2016(平成28)年8月のリオデジャネイロ・オリンピックは、日本選手が史上最多のメダルをとり、逆転につぐ逆転の活躍をしました。 たくさんの選手の中から、あまりテレビなどで紹介されていない内容も含めて、何人かの選手の名言とプロフィールを紹介します。
まず1回目は、体操の個人と団体で金メダルを取った内村航平選手です。
内村選手は、リオ大会の前、スマホの待ち受けに「銀メダル」を入れていたそうです。
もちろん、2012年のロンドンオリンピックで金メダルをとっていたのですが、
「世界選手権は人生で一番悔しい銀メダルだったので、そのメダルを待ち受けに入れています。
次のオリンピックで金メダルに変えたいですね。」
と話していました。
栄光より挫折が、次の力になるということですね。
2016年のリオ・オリンピックで2つの金メダルをとったので、今は金メダルに変わっているのでしょうか?
<内村記念アリーナ(長崎県、諫早市中央体育館)>
内村航平(うちむら こうへい)さんは、1989(昭和64)年1月3日、福岡県北九州市で生まれました。
彼が生まれたのは、昭和の最後の年、平成に変わる5日前です。「昭和最後のヒーロー」と言えそうですね。
因(ちな)みに、「航平」という名前は、「平成の時代をまっすぐ渡れるように」あるいは「太平洋を渡って世界で活躍するように」という願いが込められているそうです。
また、「誕生日が同じ坂本龍馬が好き」と本人が言っています。
坂本龍馬は、幕末の天保6年11月15日の生まれですが、これを西暦に直すと1836年1月3日になります。このことを知っているとは、内村さん、結構、歴史好きですね。
1992(平成4)年に、元体操選手だった両親が『スポーツクラブ内村』を開設し、長崎県諫早市に移住しました。航平少年は、この時(3歳)から体操を始めます。
小学生の頃は「ピンクパンサー」の人形をずっと触って、イメージトレーニングをしていました。さわり過ぎて、ピンクパンサーがブラックパンサーになったそうです。
<ピンクパンサーの人形>
2004(平成16)年、諫早市立諫早中学を卒業と同時に両親の反対を押し切り上京し、「朝日生命体操クラブ」に入門しました。
内村選手は、東洋高校(東京都千代田区)から日本体育大学に進学します。
O脚を治すために、両脚を柔道の帯で縛って眠るなど、体操づけの学生時代を送ります。
高校3年ぐらいから世界が視野に入ったという内村は、2007(平成18)年にユニバーシアードの団体と種目別ゆかで優勝し、続く2008(平成19)年には北京大会でオリンピックに初出場します。
北京では、団体と個人総合で銀メダルをとりました。
しかし、「銀でも4位でも同じ。」と金メダルへの意欲を見せました。
日体大卒業後の2011(平成23)年4月、「コナミスポーツ&ライフ」に入社し、2012(平成24)年に、2度目のオリンピック、ロンドン大会に臨みます。
ロンドンでは個人総合で悲願の金メダルをとり、種目別のゆかと団体総合で銀メダルをとりました。
「まだ限界じゃない。どこまでいけるか分からないけど、自分の限界に挑戦したい。次のリオでは団体金メダルをめざしたい。」
そう話した内村航平さんは、オリンピック終了後の2012年11月に千穂さんと結婚し、その後、2人の女の子が誕生しています。
子供といえば、内村航平選手の好物は、駄菓子のユーラク「ブラックサンダー」ですが、オリンピック中は禁止だったということです。(終了で、解禁ですね。)
ためしに、私も買ってきて食べてみました。
甘くて、元気が出そうです。
<内村航平さんの好物ブラックサンダー>
「団体優勝」を目指した2016年のリオデジャネイロ・オリンピックでは、予選の鉄棒で落下するなど苦戦しますが、見事に目標の「団体金」をとりました。
しかし、個人総合では、ウクライナのベルニャエフ選手に、5種目目まで0.901差と、体操では逆転が厳しい差になりました。
最終種目の鉄棒では、途中でぎっくり腰になりながらも。完璧に演技し15.800の高得点をたたき出して、ベルニャエフを0.099差でかわして逆転で個人総合2連覇を達成しました。
「世界最高の体操選手」と言われる内村航平選手ですが、体は「ぎっくり腰」になるなどボロボロで、種目別では一つもメダルをとれませんでした。
それでも内村選手の大会終了後のインタビューでは、こう答えています。
「これまでの自分の体操人生の中で、一番いい日でした。すべてを出しきり金がとれたので、幸せです。もう何も出ません。」
「信じられるのは練習と自分だけ」と言っていた内村選手が、今回のリオで目標にしたのが、団体金で、それを見事に達成したのは、本当にすばらしいですね。
<リオデジャネイロ・オリンピックの金メダル>
おしまいは、内村航平さんの人柄を物語る、ライバルの言葉を紹介します。
リオ・オリンピックで体操個人総合・銅メダルをとったイギリスのウイットロック選手の言葉です。
「大変素晴らしい。彼は皆のお手本です。今日の最後の鉄棒は言葉がない。クレイジーとしかいえない。」
そして、内村航平選手に大逆転負けをしたウクライナのベルニャエフ選手の言葉です。
「(内村選手は審判に気に入られているのではとの外国人記者の質問に)審判も個人のフィーリングは持っているだろうが、スコアに対してはフェアで神聖なもの。航平さんはキャリアの中でいつも高い得点をとっている。それは無駄な質問だ。」
さらに、ベルニャエフ選手はこうも言っています。
「航平さんを一生懸命追っているが簡単じゃない。この伝説の人間と、一緒に競い合えていることが嬉しい。世界で1番クールな人間だよ。」
3人とも本当にすばらしい「クール」なメダリストですね。
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