2016年12月25日日曜日

ロンドンの冬に奇跡を起こした名作「クリスマス・キャロル」

クリスマスの時期になると、名作が読みたくなります。
 そこで今回は、現在の私たちのクリスマスの過ごし方の教訓にもなる、クリスマス小説の名作中の名作「クリスマス・キャロル」の話を紹介します。


 小説「クリスマス・キャロル」は、1843(天保14=江戸時代末期)年12月19日、チャールズ・ディケンズ(1812年~1870年)がイギリス・ロンドンで発表・出版しました。


<初版本「クリスマス・キャロル」>



 この小説の主人公エベネーダ・スクルージは、ロンドンの下町に「スクルージ&マーレイ商会」という店を構え、安い給料で書記のボブ・クラチットを雇っていますが、血も涙もない、ケチで強欲で「金儲け」一筋の、評判のよくない「初老の商人」でした。

 共同経営者だったマーレイが亡くなった時も、彼への香典を渋り、棺桶の上に供えてあった冥土にもっていくためのお金まで獲ってしまうほど強欲でした。

 また、書記のクラチットとは、「家族と暖かいクリスマス」を過ごせないほど薄給であったので、クラチット家のクリスマスは貧しく、末っ子のティム少年は病気になっていました。

 そんな人の不幸は気にもせず、強欲でケチなスクルージが、クリスマス・イヴに一人で暖炉の前でウトウトしていた時、亡くなったはずのマーレイが現れました。

 マーレイの亡霊は、金銭欲や物欲に取り付かれた人間がいかに悲惨な運命となるかを、スクルージに話し、半信半疑のスクルージに、悲惨な結末を回避し新しい人生へと生き方を変えるため、3人の幽霊がこれから彼の前に出現すると伝えます。

 第1の「過去のクリスマスの幽霊」は、こびとのように小さな幽霊でした。
 その幽霊は、スクルージを彼の少年時代につれていきます。

 スクルージは、最初、裕福な家のお坊ちゃんでしたが家が没落し、いじめられ一人ぼっちになりました。それでも本を読み、ロビンソン・クルーソーに憧れ夢をもった少年でした。
 スクルージ自身も忘れていた、自分の少年時代の姿でした。

 さらに第1の幽霊は、スクルージが青春の頃、つきあっていた彼女が「お金や物にどん欲になるのはやめて。もう別れるわ。」と言って、スクルージとけんか別れをした場面を見せます。

 その後、元彼女は貧しくても子供たちに囲まれた明るい家庭を築き、スクルージはお金持ちになっても寂しい孤独な人生を送つことになりました。

 そんな姿を見せられたスクルージは「とても見ていられない」と叫びます。
 すると、第1の幽霊は消え、スクルージは1人、自宅のベットへ帰って寝ていました。


<ディケンズを肖像画に起用したイギリス紙幣(1992年~2003年発行)>



 ここでディケンズのプロフィールを紹介します。

 チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズは、1812(文化9=江戸後期)年2月7日、イギリス・イングランドのハンプシャー州ランドポートで生まれました。

 小さい頃は病弱ですが、読書の好きな男の子でした。
 お父さんは海軍の会計吏でしたが浪費家で、1824年、ディケンズが12歳の時に実家が破産し、親戚の靴墨工場へ働きに出されることになりました。ディケンスは、学校へは通算で4年間しか行っていません。

 1827年、15歳の時、ディケンズは法律事務所に勤めながら速記術を取得し、法廷の速記記者になりました。
 また、1834年、22歳の時には「モーニング・クロニクル」紙の報道記者になり、ジャーナリストとしての活動を本格化します。

 1836年、24歳の時に、ペンネーム「ボズ」で書いた「ボズのスケッチ集」が出版され、注目されました。この年、編集者の娘、キャサリン・ボガースと結婚し、10人の子供に恵まれます。

 翌年、1837年に発表した『ピクウイック・ペーパーズ』は、 初老の紳士ピックウィックが若い友人たちと気ままにイギリス中を旅し、様々な冒険や人々と出会う物語で、大人気となり、ディケンズは小説家として認められるおとになりました。

 1838年には、孤児オリバーが困難に立ち向かいながら成長する長編小説で、代表作の一つとなった『オリバー・ツイスト』を発表し、ディケンズの作家の地位を不動のものにします。

 その後も、1843年に発表した名作「クリスマス・キャロル」をはじめ、1859年に発表しフランス革命を背景にした作品「二都物語」や、1860年から1861年に発表された孤児のピップが少年・青年時代を回想する作品「大いなる遺産」など、多くの作品が、名作として残っていて、映画化されているものも多くあります。(特に、「クリスマス・キャロル」は映画化の多い作品です。)

 デイケンズの作品は、下層階級(孤児など)が主人公の作品が多く、弱者の視点から社会問題を書いた人物として、イギリスでは紙幣に肖像画が採用(1992年~2003年)されるほどの文豪として尊敬されています。

 ディケンズは、1870(明治3)年6月9日、イギリス・イングランドのケント州にある自宅で脳卒中のため、58歳で亡くなりました。


 さて、「クリスマス・キャロル」の話に戻りましょう。

 2番目にスクルージの前に現れたのは、大きく華やかな第2の「現在のクリスマスの幽霊」でした。
 第2の幽霊は、スクルージにロンドンの庶民の貧乏ながらも、明るく助け合っている家族のクリスマスを見せます。

 特に、スクルージの使用人ボブ・クラチットの家族は、貧乏ながらも明るい8人家族で、楽しそうにクリスマスを祝っています。
 しかし、末っ子のティムは足が悪く、今にも倒れそうです。
 「スクルージがケチで給料を上げてくれないから、うちは貧乏なのよ。」という家族に、ボブは「雇ってくれているスクルージさんの悪口を言ってはいけないよ。スクルージさんに、乾杯」と祝福します。

 スクルージと幽霊は、さらに世界中を旅します。
 それぞれの家族が悩みをもっていますが、現状に幸福を見つけて、みんな「クリスマス」の夜に笑顔で乾杯しています。

 でも、世界は人口が増え続けていて、やがて破滅を迎えそうです。
「どうすれば、いいんだね?」
 スクルージが第2の幽霊に聞くと、「余分な人口を減らす監獄はないのかね」と、いつかスクルージ自身が慈善の寄付集めに来た紳士に言った言葉を投げ返してきました。
 悲しい後悔の思いで、スクルージは第2の幽霊との旅を終えて、疲れきって再び眠りにつきます。


<チャールズ・ディケンズ博物館(イギリス・ロンドン)>




 
 
ここで、小説のタイトルの「クリスマス・キャロル」について、ミニ知識を紹介します。

 「クリスマス・キャロル」とは、キリスト教圏で、イエス・キリストの誕生に関係した歌のことで、教会のいわゆる賛美歌の中で、キリスト誕生に関係したものをさします。
 日本で最も知られているのは「きよしこの夜」で、日本のカトリック教会では、聖歌集111番「しずけき」として親しまれています。

 ただ、「赤鼻のトナカイ」や「ホワイトクリスマス」などの、いわゆる「クリスマス・ソング」全体がクリスマス・キャロルかというと、意見が分かれているのが現状です。

 ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」では、冒頭部分で、少年がスクルージに歌いかける部分として、「世の人忘るな」というクリスマス・キャロルが登場しています。



 それでは、最後となる3番目の「未来の幽霊」の登場です。
 最後の幽霊は、黒づくめで不気味で、スクルージと話すこともありません。

 幽霊につれられてスクルージが行った未来の世界では、街中である男の死が噂になっています。
「あのクソ爺がくたばった。」「参列するものもいないだろう。」「悪魔め。」
 スクルージは、最初、それが誰のことだかわかりませんでした。

 暗い家で、盗人に身ぐるみはがれた老人の死体は、誰も悲しんだり泣いたりする人がいないまま、墓地に運ばれます。
 第3の幽霊が、その老人が埋葬された墓碑銘についた埃を払うと、そこには「エベネーダ・スクルージ」という名前が浮かびあがります。

 スクルージは驚愕し、反省します。
 スクルージは第3の幽霊に、「お願いです。今までの生活を悔い改めて、善行をするから助けてください。」
 第3の幽霊は、返事をせず黙って姿を消します。

 「今までの醜い影を消せないことは無いのだ、消せるとも、きっと消せるとも!」。
 クリスマスの朝、目覚めたスクルージは、「未来」はまだ変えられると自分に言い聞かせます。

 それからの彼の生活は一変します。
 冷酷で無慈悲で、エゴイストで守銭奴であった彼は、3人の幽霊との出会いによって、人間の心の温かさ、愛情の尊さに気付きます。彼は善行に生きることを誓ったのです。

 彼は、ボブ・クラチットの給料を上げ、クリスマスのお祝いに、クラチット一家に匿名で七面鳥を送ります。また、テイムの病気の治療費も出すと約束します。

 何の儲けも与えないクリスマスなのに、晴れ着に身を包んだスクルージは外出します。
 そこで昨日、寄付を断った紳士に、多額の寄付を申し出て驚かせます。

 スクルージはそれ以来、彼の住む地域の、かつて無いほどの善き友となり、善き主人になり、素晴らしい人間に変身しました。
 彼の変身ぶりを笑う人がいても彼はそんなことなど気にもせず、ひたすら善行に努め、町の活性化のために尽くしました。

 その結果、「もしも生きている人間の中で、クリスマスの祝い方を一番よく知っているものがいるとすれば、それはスクルージ、その人だ」と云われるようになりました。

                    (完)

<日本某所のクリスマスツリー>



 ディケンズが「クリスマス・キャロル」を発表した19世紀前半のイギリス・ロンドンは、産業革命の直後で、工業化や都市化が進み、失業者の増加、病気の流行、貧富の格差の拡大とスラム街の出現、長時間労働など、多くの都市問題が噴出していました。

 街にクリスマスツリーはなく、プレゼントやカードを交換し、クリスマスを祝うこともありませんでした。
 そんな社会状況を見たディケンズは、人々に経済やお金、至上主義ではなく、人を思いやる心、やさしさをなくさないようにするため、せめてクリスマスには、自分の過去・現在・未来を見つめ直そうという気持ちを込めて、「クリスマス・キャロル」を発表しただと、私は思います。


 「クリスマス・キャロル」は、発売1週間で6000部を売り上げる、大ベストセラーになりました。
 街では、クリスマス・キャロルの中で使われた「メリークリスマス」という、クリスマスの挨拶が流行し、お金もちや有名人からの善意の寄付の申し出が相次ぎました。

 また、クリスマス・カードやクラッカーの発売、クリスマスツリーのドイツからイギリスへの輸入などは、「クリスマス・キャロル」が発売されて5年以内の1840年代に行われ、ロンドンのクリスマスは、「あったかく明るいもの」に一変しました。

 まさに、一つの小説が、イギリス社会を変え「ロンドンの冬をあったかくした」と言っても過言ではありません。


 21世紀の日本も、例外ではないと想います。
 せめてクリスマスからお正月にかけての間だけでも、「経済、金、競争」に明け暮れずに、一人一人が、自分の中のスクルージと向かい合って、過去、現在、未来を、考えてみてもいいのではないかと、思います。

 そう、「未来はまだ変えられる」のです。
 それでは、メリークリスマス!
 (12月25日が過ぎても、まだ、遅くはありませんよ。欧米では、12月25日のキリスト生誕祭から翌年1月6日のイエスが洗礼を受けた公現祭までをクリスマス休暇とするのが一般的ですから。)


 最後に、クリスマスの名曲の一つ、「すてきなホリディ♪」(ケンタッキーフライドチキンのCM曲)の歌詞の一部を紹介します。


♪「すてきなホリディ」♪
(作詞・作曲・歌 竹内まりや)


♪(前略)
クリスマスは 誰にもやってくる
もしひとりぼっちでも 淋しがらずに
心に住む サンタに呼びかけて
幼い頃の夢を 思い出してごらんよ

クリスマスが 今年もやってくる
悲しかった出来事を 消し去るように
さあ パジャマを脱いだら 出かけよう
少しずつ 白くなる 街路樹を駆け抜けて

Happy happy  holidays  ♪


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