躍します。
 この番組のインタビューで、麻央さんは、歌舞伎俳優の11代目市川海老蔵さんと知り合い、2010年3月に入籍しました。
 その後、男女2人の子供にも恵まれました。

 ところが、2014年の人間ドッグで「乳癌の可能性は50%」と診断されました。
 その後、なかなか確定診断がなく、病院を2つも変わっているうちに進行し、2016年6月に「乳癌」であることを公表した時には、転移も確認されていました。

 それでも、前向きな小林麻央さんは、9月にブログ「KOKORO.」を開設し、アメーバブログでは長期に渡って、閲覧数1位を記録しました。
 それでは、麻央さんのブログからいくつか紹介します。


「『がんばれ がんばれって、言われるのもきついけど
もういいよって言われるの、もっとつらいね』
 という言葉がBASARAにある。
 
 がんばれって応援されると
すごくうれしい。
 
病気になってから
がんばらなくていいよ
それはもういいよ
って言われることが増えた。
 

でも
私は もっともっとがんばりたいし、
それは私がやりたい、
と思ったりもする。
 でも、
できない現実があったりもする。
 
がんばれっていう優しさも
がんばらなくていいよという優しさも
両方学んだ。」
(2016年9月15日「がんばる がんばらない」 小林麻央さんブログ)
 
 
「結婚前、主人が、私の父へ挨拶に来た時
父が『何にも分からない子だから、
苦労するんじゃないかと思ってね。』
と言うと、

主人が『試練はありますが、苦労はありません』
と即答しました。
(勝手に決めてる主人もおもしろいですが)
今も、試練です。
何事も、苦労のように思ってしまう時は
いつも負けそうだったことを
思い出しました。
試練と思えるときは
 
まだまだ心に力が湧きます。」
(2016年10月31日「苦労と試練」小林麻央さんブログ)


<写真 小林麻央さんが帯書きをした本>


「2016年が
過ぎていきますね!
どんな夜を、お過ごしですか??

『2016年』
描いていた形では終われなかったけれど、
幸せを感じています。
年越しそばを食べているときに、
私の人生で一番幸せな年越しそばに
感じていました。
今年は色々ありすぎましたが、
kokoro.(ブログ)で、皆様と繋がり、
たくさんの励ましを頂いたことに
心から感謝致します。
感謝。
本当に、感謝、感謝、感謝。
そばにいてくれた人、
離れて見守ってくれた方、
皆に感謝でいっぱいです。」
(2016年12月31日「ありがとうございました」小林麻央さんブログ)


「癌だって、
ステージ1の時点で診断される人もいれば、
気づいた時にはステージ4の人もいる。
順調に治る人もいれば
余命宣告から奇跡みたいに治る人もいて、
そうでない人もいる。
良い方をみても きりがないし、
悪い方をみても きりがない。
良い方をみてしまうとき、
私は、
なぜここまでにならなければ
ならなかったのかな、
と思うことがありました。
もちろん
自分自身の過ち 積み重ねなど
あるにせよ
何故、順調に治っていく道では
なかったのだろう、と。
でも、
いつからか、
私はここまでになる必要があったんだ
と思うようになりました。
そう思えるときの穏やかさは
魂が納得しているのだと感じます。
魂って自分が思っているより
ずっとずっと自分にロマンを
もっているのでしょう。
だから しんどくて寝ているときは
小さい小さい世界に閉じ込められている
みたいに感じますが、
実は逆で、
魂は壮大な浪漫飛行中なのでしょうね。」
(2017.4.13「浪漫飛行」 小林麻央さんブログ)

<写真 黄昏の月>


 小林麻央さんの夫の市川海老蔵さんの話では、2017年6月22日に麻央さんが永眠する直前の<最後の言葉>は、「愛している」だったそうです。

 麻央さんは、34歳の若さで、2人の子供と夫を残してこの世を去ったて、きっと残念だったでしょう。
 でも、麻央さんの残したブログは、今も残っていますし、最後の「オレンジジュース」という記事には、26万件以上の「いいね」がついています。
 このブログは、同じ癌患者をはじめ、多くの人たちに勇気と共感を与えました。

 さらに、市川海老蔵さんは、「麻央さんのブログを英訳する」と発表し、麻央さんの言葉が世界へ発信
されていくことになりました。
 
 小林麻央さんの身体は亡くなっても、麻央さんが残した言葉や魂は、世界へ「浪漫非行」して行くことを信じ、哀悼の意を表したいと思います。



♪「浪漫非行」(歌・作詞・作曲 米米クラブ)♪


逢いたいと思うことが 何よりも大切だよ
苦しさの裏側にあることに 眼を向けて

夢を見てよ どんな時でも
全てはそこから 始まるはずさ

君と出逢ってから いくつもの夜を語り明かした
はちきれるほど My Dream

トランク一つだけで 浪漫飛行へ In The   Sky
飛びまわれ この My Heart
Wow  Wow Wow...  Wow  Wow Wow... 


< 一句>
 空を飛ぶ ブログの言葉と 魂と


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