急に暖かくなって
桜の花が咲き年度変わり、
出会いと別れの季節ですね。
毎年、
「卒業」「旅立ち」の名曲を
この時期
紹介しています。
そこで今回は
菊池桃子さんの「卒業」と、菊池桃子さんの半生を紹介します。
まず、1985(昭和60)年2月27日にリリースされた菊池桃子さんの4枚目のシングルで、初めてチャート1位になった「卒業-GRADUATION-」の1番を紹介します。
♪「卒業ーGRADUATIONー」
(作詞:秋元康 作曲:林哲司 歌:菊池桃子)♪
♪緑の木々のすき間から
春の陽射しこぼれて
少し眩(まぶ)しい並木道
手を翳(かざ)して歩いた
あの人と私は
帰る時はいつでも
遠回りしながら
ポプラを数えた
4月になると ここへ来て
卒業写真 めくるのよ
あれほど だれかを
愛せや しないと♪
<通学路>
菊池桃子(きくち・ももこ)さんは、1968(昭和43)年5月4日に東京都品川区で生まれました。
菊池桃子さんのお父さんは、北海道から上京してきた公務員で、元巨人の長嶋茂雄さんに憧れ立教大学を卒業しました。
家族は、父・母・兄との4人家族です。
デビューのきっかけは、菊池桃子さんの叔母さんが、東京都港区青山で飲食店をやっている時に、姪の桃子さんの写真を店に飾っていたのを芸能関係者が見て、スカウトされたことでした。
菊池桃子さんはおとなしい性格で、芸能界に入る前、彼女の夢は「考古学者になること」だったそうです。
1983(昭和58)年10月、15歳の時に、ニッポン放送の「学園バラエティ パンツの穴」で芸能界デビューし、翌11月にアイドル雑誌「Momoco」(学研)の創刊号の表紙を飾りました。
1984年3月に映画「パンツの穴」でスクリーンデビュー、同年4月21日には「青春のいじわる」でアイドル歌手デビューをしました。
その年、プロマイドの年間売り上げ1位になり、日本レコード大賞新人賞、日本レコードセールス大賞女性新人賞を受賞しました。
「卒業-GRADUATION-」は4枚目のシングルで、オリコン週間1位を記録し、トータルの売り上げは39万枚を超えています。
ちなみに、同じ1985年には、斉藤由貴さんの「卒業」、尾崎豊さんの「卒業」も発売されていますが、斉藤由貴さんの「卒業」は最高6位で26万枚、尾崎豊さんの「卒業」は最高8位で20万枚でした。
当時の菊池桃子さんの人気がよくわかると思います。
斉藤由貴さんと尾崎豊さんの「卒業」も名曲ですので、いずれ取り上げたいと思っています。
私が、菊池桃子さんが人間的にすごいなと思うのは、アイドル時代ではなく、その後の生き方です。
1994(平成6)年8月8日に、プロゴルファーの西川哲さんと婚約しましたが、1995年3月に西川さん側(父親)が、結婚の無期延期を発表しました。
菊池桃子さんは延期の撤回を求めましたが聞き入れられず、ショックで十二指腸潰瘍になり、そのまま入院しました。
それだけ、桃子さんは純粋に愛していたということだと思います。
入院後、結婚が認められ、1995年5月に入籍しました。
1996年8月に長男を出産し、2001年10月には長女を出産しました。
この2人目の長女は、乳幼児の時に脳梗塞を発症し、左手足に後遺症が残ることになりました。
菊池桃子さんは、2人の子供を大切に育てました。
ところが、2012年1月に、西川哲さんとの離婚(原因は西川さんの素行の悪さと言われています)が発表され、菊池桃子さんは、シングルマザーになりました。
菊池桃子さんは、これまで、日出女子学園高等学校、戸板女子短期大学、法政大学卒業、法政大学大学院修士コースで学び、生涯教育に造詣が深くなりました。
そして、2012年8月に、母校の戸板女子短期大学の客員教授に就任し、雇用対策(キャリア教育)を教えることになりました。
2013年にはNPO法人「キャリア権推進ネットワーク」の理事に就任し、さらに、2015年10月には「一億総活躍国民会議」の民間議員に起用されました。
また、2016年7月には、文部科学省初等中学教育局視学委員にも就任しています。
これらのことから、一時は、大臣に起用されるのではないかという「憶測」も流れました。
<菊池桃子さんの著書「午後には陽のあたる場所」>
それでは、「卒業ーGRADUATIONー」の2番を紹介します。
♪(2番)
誕生日には サンテグジュベリ
ふいに贈ってくれた
一行おきに好きだよと
青いペンで書いてた
あの頃の二人は
話さえ出来ずに
そばにいるだけでも
何かを感じた
4月になると ここへ来て
卒業写真 めくるのよ
あれほど だれかを
愛せや しないと
4月が過ぎて 都会へと
旅立ってゆく あの人の
素敵な生き方
うなずいた私♪
私には、この「卒業」の2番の歌詞が、菊池桃子さんのその後の人生を暗示していたように思えます。
この歌の歌詞にある「サンテグジュベリ」は、フランスの作家(1900年~1944年)で、あの名作「星の王子さま」の作者です。
フランス貴族の出身で、第2次世界大戦中は偵察機のパイロットとして活躍し、地中海を偵察飛行中に行方不明になりました。空に消えた人生は、まさに「星の王子さま」でした。
菊池桃子さんの半生も、「星の王子さま」のように、迷いながらもピュアに生きています。
同じ年に同じ「卒業」というタイトルの曲を発表した斉藤由貴さんが、不倫でバッシングされたのに対し、菊池桃子さんは純愛を貫き西川哲さんと結婚し、子供さんの障害やシングルマザーの逆境にも負けずに、39歳で大学院に進学し、教師・女優・タレントとしてがんばっている姿はまさに「すてきな生き方」だと思います。
最後は、サンテグジュベリと菊池桃子さんの名言を紹介します。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目には見えないんだよ。」
(サンテグジュベリ「星の王子さま」より)
「健常な子と比べると、学ぶ場所が圧倒的に少ない。子供はいつも、『ママ、次はどうすればいいの。私はどうなるの?』と聞いてくる。きちんと答えられない自分がもどかしかった。
自分自身のためだったら、努力しない。
母親としては泣いてる場合じゃない。つらいと思っている場合でもない。」
(菊池桃子)
「一生を太陽の動きにたとえると、40歳前後が人生の正午にあたるといいます。
そして、人生の正午を過ぎると、午前中に陽のあたっていた場所とは違う場所に、午後には陽があたるという。
それは、わたしのこれからの人生をきっと楽しいものにしてくれるだろう、そう確信しました。」
(菊池桃子著「午後には陽のあたる場所」より)
旅立ちの季節には、菊池桃子さんの生き方から勇気をもらえますね。
アイドルから、シングルマザーの大学講師へ、菊池桃子さんの「すてきな生き方」を、これからも続けてほしいし、応援したいですね。
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