リオデジャネイロは、南米・ブラジルにある街で、人口は632万人のブラジル第2の大都市です。
これを日本の都市と比較すると、日本2位の横浜市の369万人を上回り、東京23区の895万人についで2番目になります。(2010年)
<コルコバードの丘とリオデジャネイロ市街>
リオデジャネイロ( Rio de Janeiro)は、ポルトガル語で「1月の川」という意味です。
これは、1502年(日本では戦国時代)1月に、ポルトガル人の探検家ガスパール・デ・レモスたちが、グアナバラ湾のあるこの地に到達した時、大西洋に面するグアナバラ湾の湾口が狭まっているため大きな川であると勘違いし、発見した月にちなんで、「1月の川」と命名したことに由来します。
その後、17世紀までは、リオデジャネイロは小さな港町にすぎませんでした。
しかし、18世紀に内陸の「ミナスジェライス州」周辺で金鉱が発見されると、金の集散地として発展しました。
そして、1763年(江戸時代中期)には、ブラジル総督府がリオに移され、「ブラジル植民地」の首府となりました。
さらに、1809年には、ナポレオン軍に追われた本国ポルトガルの宮廷がリスボンからリオジャネイロに官邸を移し、リオが「ポルトガル・ブラジル連合王国」の首都となりました。
1821年に、王の帰還と共にポルトガル首都はリスボンに再遷都されましたが、ブラジル独立派がリオに残っていた王太子ドン・ペドロを擁立し、1822年に「ブラジル帝国」の独立を宣言し、リオはブラジル帝国の首都となりました。
1889(明治22)年に、ブラジルの帝政が廃止され共和制に移行すると、リオデジャネイロは、引き続き「ブラジル連邦共和国」の首都となりました。
その後、1960(昭和35)年に、クビシェッキ大統領によって首都はブラジリアに移され、リオは行政の中心地としての機能を失いました。
しかし、人口は増え続けていて、1872年に27万人だったのが、1900年に81万人、1950年に237万人、2000年に585万人となり、現在は600万人を超えています。
<ブラジルの地図>
リオデジャネイロの人口比は、白人が53%、混血が34%、黒人が13%で、日系人も移民の子孫を中心に約15、000人ほどが住んでいます。
市の南部には、南アメリカ大陸で最も地価の高いレプロン地区やイパネマなどの高級住宅街があります。
一方で、西部や北部の山麓地帯などには、不法に立てられた貧民街「ファヴェーラ」(スラム)も点在し、市民の所得格差は大きくなっています。
これが「治安の悪い街」といわれる原因の一つになっています。
しかし、このリオデジャネイロでは、2016(平成28)年開催の「夏季オリンピック」をはじめ、1950年と2014年の2回、サッカーのワールドカップが開催されていて、それらの主会場となった「マラカナン・スタジアム」は、市の北部にあります。
リオデジャネイロの観光で有名なのは、「コルコバードのキリスト像」と「リオのカーニバル」です。
リオデジャネイロのシンボルともいえる「コルコバールのキリスト像」は、市の南部の丘の上にあり、高さ39.6m(台座の高さ9.5mを含む)、幅30mで、635トンの重量があります。
1931(昭和6)年に、「ブラジル独立100周年」を記念して作られたもので、中には150人が入れるキリスト教の礼拝堂があり、丘の上へは登山電車で行くことができます。
キリスト像からリオデジャネイロの市街を見た景観は、「リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群」として、2012年に世界遺産に登録されています。
因(ちな)みに、「カリオカ」とは、リオデジャネイロの出身者や住民をさしますので、「江戸っ子」と同じような響きですかね?。
<コルコバードのキリスト像>
リオのもう一つの観光の目玉「リオのカーニバル」は、毎年、2月から3月頃に開催される世界最大級のカーニバル(祭り)で、2016年は2月5日(金)に始まり2月9日(火)まで開催され、人出は102万人でした。
1723年(江戸時代中期)まで遡ることができる歴史をもつ「リオのカーニバル」は、もともとは「謝肉祭(カーニバル)」と呼ばれ、イースター(復活祭)へ向けての禁欲期間へ入る前に「飲めや歌えの大騒ぎ」をして食べ収めをするという、キリスト教地域のお祭りです。
ヨーロッパを中心に、数々の有名なカーニバルがありますが、世界で最も有名なものといえば、やはりリオデジャネイロで行われる「リオのカーニバル」(ポルトガル語では「 Carnaval do Rio
de Janeiro」)です。
リオのカーニバルのパレードは、「サンバ学校 (ポルトガル語: Escola de samba)」と呼ばれる様々なグループの人々やフロート車が数多く参加し、サンバのリズムに合わせて踊ります。(学校はもちろん、本物の学校ではなくシャレで、つけられたものです。)
パレードは4日間行われ、初日と最終日は2軍・3軍で、2日目(日曜日)と3日目(月曜日)がメインの「スペシャルチーム」が踊り、コンテストが行われます。
優勝賞金は5億円とも言われており、真剣勝負です。
内容的には、日本の「阿波踊り」と「よさこい踊り」を足して2で割った感じですね。
そういえば、阿波踊りとリオのカーニバルは、相互に出演しているそうです。
<リオのカーニバル>
リオデジャネイロ出身の有名人としては、サッカーの世界的名選手で、日本代表の監督も務めたジーコ (本名 アルトゥール・アントゥネス・コインブラ)さん(1953年~)や、F1の年間ドライバーチャンピオンに3回も輝いたネルソン・ピケ(1952年~)さんなどのスポーツ選手が有名です。
ほかに、名曲「イパネマの娘」などを作曲しボサノバの生みの親と言われる音楽家のアントニオ・カルロス・ジョビン(1927年~1994年)さんや、日本のサッカー界で活躍したラモス瑠偉(1957年~)さんもリオデジャネイロの出身です。
ちなみに、ラモスさんの日本での愛称は「カリオカ」(リオっ子?)だったそうです。
最後に、「いい話」を一つ。
「世界一、治安の悪い街」とも言われるリオデジャネイロですが、世界中を一人旅している女性のブログでは、「リオのほとんどの市民はやさしい」そうです。
彼女が初めてリオに行ってバスに乗った時、「ホテルの場所」を聞くと、バスに乗っていたほとんどのお客さんたちが、「あのホテルだろう」とか「こう行った方がいいよ」とか言い始め、一人のお客さんがホテルへ送ってくれたそうです。
リオの犯罪のほとんどは、強盗や泥棒をしないと生きていけない人たちが犯したもので、お金さえ渡せば命を奪われることは、少ないそうです。
本当は優しい人が多いリオ、そういえばオリンピックの日本選手への応援もとても多いような気がします。
「リオデジャネイロ・オリンピック」が、成功して日本人選手が活躍することを祈りたいと思います。
それでは、今回のブログはこの辺で、「Adeus!」(ポルトガル語 さようなら)
<リオデジャネイロ市内を走るバス>
市
0 件のコメント:
コメントを投稿