2016年8月30日火曜日

Uターン台風10号、史上初、東北太平洋岸に上陸の恐れ! 厳戒を

2016年8月30日(火)から31日(水)にかけて、台風10号(ライオンロック=香港の山の名前)が東北太平洋岸に上陸する見込みです。
 しっかりと準備し、厳重に警戒してください。

 気象庁の発表によりますと、8月30日午前3時現在、台風10号は、千葉県銚子市の南東380kmの北緯33度25分、東経143度55分の海上にあって、北北東へ毎時20kmの速さで進んでいます。
 中心気圧は965hp(ヘクトパスカル)、中心付近の最大風速は35m/sと強い勢力を保ち、風速25m/s以上の暴風域も東側170km、西側70kmの大きさで伴っています。

(ちなみに、台風の強さはhpではなく、中心付近の最大風速で決めています。33m/s以上44m/s未満が「強い台風」、44m/s以上54m/s未満が「非常に強い台風」、54m/s以上が「猛烈な台風」です。33m/s未満は以前は「並の台風」とか「弱い台風」と呼んでいましたが、今は使っていません。台風10号は30日午前3時現在、35m/sで「強い台風」です。)

 台風10号は8月30日の午後から夜にかけて、東北地方の太平洋側に上陸しその後東北を南東から北西へ縦断する恐れが強まっています。
 関東から北海道までの広い範囲で、暴風・大雨・高潮などに十分注意してください。

<台風10号 気象庁HP>

 今回の台風10号は、関東の南海上で発生したあと、沖縄近くまで南下し、その後、Uターンしてきて、東北太平洋岸に向かう予測です。

 台風が東北太平洋側に上陸するのは、記録をとりはじめてから初めてです。特に、今回、台風10号の上陸が予想される地域は、岩手県・宮城県・福島県など、東日本大震災の被災地です。

 台風の直撃になれていない上、震災で地盤が低くなったり建物が弱っている地域も多いので、暴風、大雨に加えて、高潮や突風(竜巻)にも注意してください。



  改めて、台風への備えを紹介しますので、十分に警戒してください。
 
(1) 家の外の備え(風雨が激しくなる前)
  水害に備え、側溝や排水溝の掃除をし、水はけをよくする。また、屋根、塀、壁などの点検、補強も台風が来る前に行っておく。
 
(2) 非常用品を備蓄
 ライフライン(水道・電気など)が途絶えたときの事を想定して、非常用品を備えましょう。食料・水・電池等は、救助・復旧に必要な、概ね3日分程度が必要と言われています。
 
<備蓄推奨品>
・ 懐中電灯(LEDライト)やマッチ・ライター
・ 情報取得・通信手段(携帯・スマホやラジオと電池・充電器など)
・ 非常用食料と飲料水(3日分)
・ 貴重品(小銭を含むお金など)
・ 薬(特に病気の人)やおむつ(幼児がいる家庭)
・ 生活用水(お風呂に水をためておくと、水洗トイレや洗い物等に使えます)
 
(3)家族で話し合っておく
 避難場所やルート・方法、落ち合う場所・連絡方法などを、家族で話し合い確認しておきましょう。
 できれば、地元自治体(区・市町村等)のホームページなどで、「ハザードマップ」を確認・取得しておきたいものです。
   
 台風への備えと非難は、早めにしっかりと余裕をもって行い、厳重に警戒してください。
 雨の場合の避難は、土砂災害については「ただちに避難」が必要ですが、洪水については「2階などへの縦避難」の方が安全な場合もあります。

2016年8月27日土曜日

リオのヒロイン(2)高橋礼華・松友美佐紀ペア~バドミントンで大逆転の金~

 
 
 
 リオデジャネイロ・オリンピックのヒーロー・ヒロインたちを紹介する2回目は、バドミントンの女子ダブルスで日本史上初のオリンピック・金メダルを獲得した「高橋礼華・松友美佐紀ペア」です。
 リオ・オリンピックで日本選手が獲得した金メダルは12個でした。そのうち11個は、「水泳(2個)、体操(2個)、レスリング(4個)、柔道(3個)」という、過去にも金メダルを取ったことがあるいわゆる「お家芸」の種目でした。
 ただ1つ、オリンピックの正式種目になって「日本が初めて取った金メダル」が、バドミントンの女子・ダブルスの「高橋・松友ペア」でした。

 それも、デンマークペアとの決勝が、「1対1のファイナルセット」にもつれ込んで、21点で決まるセットで「16対19」とリードされて、あと2点で負けるところから連続5ポイントをとって大逆転で勝利して金メダルをとったのには、本当に興奮しました。

 2人は「どうせ負けるなら、相手に『あっ』といわせてやろうと思った」(松友選手)、「前日のレスリングの伊調薫選手の大逆転を思い出し私たちもいけるかもと思った」(高橋選手」と思ったそうで、
世界ランク1位の底力を出したすごい金メダルでした。

 正直、バドミントンの試合をあまり見なかった人たちにも、「男子トップ選手のカジノ問題」を払拭し、バドミントン・ファンにさせたのではないかと思います。

<女子ダブルス(高橋・松友) リオ・金メダル記念切手>


  高橋・松友のペアは、高校時代から10年も組んでいるそうですが、前回のロンドン大会では日本代表にもなれなかった2人が、リオ・オリンピックで世界一になったのには、すごい努力があったそうです。

 それでは、2人のプロフィールを紹介します。

 まず、高橋礼華(たかはし あやか)さんは、1990(平成2)年4月19日生まれで、奈良県橿原(かしはら)市出身の26歳です。

 橿原市は、人口12万5000人ほどの奈良県第2の都市で、紀元前660年に、初代の神武天皇が即位し日本を建国したと伝えられている「橿原の宮」があることで知られています。

 バドミントンを始めたのは、お母さんがやっていて、ついて行ったのがきっかけだそうです。
 橿原市立白橿南小学校から、バドミントンの強豪で宮城県仙台市にある「聖ウルスラ学院英智中学校、同高等学校を卒業し、実業団の「日本ユニシス」に入社しバドミントン部に所属しています。

 2000年、小学校4年の時に、小学校5年以下の「全国小学校大会」の女子ダブルス(コンビは松友ではありません)で優勝しました。

 また、小学校5年の時に、徳島に遠征して小学4年生の松友と出会い、直接対決で先輩の意地を見せて
圧勝し、それがきっかけで2人は文通をはじめます。(メル友でないところが、いいですね。)

 聖ウルスラ学院高校2年の時に1年生の松友とコンビを組んでからは、2008年に高校総体(インターハイ)で優勝し、2011年には全日本選手権でも優勝しました。

 高橋礼華さんは、「三代目J Soul Brothers」 の山下健二郎さんの熱烈なファンで、金メダルを獲得したことで、山下さんに会うことができそうです。

 彼女のツイッターの自己紹介の欄には、「奈良→宮城→東京→たまに海外。実業団でバドミントンやってます。美味しいカフェ探しにはまってます。」という、女の子らしい書き込みがあります。

<聖ウルスラ学院英智高等学校(宮城県仙台市)>




  一方、松友美佐紀(まつとも みさき)さんは、1992(平成4)年2月8日、四国の徳島県板野郡藍住町の出身で24歳です。

 藍住(あいずみ)町は、人口約3万5000人で、「四国三郎」の名前で知られる吉野川の北岸にある町で、徳島市のベットタウンにもなっています。

 松友さんは、5歳から地元の「藍住エンジェルスポーツ少年団藍住エンジェルクラブ」に所属してバドミントン競技を始めました。
 きっかけは、高橋さんと同じく「お母さんがバドミントンをやっていたのを見て」始めたそうです。

 藍住町立藍住東小学校の時代から、バドミントンの全国大会で何度も優勝しています。
 小学校卒業時には、県外の強豪校から誘われますが、中学3年の時に、徳島で「全国中学体育大会」が開催される予定だったので、徳島市の徳島中学に進学します。

 2006(平成18)年の中学3年の時に、地元徳島県で開催された「全国中学校バドミントン大会」では、シングルス、団体とも優勝しました。

<松友美佐紀さんモデルのラケットCM>




  2007(平成19)年に、宮城県の聖ウルスラ学院英智高校に進学し、1年生の時から1学年上の高橋選手とダブルスを組みます。

 本来はシングルスプレーヤーだった高橋と松友を、ペアとして組ませたのは、聖ウルスラ学院英智高校の田所光男監督でした。

 
 強気で攻める髙橋さんと、冷静に攻撃を組み立てる松友さんはぴったり合うと思っていたようですが、実は余っていた二人だったそうです。(まさに、「残り物には福がある」ですね。)

 松友さんが高校2年生の2008年の高校総体(インターハイ)では、松友さんはシングルス、ダブルス(高橋・松友組)、団体と優勝し、三冠を達成しました。さすが、ですね。

 高校3年の時は優勝を逃しますが、卒業後は、高橋先輩の後を追って、実業団の強豪「日本ユニシス」に入社し、バドミントン部に所属します。

 松友美佐紀さんが、徳島県藍住町の自宅に帰省すると、おばあさんが近くの吉野川で、「しじみ」を取採ってきてくれて「しじみ汁」を作ってくれるそうです。
 彼女は、この「しじみ汁」が大好物で、オリンピックで金メダルを取ったあとも、「おばあちゃんのしじみ汁が食べたい」とインタービューに答えていました。

<吉野川のしじみ採り(徳島県藍住町・徳島市)>



 社会人として、「たかまつ」コンビを組んだ2人は、2011年の全日本選手権・女子ダブルスで優勝しますが、残念ながらロンドン・オリンピックの日本代表にはなれませんでした。

 その悔しさをバネに、2人は国内・海外の多くの大会で優勝し、バドミントンの日本選手では初の「世界ランク1位」になり、リオデジャネイロ・オリンピックで、見事に逆転で、日本バドミントン初の金
メダルを獲得しました。
 本当に、おめでとうございます。


 ここで、日本ではマイナースポーツだった「バドミントン」のトリビアをいくつか紹介します。

 まず、シャトルと呼ばれる「バドミントンの羽」は、競技用ではほとんど「食用のガチョウの羽」でできているそうです。

 次に、バドミントンのラケットでシャトルを打つ時の最高速度は、493kmにもなり、「すべての球技の中で、打球の初速がもっとも早い」として、ギネスブックに認定されています。

 もう1つ、バドミントンは、21点を早くとった方がセットをとり、2セット先取で勝利します。
 ただし、ポイントが20点対20点になると、2点差がつくまで延長されます。
 と。ここまではバレーボールや卓球と同じですが、実は「バドミントン」は、29対29まで行くと、1球勝負になります。
 つまり、30対29でも、先に30点目を取った方が勝ちになります。
<高松市役所の横断幕>



  最後は、「たかまつ」ペアの名前についての話です。


 ネット上では、「たかまつペア」の活躍に便乗?した香川県高松市の、2人への応援が話題になっています。

 香川県高松市は、「高松ペア」の出身地でも学校や職場の所在地でもありませんが、高松市役所のロビーには「高松市は『高松ペア』を応援しています!」という横断幕が飾られいました。
 さらに、リオ・オリンピックの金メダルを受けて「祝金メダル『高松ペア』感動をありがとう!」と書かれたものに、横断幕が取り換えられたそうです。

 さらに、「高松でパレードを」とか「名誉市民に」とか、「うどんを贈ろう」とか、いろんな話が出て、高松市は盛り上がっているそうです。

 まあ、高橋選手や松友選手が迷惑でなければ、「オリンピックに便乗して知名度を上げる」のは、ナイスアイデアかもしれませんね。

 因みに、2人の本当の出身地、高橋礼華選手の奈良県と、松友美佐紀選手の徳島県では、それぞれ「県民栄誉賞」を贈ることに決まったそうです。

  ともかくも、世界一のコンビネーションと、逆境でもあきらめないことを、教えてくれた「高橋・松友」ペアに感謝し、今後の活躍を祈りたいと思います。

2016年8月21日日曜日

リオのヒーロー(1)体操・内村航平選手~龍馬と同じ誕生日・待ち受けは銀メダル~

 
 2016(平成28)年8月のリオデジャネイロ・オリンピックは、日本選手が史上最多のメダルをとり、逆転につぐ逆転の活躍をしました。 たくさんの選手の中から、あまりテレビなどで紹介されていない内容も含めて、何人かの選手の名言とプロフィールを紹介します。
 まず1回目は、体操の個人と団体で金メダルを取った内村航平選手です。

 内村選手は、リオ大会の前、スマホの待ち受けに「銀メダル」を入れていたそうです。
 もちろん、2012年のロンドンオリンピックで金メダルをとっていたのですが、
「世界選手権は人生で一番悔しい銀メダルだったので、そのメダルを待ち受けに入れています。
 次のオリンピックで金メダルに変えたいですね。」
 と話していました。

  栄光より挫折が、次の力になるということですね。
  2016年のリオ・オリンピックで2つの金メダルをとったので、今は金メダルに変わっているのでしょうか?

<内村記念アリーナ(長崎県、諫早市中央体育館)>





 内村航平(うちむら こうへい)さんは、1989(昭和64)年1月3日、福岡県北九州市で生まれました。
 彼が生まれたのは、昭和の最後の年、平成に変わる5日前です。「昭和最後のヒーロー」と言えそうですね。
 因(ちな)みに、「航平」という名前は、「平成の時代をまっすぐ渡れるように」あるいは「太平洋を渡って世界で活躍するように」という願いが込められているそうです。

 また、「誕生日が同じ坂本龍馬が好き」と本人が言っています。
 坂本龍馬は、幕末の天保6年11月15日の生まれですが、これを西暦に直すと1836年1月3日になります。このことを知っているとは、内村さん、結構、歴史好きですね。

 1992(平成4)年に、元体操選手だった両親が『スポーツクラブ内村』を開設し、長崎県諫早市に移住しました。航平少年は、この時(3歳)から体操を始めます。

 小学生の頃は「ピンクパンサー」の人形をずっと触って、イメージトレーニングをしていました。さわり過ぎて、ピンクパンサーがブラックパンサーになったそうです。

<ピンクパンサーの人形>

 
 



 2004(平成16)年、諫早市立諫早中学を卒業と同時に両親の反対を押し切り上京し、「朝日生命体操クラブ」に入門しました。
 内村選手は、東洋高校(東京都千代田区)から日本体育大学に進学します。

 O脚を治すために、両脚を柔道の帯で縛って眠るなど、体操づけの学生時代を送ります。

 高校3年ぐらいから世界が視野に入ったという内村は、2007(平成18)年にユニバーシアードの団体と種目別ゆかで優勝し、続く2008(平成19)年には北京大会でオリンピックに初出場します。
 北京では、団体と個人総合で銀メダルをとりました。
 しかし、「銀でも4位でも同じ。」と金メダルへの意欲を見せました。

 日体大卒業後の2011(平成23)年4月、「コナミスポーツ&ライフ」に入社し、2012(平成24)年に、2度目のオリンピック、ロンドン大会に臨みます。
 ロンドンでは個人総合で悲願の金メダルをとり、種目別のゆかと団体総合で銀メダルをとりました。

「まだ限界じゃない。どこまでいけるか分からないけど、自分の限界に挑戦したい。次のリオでは団体金メダルをめざしたい。」

 そう話した内村航平さんは、オリンピック終了後の2012年11月に千穂さんと結婚し、その後、2人の女の子が誕生しています。
 子供といえば、内村航平選手の好物は、駄菓子のユーラク「ブラックサンダー」ですが、オリンピック中は禁止だったということです。(終了で、解禁ですね。)
 ためしに、私も買ってきて食べてみました。
 甘くて、元気が出そうです。



<内村航平さんの好物ブラックサンダー>



 「団体優勝」を目指した2016年のリオデジャネイロ・オリンピックでは、予選の鉄棒で落下するなど苦戦しますが、見事に目標の「団体金」をとりました。

 しかし、個人総合では、ウクライナのベルニャエフ選手に、5種目目まで0.901差と、体操では逆転が厳しい差になりました。
 最終種目の鉄棒では、途中でぎっくり腰になりながらも。完璧に演技し15.800の高得点をたたき出して、ベルニャエフを0.099差でかわして逆転で個人総合2連覇を達成しました。

 「世界最高の体操選手」と言われる内村航平選手ですが、体は「ぎっくり腰」になるなどボロボロで、種目別では一つもメダルをとれませんでした。
 それでも内村選手の大会終了後のインタビューでは、こう答えています。

 「これまでの自分の体操人生の中で、一番いい日でした。すべてを出しきり金がとれたので、幸せです。もう何も出ません。」

 「信じられるのは練習と自分だけ」と言っていた内村選手が、今回のリオで目標にしたのが、団体金で、それを見事に達成したのは、本当にすばらしいですね。

<リオデジャネイロ・オリンピックの金メダル>



 おしまいは、内村航平さんの人柄を物語る、ライバルの言葉を紹介します。

 リオ・オリンピックで体操個人総合・銅メダルをとったイギリスのウイットロック選手の言葉です。
「大変素晴らしい。彼は皆のお手本です。今日の最後の鉄棒は言葉がない。クレイジーとしかいえない。」

 そして、内村航平選手に大逆転負けをしたウクライナのベルニャエフ選手の言葉です。

「(内村選手は審判に気に入られているのではとの外国人記者の質問に)審判も個人のフィーリングは持っているだろうが、スコアに対してはフェアで神聖なもの。航平さんはキャリアの中でいつも高い得点をとっている。それは無駄な質問だ。」

 さらに、ベルニャエフ選手はこうも言っています。
「航平さんを一生懸命追っているが簡単じゃない。この伝説の人間と、一緒に競い合えていることが嬉しい。世界で1番クールな人間だよ。」

 3人とも本当にすばらしい「クール」なメダリストですね。
    

 

2016年8月20日土曜日

トリプル台風、日本に接近! しっかり備えよう

  台風が少なかった2016年の日本近海で、8月のお盆が過ぎてから3つの台風が相次いで発生し、接近・上陸の恐れが出ています。
  十分な備えをして、最新の気象情報に注意してください。

 まず、台風9号(ミンドゥル=北朝鮮の言葉でたんぽぽ)は、8月20日午後6時現在、
北緯 23度05分、東経141度10分の小笠原近海にあって、北へ30kmの速さで進んでいます。
 中心気圧は992hp(ヘクトパスカル)、中心付近の最大風速は20m/sです。
 この台風は、8月22日(月)~23日(火)にかけて、関東・東北・北海道へ接近または上陸する可能性があります。

<台風9号 8月20日18時 気象庁HP>



 続いて台風10号(ライオンロック=香港の山の名前)は、8月20日午後6時現在、
北緯 30度55分、東経137度05分の和歌山県潮岬の南南東310kmにあって、西南西へ25kmの速さで進んでいます。
 中心気圧は994hp(ヘクトパスカル)、中心付近の最大風速は18m/sです。
 この台風は、8月22日(月)~23日(火)にかけて沖縄に接近したあとは迷走しそうで、場合によっては、日本本土へ接近または上陸する可能性もあります。

<台風10号 8月20日18時 気象庁HP>


 そして3つめの台風11号(コンパス=日本語のコンパス座)は、8月20日午後6時現在、
北緯 35度20分、東経144度40分の千葉県銚子の東360kmにあって、北西へ40kmの速さで進んでいます。
 中心気圧は994hp(ヘクトパスカル)、中心付近の最大風速は18m/sです。
 この台風は、8月21日(日)~22日(月)にかけて、関東・東北・北海道に接近・上陸する可能性があります。

<台風11号 8月20日18時 気象庁HP>


 
  今回の台風9号、10号、11号は、台風としては「強い」ものではありませんが、そこはやはり「台風」です。特に、関東から北海道にかけては、すでにたくさんの雨が降って地盤がゆるんでいます。
  ほかの地域も含め、全国的に大雨や暴風などに十分に注意しましょう。

  2016年は、台風1号の発生が7月3日と遅かったのですが、その後は次々と台風が生まれ、2か月もたたないうちに11個の台風が発生しています。

  改めて、台風への備えを紹介しますので、十分に警戒してください。


(1) 家の外の備え(風雨が激しくなる前)
  水害に備え、側溝や排水溝の掃除をし、水はけをよくする。また、屋根、塀、壁などの点検、補強も台風が来る前に行っておく。


(2) 非常用品を備蓄
 ライフライン(水道・電気など)が途絶えたときの事を想定して、非常用品を備えましょう。食料・水・電池等は、救助・復旧に必要な、概ね3日分程度が必要と言われています。

<備蓄推奨品>
・ 懐中電灯(LEDライト)やマッチ・ライター
・ 情報取得・通信手段(携帯・スマホやラジオと電池・充電器など)
・ 非常用食料と飲料水(3日分)
・ 貴重品(小銭を含むお金など)
・ 薬(特に病気の人)やおむつ(幼児がいる家庭)
・ 生活用水(お風呂に水をためておくと、水洗トイレや洗い物等に使えます)


(3)家族で話し合っておく
 避難場所やルート・方法、落ち合う場所・連絡方法などを、家族で話し合い確認しておきましょう。
 できれば、地元自治体(区・市町村等)のホームページなどで、「ハザードマップ」を確認・取得しておきたいものです。
 
 
 

 台風への備えと非難は、早めにしっかりと余裕をもって行い、厳重に警戒してください。
 雨の場合の避難は、土砂災害については「ただちに避難」が必要ですが、洪水については「2階などへの縦避難」の方が安全な場合もあります。
 

2016年8月11日木曜日

8月の祝日は「山の日」より「平和の日」? ~♪「山男の歌」・「空になる」~

 今年(2016年)から、新しい祝日ができました。8月11日の「山の日」です。
 でも、どうして8月11日が「山の日」なんでしょう?

 「国民の祝日」に関する法律では、「山の日は、山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する日」とされています。
 この制定経緯を見てみましょう。

 2013(平成25)年4月、超党派110名の議員連盟「山の日制定議員連盟」(会長:衛藤征士郎氏)が設立されました。

 この議員連盟では、最初、(1)6月上旬、(2)海の日の翌日、(3)お盆前を祝日とする案が出され、盆休みと連続させやすい利点があるとしてお盆前の「8月12日」を祝日とする案が採用されました。
 
 ところが、「8月12日は1985(昭和60)年に、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落し、日本航空機事故史上最悪の520人が亡くなった日であるので、山の日の祝日にはそぐわない。」との意見が出て、8月11日を「山の日」にすることに決定しました。

<山の日ポスター>




 結局、8月11日を山の日にする根拠は、あまりないようですね。

 日本の祝日は、6月と8月だけないので新しい休みを作るのは賛成ですが、8月に新祝日を作るなら、「山の日」ではなく「平和の日」ではないでしょうか?。

 8月15日を中心とする「お盆(旧盆)」は、帰省して「ふるさと」で過ごしたり、家族と楽しく過ごしたり、先祖を敬う日として、官製の祝日でなくても「民間の休日」として、日本に定着しています。

 東京など大都会の電車はお盆はガラガラですし、お正月を休めない中小企業でも、お盆だけは休むところが多いです。
 
 もう一つ、1945(昭和20)年8月15日は「終戦記念日」で、日本が「平和国家」として歩み出した日です。

 これらのことから、8月15日を「平和に感謝しその意義を考える日=平和の日」とするのが、本
当にふさわしい8月の祝日だと思うのですが、みなさんはどう考えられますか?

 もし、「8月15日は敗戦の日だから祝日にふさわしくない」と言われる方が多いとしたら、8月10日を平和の日にしてもいいかもしれません。
 理由は、「8月10日」を読むと、「はとの日」、そう平和の象徴「鳩」の日であり、心温まる「ハート」の日とも読めます。

<摩文仁の丘(沖縄)>
 



 ここからは、「日本の夏休み」の現状の紹介をします。

 株式会社マクロミルが、20~59歳の会社員・公務員の男女971人を対象に行った「夏休み」の過ごし方についての調査によりますと、夏休みの取得日数は、「0日」がもっとも多くて19.2%、続いて、「7日間以上」が14.8%、「5日間」が12.4%、「4日間」が11.7%となっています。

 7日以上が14.8%なのに対して、1日も夏休みのない人が19,2%もいるのが、日本の現状ですね。
 私も、祝日や土日がずっと出勤という仕事も経験しましたが、世間の休みの日に仕事をするのは、いろいろ大変です。

 もう一つ言えば、仕事がなくて「ずっと夏休み」という人も多いのです。

 先ほどの調査では、山の日が夏休みの長さに影響があるかも聞いています。
 その結果は、「予定に影響なし(長くならない)」と回答した人が54.3%で、「長くなる」と回答した人は16.9%でした。


 最後に、「山の日」に因(ちな)んで、「山の歌」を2つ紹介します。

 1曲目は「山男の歌」です。

 「娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ♪」の歌は、山登りをしていない人でも耳にしたことがあるのではないでしょうか。
 
 この「山男の歌」は、実は海軍兵学校で歌われていた『巡航節』という「海の歌」を、昭和24(1949)年頃、神保信雄さんが、南アルプスを縦走中に替え歌としてつくったものだそうです。

 おもしろい歌ですので、歌詞を紹介します。


「♪山男の歌」(作詞 神保信雄  作曲 不詳、歌 ダークダックスほか)

 
娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ
山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ
山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ


娘さんよく聞けよ 山男の好物はよ
山の便りとよ 飯盒の飯だよ
山の便りとよ 飯盒の飯だよ


山男よく聞けよ 娘さんにゃ惚れるなよ
娘心はよ 山の天気よ
娘心はよ 山の天気よ


 おもしろい歌でしょ。私はこの歌を、近くの山を一緒に歩いていた時に、よく父が歌っていたことを覚えています。


<ダークダックス「山男の歌」のジャケット>
 



 もう一つのは歌は、NHKの「日本百名山」という番組のテーマソングになっている、さだまさしさんの「空になる」です。

 苦しい思いをして山に登っていると、雲の上を歩いたりして、確かに「自分が空になっている」気持ちになります。
 そんな思いを、人生にも例えたさださんの名曲の歌詞を紹介します。


「♪空になる」(作詞・作曲・歌 さだまさし)


自分の重さを感じながら 
坂道を登る
いくつもの峠を越えて
もっともっと上を目指す
いつか辿りつける世界へ
僕は雲を抜けて
空の一部になる
僕は空になる
らららら♪

<山の夕焼け>
 



 「日本百名山」や「山ガール」がブームになっていますが、「山男の歌」だけじゃなく「山ガール」の歌もできるといいですね。

  山の日が祝日でもいいのですが、もう一つ「8月15日=平和の日」を祝日にして、なかなか「夏休み」をとれない人たちも、堂々とお盆を休めるようにしてほしいと思います。

 

2016年8月7日日曜日

ニュースな場所・リオデジャネイロ(1月の川)~ブラジル・ポルトガルの元首都~

 ニュースな場所。今回は、2016年の夏のオリンピックの開催であるブラジル・リオデジャネイロを紹介します。

 リオデジャネイロは、南米・ブラジルにある街で、人口は632万人のブラジル第2の大都市です。
 これを日本の都市と比較すると、日本2位の横浜市の369万人を上回り、東京23区の895万人についで2番目になります。(2010年)

<コルコバードの丘とリオデジャネイロ市街>

 



 リオデジャネイロ( Rio de Janeiro)は、ポルトガル語で「1月の川」という意味です。

 これは、1502年(日本では戦国時代)1月に、ポルトガル人の探検家ガスパール・デ・レモスたちが、グアナバラ湾のあるこの地に到達した時、大西洋に面するグアナバラ湾の湾口が狭まっているため大きな川であると勘違いし、発見した月にちなんで、「1月の川」と命名したことに由来します。

 その後、17世紀までは、リオデジャネイロは小さな港町にすぎませんでした。
 しかし、18世紀に内陸の「ミナスジェライス州」周辺で金鉱が発見されると、金の集散地として発展しました。

 そして、1763年(江戸時代中期)には、ブラジル総督府がリオに移され、「ブラジル植民地」の首府となりました。 

 さらに、1809年には、ナポレオン軍に追われた本国ポルトガルの宮廷がリスボンからリオジャネイロに官邸を移し、リオが「ポルトガル・ブラジル連合王国」の首都となりました。

 1821年に、王の帰還と共にポルトガル首都はリスボンに再遷都されましたが、ブラジル独立派がリオに残っていた王太子ドン・ペドロを擁立し、1822年に「ブラジル帝国」の独立を宣言し、リオはブラジル帝国の首都となりました。

 1889(明治22)年に、ブラジルの帝政が廃止され共和制に移行すると、リオデジャネイロは、引き続き「ブラジル連邦共和国」の首都となりました

 その後、1960(昭和35)年に、クビシェッキ大統領によって首都はブラジリアに移され、リオは行政の中心地としての機能を失いました。

 しかし、人口は増え続けていて、1872年に27万人だったのが、1900年に81万人、1950年に237万人、2000年に585万人となり、現在は600万人を超えています。

<ブラジルの地図>


 リオデジャネイロの人口比は、白人が53%、混血が34%、黒人が13%で、日系人も移民の子孫を中心に約15、000人ほどが住んでいます。

 市の南部には、南アメリカ大陸で最も地価の高いレプロン地区やイパネマなどの高級住宅街があります。
 一方で、西部や北部の山麓地帯などには、不法に立てられた貧民街「ファヴェーラ」(スラム)も点在し、市民の所得格差は大きくなっています。
 これが「治安の悪い街」といわれる原因の一つになっています。

 しかし、このリオデジャネイロでは、2016(平成28)年開催の「夏季オリンピック」をはじめ、1950年と2014年の2回、サッカーのワールドカップが開催されていて、それらの主会場となった「マラカナン・スタジアム」は、市の北部にあります。
 

 リオデジャネイロの観光で有名なのは、「コルコバードのキリスト像」と「リオのカーニバル」です。

  リオデジャネイロのシンボルともいえる「コルコバールのキリスト像」は、市の南部の丘の上にあり、高さ39.6m(台座の高さ9.5mを含む)、幅30mで、635トンの重量があります。

 1931(昭和6)年に、「ブラジル独立100周年」を記念して作られたもので、中には150人が入れるキリスト教の礼拝堂があり、丘の上へは登山電車で行くことができます。

 キリスト像からリオデジャネイロの市街を見た景観は、「リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群」として、2012年に世界遺産に登録されています。
 因(ちな)みに、「カリオカ」とは、リオデジャネイロの出身者や住民をさしますので、「江戸っ子」と同じような響きですかね?。

 
<コルコバードのキリスト像>



 リオのもう一つの観光の目玉「リオのカーニバル」は、毎年、2月から3月頃に開催される世界最大級のカーニバル(祭り)で、2016年は2月5日(金)に始まり2月9日(火)まで開催され、人出は102万人でした。

 1723年(江戸時代中期)まで遡ることができる歴史をもつ「リオのカーニバル」は、もともとは「謝肉祭(カーニバル)」と呼ばれ、イースター(復活祭)へ向けての禁欲期間へ入る前に「飲めや歌えの大騒ぎ」をして食べ収めをするという、キリスト教地域のお祭りです。

 ヨーロッパを中心に、数々の有名なカーニバルがありますが、世界で最も有名なものといえば、やはりリオデジャネイロで行われる「リオのカーニバル」(ポルトガル語では「 Carnaval do Rio
de Janeiro」)です。

 リオのカーニバルのパレードは、「サンバ学校 (ポルトガル語: Escola de samba)」と呼ばれる様々なグループの人々やフロート車が数多く参加し、サンバのリズムに合わせて踊ります。(学校はもちろん、本物の学校ではなくシャレで、つけられたものです。)

 パレードは4日間行われ、初日と最終日は2軍・3軍で、2日目(日曜日)と3日目(月曜日)がメインの「スペシャルチーム」が踊り、コンテストが行われます。
 優勝賞金は5億円とも言われており、真剣勝負です。

 内容的には、日本の「阿波踊り」と「よさこい踊り」を足して2で割った感じですね。
 そういえば、阿波踊りとリオのカーニバルは、相互に出演しているそうです。

<リオのカーニバル>



 リオデジャネイロ出身の有名人としては、サッカーの世界的名選手で、日本代表の監督も務めたジーコ (本名 アルトゥール・アントゥネス・コインブラ)さん(1953年~)や、F1の年間ドライバーチャンピオンに3回も輝いたネルソン・ピケ(1952年~)さんなどのスポーツ選手が有名です。

 ほかに、名曲「イパネマの娘」などを作曲しボサノバの生みの親と言われる音楽家のアントニオ・カルロス・ジョビン(1927年~1994年)さんや、日本のサッカー界で活躍したラモス瑠偉(1957年~)さんもリオデジャネイロの出身です。
 ちなみに、ラモスさんの日本での愛称は「カリオカ」(リオっ子?)だったそうです。


 最後に、「いい話」を一つ。

 「世界一、治安の悪い街」とも言われるリオデジャネイロですが、世界中を一人旅している女性のブログでは、「リオのほとんどの市民はやさしい」そうです。

 彼女が初めてリオに行ってバスに乗った時、「ホテルの場所」を聞くと、バスに乗っていたほとんどのお客さんたちが、「あのホテルだろう」とか「こう行った方がいいよ」とか言い始め、一人のお客さんがホテルへ送ってくれたそうです。

 リオの犯罪のほとんどは、強盗や泥棒をしないと生きていけない人たちが犯したもので、お金さえ渡せば命を奪われることは、少ないそうです。

 本当は優しい人が多いリオ、そういえばオリンピックの日本選手への応援もとても多いような気がします。

 「リオデジャネイロ・オリンピック」が、成功して日本人選手が活躍することを祈りたいと思います。

 それでは、今回のブログはこの辺で、「Adeus!」(ポルトガル語 さようなら)

<リオデジャネイロ市内を走るバス>

 


2016年8月3日水曜日

巨大地震と前後の出来事6「昭和の東南海・南海地震」~南海トラフ地震の発生確率~

 巨大地震と前後の出来事の6回目は、いよいよ最も新しい「南海トラフを震源とする巨大地震」とされている「昭和東南海地震」と「昭和南海地震」について、紹介します。

 幕末(1854年)に起こった「安政地震」から90年後の、1944(昭和19)年12月7日午後1時36分頃に、「昭和東南海地震」が起こりました。

 震源地は三重県沖で、地震の規模を示すマグニチュード(M)は7.9、死者・行方不明は東海地方を中心に1223人を記録しました。

 静岡県御前崎市と三重県津市で最大震度6を記録し、伊豆から紀伊半島にかけて最大9mの津波も観測されました。
 しかし、この地震の情報は、戦争中で軍の厳しい情報統制のため、ほとんど報道されませんでした。


<昭和東南海地震の震度分布>





 さらに2年後の、1946(昭和21)年12月21日午前4時19分頃に、和歌山県南方沖を震源とする「昭和南海地震」が起こりました。

 地震の規模を示すマグニチュード(M)は8.0、死者・行方不明は九州から近畿地方を中心に1330人を記録しました。

 九州・四国・中国・中部の12県で最大震度5を記録し、九州から房総半島にかけて最大6mの津波が観測されました。

 この2つの地震は併せて「昭和地震」と呼ばれますが、太平洋戦争終戦(1945年)の前後の時期で記録が少ないことと、「東南海地震」→「南海地震」が2年の時間差で起こったこと、そして「東海地震」が起こっていないことが特徴と呼ばれています。

<昭和南海地震の震度分布>





 では、この2つの地震の前後に起こったことを、調べてみましょう。

 まず「昭和東南海地震」の3年前、1941(昭和16)年11月19日、宮崎県沖の日向灘でM7.2の地震があり、熊本県と宮崎県で最大震度 5を記録し、死者2人が出ました。
 この地震では、九州東岸、四国沿岸で1mの津波が観測されています。
 太平洋戦争が始まる直前(19日前)の出来事でした。

 続いて、「昭和東南海地震」の前年の1943(昭和18)年の9月10日、鳥取でM7.2の直下型の「鳥取地震」が発生し、鳥取県鳥取市で最大震度 6を記録し、死者1,083人が出ました

 1944(昭和19)年12月の「昭和東南海地震」の発生のあと、1945(昭和20)年1月13日には、M6.8の「三河地震」が発生し、三重県津市で最大震度 5を記録し、死者・行方不明者2,306人の犠牲が出ました。

 1946(昭和21)年12月の「昭和南海地震」の2年後、1948(昭和23)年の6月28日にM7.1の「福井地震」が発生し、 福井県福井市で最大震度 6を記録し、死者・行方不明者3,769人を出しました。


 整理してみると、1943年9月の「鳥取地震(直下型)」のあと、「昭和東南海地震(海洋型)」、「三河地震(直下型)」、「昭和南海地震(海洋型」、そして1948年6月の「福井地震(直下型)」まで、わずか5年間で5回も1000人以上の犠牲者が出る地震が発生しています。

 因みに、「福井地震」の次に日本国内で1000人以上の犠牲者が出る地震は、47年後の1995(平成7)年に起こった「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、死者・行方不明6437人)
です。


<福井地震の写真>





 これまで、684年の「白鳳(はくほう)地震」から、1944年・1946年の「昭和地震」まで、 9回の「南海トラフを震源とする巨大地震」を中心に紹介してきました。

 これら9回の地震の間の発生間隔は、平均で約158年になります。
 このうち、地震の間隔が最長なのは、「永長・康和地震(1096年・1099年)」と「正平地震(1361年)」の間の262年で、最短は「安政地震(1854年)」と「昭和地震(1944年・1946年)」の間の90年です。

 この昭和地震の発生時に「東海地震」が発生していないということが、次の「南海トラフを震源とする巨大地震」が早く起こるのではないかと言われている所以(ゆえん)です。


 これまでの記録から言えることをまとめてみます。

(1) 本震の前後には、直下型地震が本州・四国・九州で起こることが非常に多い。

(2) 最初に地震が起こるのは、記録がはっきりしたものでは、「東南海」単独、「東南海・南海」または「東南海・東海」、「3連動」で、いずれも紀伊半島(潮岬)の南を震源とする「東南海地震」が最初に発生している。

(3) 「東海・東南海・南海」の3つの地震が同時に発生したものが9回のうち少なくても3回ある。

(4) 3つの地震が同時発生しなかった場合、「最初の地震」と連動して、「東海地震」または「南海地震」が発生した例が4回あり、その間隔は32時間から2年2ヶ月である。


<和歌山県潮岬>




 2016年現在、最後に起こった南海トラフを震源とする巨大地震である「昭和南海地震」の発生から、70年が過ぎています。
 
 中央防災会議の試算では、今後30年以内に震度6弱以上の地震が発生する確率は、2016年1月現在で、静岡市が68%、津市で62%、和歌山市が57%、高知市で73%などとなっています。

 さらに、政府の地震調査委員会は、南海トラフ地震の震源域で、「今後30年以内にマグニチュード(M)8~9級の地震発生確率」は、60~70%と推定しています。

 いずれにせよ、「南海地震を震源とする巨大地震」の発生は、避けられないもと考えた方がよく、その時期も確実に近づいています。


 少なくても、地震・津波の発生時の避難場所と、家族などとの連絡手段については、普段から準備・シミュレーションしておくことが大切です。

 もちろん、3日分の飲料水や食糧の確保、お風呂の水をためるなど、トイレ等に使う生活用水の確保も、普段からやっておくことが必要です。

 巨大地震は過去の災害ではなく、日本の「備えておくべき未来の災害」だということを、いつも認識しておきたいものです。

<昭和南海地震の記念碑(徳島県海陽町)>