2016年8月27日土曜日

リオのヒロイン(2)高橋礼華・松友美佐紀ペア~バドミントンで大逆転の金~

 
 
 
 リオデジャネイロ・オリンピックのヒーロー・ヒロインたちを紹介する2回目は、バドミントンの女子ダブルスで日本史上初のオリンピック・金メダルを獲得した「高橋礼華・松友美佐紀ペア」です。
 リオ・オリンピックで日本選手が獲得した金メダルは12個でした。そのうち11個は、「水泳(2個)、体操(2個)、レスリング(4個)、柔道(3個)」という、過去にも金メダルを取ったことがあるいわゆる「お家芸」の種目でした。
 ただ1つ、オリンピックの正式種目になって「日本が初めて取った金メダル」が、バドミントンの女子・ダブルスの「高橋・松友ペア」でした。

 それも、デンマークペアとの決勝が、「1対1のファイナルセット」にもつれ込んで、21点で決まるセットで「16対19」とリードされて、あと2点で負けるところから連続5ポイントをとって大逆転で勝利して金メダルをとったのには、本当に興奮しました。

 2人は「どうせ負けるなら、相手に『あっ』といわせてやろうと思った」(松友選手)、「前日のレスリングの伊調薫選手の大逆転を思い出し私たちもいけるかもと思った」(高橋選手」と思ったそうで、
世界ランク1位の底力を出したすごい金メダルでした。

 正直、バドミントンの試合をあまり見なかった人たちにも、「男子トップ選手のカジノ問題」を払拭し、バドミントン・ファンにさせたのではないかと思います。

<女子ダブルス(高橋・松友) リオ・金メダル記念切手>


  高橋・松友のペアは、高校時代から10年も組んでいるそうですが、前回のロンドン大会では日本代表にもなれなかった2人が、リオ・オリンピックで世界一になったのには、すごい努力があったそうです。

 それでは、2人のプロフィールを紹介します。

 まず、高橋礼華(たかはし あやか)さんは、1990(平成2)年4月19日生まれで、奈良県橿原(かしはら)市出身の26歳です。

 橿原市は、人口12万5000人ほどの奈良県第2の都市で、紀元前660年に、初代の神武天皇が即位し日本を建国したと伝えられている「橿原の宮」があることで知られています。

 バドミントンを始めたのは、お母さんがやっていて、ついて行ったのがきっかけだそうです。
 橿原市立白橿南小学校から、バドミントンの強豪で宮城県仙台市にある「聖ウルスラ学院英智中学校、同高等学校を卒業し、実業団の「日本ユニシス」に入社しバドミントン部に所属しています。

 2000年、小学校4年の時に、小学校5年以下の「全国小学校大会」の女子ダブルス(コンビは松友ではありません)で優勝しました。

 また、小学校5年の時に、徳島に遠征して小学4年生の松友と出会い、直接対決で先輩の意地を見せて
圧勝し、それがきっかけで2人は文通をはじめます。(メル友でないところが、いいですね。)

 聖ウルスラ学院高校2年の時に1年生の松友とコンビを組んでからは、2008年に高校総体(インターハイ)で優勝し、2011年には全日本選手権でも優勝しました。

 高橋礼華さんは、「三代目J Soul Brothers」 の山下健二郎さんの熱烈なファンで、金メダルを獲得したことで、山下さんに会うことができそうです。

 彼女のツイッターの自己紹介の欄には、「奈良→宮城→東京→たまに海外。実業団でバドミントンやってます。美味しいカフェ探しにはまってます。」という、女の子らしい書き込みがあります。

<聖ウルスラ学院英智高等学校(宮城県仙台市)>




  一方、松友美佐紀(まつとも みさき)さんは、1992(平成4)年2月8日、四国の徳島県板野郡藍住町の出身で24歳です。

 藍住(あいずみ)町は、人口約3万5000人で、「四国三郎」の名前で知られる吉野川の北岸にある町で、徳島市のベットタウンにもなっています。

 松友さんは、5歳から地元の「藍住エンジェルスポーツ少年団藍住エンジェルクラブ」に所属してバドミントン競技を始めました。
 きっかけは、高橋さんと同じく「お母さんがバドミントンをやっていたのを見て」始めたそうです。

 藍住町立藍住東小学校の時代から、バドミントンの全国大会で何度も優勝しています。
 小学校卒業時には、県外の強豪校から誘われますが、中学3年の時に、徳島で「全国中学体育大会」が開催される予定だったので、徳島市の徳島中学に進学します。

 2006(平成18)年の中学3年の時に、地元徳島県で開催された「全国中学校バドミントン大会」では、シングルス、団体とも優勝しました。

<松友美佐紀さんモデルのラケットCM>




  2007(平成19)年に、宮城県の聖ウルスラ学院英智高校に進学し、1年生の時から1学年上の高橋選手とダブルスを組みます。

 本来はシングルスプレーヤーだった高橋と松友を、ペアとして組ませたのは、聖ウルスラ学院英智高校の田所光男監督でした。

 
 強気で攻める髙橋さんと、冷静に攻撃を組み立てる松友さんはぴったり合うと思っていたようですが、実は余っていた二人だったそうです。(まさに、「残り物には福がある」ですね。)

 松友さんが高校2年生の2008年の高校総体(インターハイ)では、松友さんはシングルス、ダブルス(高橋・松友組)、団体と優勝し、三冠を達成しました。さすが、ですね。

 高校3年の時は優勝を逃しますが、卒業後は、高橋先輩の後を追って、実業団の強豪「日本ユニシス」に入社し、バドミントン部に所属します。

 松友美佐紀さんが、徳島県藍住町の自宅に帰省すると、おばあさんが近くの吉野川で、「しじみ」を取採ってきてくれて「しじみ汁」を作ってくれるそうです。
 彼女は、この「しじみ汁」が大好物で、オリンピックで金メダルを取ったあとも、「おばあちゃんのしじみ汁が食べたい」とインタービューに答えていました。

<吉野川のしじみ採り(徳島県藍住町・徳島市)>



 社会人として、「たかまつ」コンビを組んだ2人は、2011年の全日本選手権・女子ダブルスで優勝しますが、残念ながらロンドン・オリンピックの日本代表にはなれませんでした。

 その悔しさをバネに、2人は国内・海外の多くの大会で優勝し、バドミントンの日本選手では初の「世界ランク1位」になり、リオデジャネイロ・オリンピックで、見事に逆転で、日本バドミントン初の金
メダルを獲得しました。
 本当に、おめでとうございます。


 ここで、日本ではマイナースポーツだった「バドミントン」のトリビアをいくつか紹介します。

 まず、シャトルと呼ばれる「バドミントンの羽」は、競技用ではほとんど「食用のガチョウの羽」でできているそうです。

 次に、バドミントンのラケットでシャトルを打つ時の最高速度は、493kmにもなり、「すべての球技の中で、打球の初速がもっとも早い」として、ギネスブックに認定されています。

 もう1つ、バドミントンは、21点を早くとった方がセットをとり、2セット先取で勝利します。
 ただし、ポイントが20点対20点になると、2点差がつくまで延長されます。
 と。ここまではバレーボールや卓球と同じですが、実は「バドミントン」は、29対29まで行くと、1球勝負になります。
 つまり、30対29でも、先に30点目を取った方が勝ちになります。
<高松市役所の横断幕>



  最後は、「たかまつ」ペアの名前についての話です。


 ネット上では、「たかまつペア」の活躍に便乗?した香川県高松市の、2人への応援が話題になっています。

 香川県高松市は、「高松ペア」の出身地でも学校や職場の所在地でもありませんが、高松市役所のロビーには「高松市は『高松ペア』を応援しています!」という横断幕が飾られいました。
 さらに、リオ・オリンピックの金メダルを受けて「祝金メダル『高松ペア』感動をありがとう!」と書かれたものに、横断幕が取り換えられたそうです。

 さらに、「高松でパレードを」とか「名誉市民に」とか、「うどんを贈ろう」とか、いろんな話が出て、高松市は盛り上がっているそうです。

 まあ、高橋選手や松友選手が迷惑でなければ、「オリンピックに便乗して知名度を上げる」のは、ナイスアイデアかもしれませんね。

 因みに、2人の本当の出身地、高橋礼華選手の奈良県と、松友美佐紀選手の徳島県では、それぞれ「県民栄誉賞」を贈ることに決まったそうです。

  ともかくも、世界一のコンビネーションと、逆境でもあきらめないことを、教えてくれた「高橋・松友」ペアに感謝し、今後の活躍を祈りたいと思います。

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