子供の「お父さん、リハビリ入院をしなよ。」という一言で、リハビリ入院の覚悟を決め、兄は総合病院Bからリハビリ病院Eに転院しました。
E病院はりハビリ中心の病院で、手術などの設備はなく、医師・看護師さんのほかに、歩行など手足の機能の回復訓練を指導する「理学療養士」さんをはじめ、手や指などの機能の回復訓練を指導する「作業療法士」さん、失語症などのコミュニケーション能力の回復等を行う「言語聴覚士」さんなどがいます。
これらの専門家たちが、1回60分の治療を、1人1日1回から3回実施してくれます。
兄は、3人部屋に入院しました。
本当は、インターネット環境があり消灯時間もない個室に入りたかったようですが、 1日3500円から8000円の個室料金の許可が奥さんからもらえず、渋々、大部屋に入院しました。
ちなみに、ネットはなく消灯は午後9時です。
<写真 リハビリルーム>
兄のリハビリは原則1日3時間で、主に足の筋トレなどの「理学療法」が1時間、左手の指の回復を目的とした「作業療法」が1日2時間です。
兄は否定していますが、脳梗塞などで脳の血管が切れた場合、少しでも早く集中してリハビリすれば、機能回復の可能性はグーンと高まるそうです。
リハビリ開始から2週間が経ちました。
兄はまじめに、1日3時間のメニューをこなし、歩行は問題なし、左手も親指と人差し指の力が少し弱い以外は、ほぼ回復しました。
兄は、笑顔で話しています。
「やっぱり福祉は大切だよな。車イスや杖をついてリハビリしている人たちの中にいて、久しぶりに、実感したよ。」
でも、再発の可能性が高い病気であることは兄も知っているので、先日の小林麻央さんの死や近くの中学校の先生が学校内で脳梗塞で突然倒れて亡くなったと聞くと、さすがに元気が無くなっています。
実は、兄は学生時代、大学の福祉系学部への進学や、福祉施設への就職を希望していました。
ところが、両親が「経済的にやっていけないから止めろ」と強く反対し、断念しました。
それから、多くの月日が流れて、兄自身が患者としてリハビリをすることになったのは皮肉ですね。
兄のリハビリ内容を紹介すると、まず「理学療法」は、足の筋肉を鍛えるための筋トレ機器やルームランナーなどを使った訓練や、ストレッチや片足ずつの平衡運動、そして散歩などの訓練をしています。
一方、「作業療法」では、積み木や小さな棒、ビーズを使った手作業や、手首・指の体操・マッサージなどをしています。
どちらも、30歳前後の理学療養士や作業療法士の若者たち(女子7対男子3ぐらいの比率)が先生になって、中高年を中心とした患者に、コツコツと熱心に指導してくれています。
目立ちませんが、ここには、高齢化社会を影で支える志のある若者たちが、たくさんいます。
それにしても、母はブレーキとアクセルを踏み間違え、交通事故で骨折したケガのリハビリで入院中、兄も別病院で脳梗塞の疑いで動きが悪くなった左手のリハビリ、父は介護施設、平和だった我が家は崩壊状態です。
それに追い打ちをかけるように、先月の兄の医療費は、最初に入院した総合病院Bの支払い額が9万円(3割負担)、転院後に月末6日だけ入院したリハビリ病院Eでは、経費が24万円(保険で実際の支払いは3割負担の8万円)です。
一応、高額医療の上限はありますが、計算上は、リハビリ病院の医療費が1日4万円ということになります。
うかうか入院もしていられませんね。
<写真 リハビリ病院の屋上から見た朝日>
たった一つの救いは、個人個人が持っている携帯電話のおかげで、兄と母の入院患者同士、子供と兄、そして奥さんや私(妹)が、毎日のように連絡を取り合えて、家族のコミュニケーションは、普段より深まったことです。
電話機能は、ラインやネット、メールなどに押されて普段はあまり使われませんが、こんな時は、やっぱり、世代を超えて使える電話ですね。
○格言 「入院中 家族の絆 もしもしもし」
最後は、電話が大活躍していた昭和の名曲を紹介します。
♪「あなたを・もっと・知りたくて」♪
(歌:薬師丸ひろ子、作詞:松本隆、作曲:筒美京平 1985年)
♪(2番)
離れても 心は君の
そばにある そう言ったでしょ
星空に逢いに来てって
頼んでも風の音だけ
「もしもし うん、まだ切らないで」
受信機を耳に 眠り込んでいた
少女へと戻りたい
もっともっと私を
もっともっと知ってね
いま髪を洗い いま本を閉じて
そしてあなたの写真に キスをした
もっともっとあなたを
もっともっと知りたい
いま何してるの? いま何処にいるの?
そして愛してる人は 誰ですか? ♪
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