死者1万5895人、行方不明者2539人、震災関連死3647人と、合わせれば2万人を超える犠牲者(警察庁・復興庁調べ)が出た、2011(平成23)年3月11日の「東日本大震災」から7年が過ぎました。
「震災を忘れないことが最大の教訓」とも言われていますので、やっぱり3月11日は東日本大震災のことをテーマにしたいと思います。
今回は、私自身が被災地で撮った写真をいくつか紹介しながら、7年たった現在の復興の状況と「流行語」、そして「岩手銘菓の奇跡」と「被災に舞う黄色いハンカチ」などについて書きたいと思います。
まず、復興の状況について紹介します。
国土交通省の調査では、被災した鉄道のうち再開通したのは2175.7kmで、復旧率は92.5%になっています。
一方、復興道路・復興支援道路は、550kmの整備対象のうち開通した道路は286kmで、52.0%の整備率です。
交通網は、まだまだ復興の途中ですね。
一方、避難者数は、全国で7万3000人とまだまだ多くの方が避難されています。
特に大きな被害があった3県の人口を、震災前の2011年3月1日と2018年1月1日で比較してみると、岩手県が74、089人(5.6%)減、宮城県が25,0960人(1.1%)減、そして福島県が146,525人(7.2%)減となっていて、3県合計で245、710人も減っています。
全国的な人口減少や高齢化もありますが、特に被災地の人口減は深刻ですね。
<写真 東日本大震災の被災地 (宮城県仙台市)>
がもう一つ気になるのが、福島原発のメルトダウンに関連する、最近の流行語です。
まず1つめは、「風評被害(ふうひょうひがい)」という言葉です。
放射線や原発の影響が話題になると、合言葉のように「風評被害に負けない」という言葉が聞かれます。
確かに、何の責任もない、農業や漁業をする被災地の人たちや避難している人たちが、「風評被害に負けない」とおっしゃるのはわかりますが、きちんとした検査や対策をしなければならない、国や自治体、そして電力会社まで、「風評被害に負けるな」というキャンペーンをはるのは、違うのではないかと思います。
行政や企業がやらなければならないのは、国民や消費者が本当に安心して福島の食べ物や商品を選べるようにする科学的根拠や対策を講じることだと思います。
一向に進まない原発のメルトダウンの処理や、汚染水の対策、溜まっていくばかりの除染したあとの土の袋などを見ていると、普通の国民・消費者が安心できるとは、とても思えません。
検査の方法や数値も、「安全です」とか「検査で数値が出ない」だけでは、説得力はあまりありません。
たとえば、被爆の単位一つをとっても、マイクロシーベルトやミリシーベルトの正しい知識を、わかりやすく説明してくれている人や番組は非常に少ないように思えます。
一般の人が1年間に被爆しても安全な数値は、「国際放射線防護委員会(ICRP)」が2007年に出した勧告を踏まえた国の「原子力安全委員会」の考え方によると、平常時は年間1ミリシーベルト以下ですが、緊急時は年間20~100ミリシーベルト、緊急事故後の復旧時は年間1~20ミリシーベルトとしていて、安全値に200倍もの差があります。
なんでこんな差が「安全」にあるのか、そもそも「ICRPの勧告」ってなんなのか、平常時・緊急時・復興時のそれぞれで安全基準の数値が違うのか、なかなか理解できる人は少ないと思います。
さらに言えば、年間の「追加被爆量」が1ミリシーベルト以下になるのは、1時間あたり0.23マイクロシーベルト(自然被爆の0.04を含む)だと言っていますが、1時間あたりの被ばく量を1年間に換算するときに、なぜか1日を、野外に8時間、屋内に16時間いるという想定を設けて、数字を(3分の1に)抑えています。
この数値一つをとっても、数字や計算式のマジックが多く、低い数値が出るようにしていると言っても、過言ではないようです。
原発の廃炉対策も、「これからやります」「必ずできると思います」と、なんとも頼りない精神論の言葉が並んでいて、これで疑問や反対意見には、「風評被害」というキャンペーンをして封じているとすれば、被災地の人たちが一番、かわいそうだと思います。
もう一つ、よく使われる言葉で違和感を感じるのは、「過剰診療」という言葉です。
福島県内を中心に被災地の小児科で行う「甲状腺検査」について、一部の医師の間で言われている言葉です。
震災・原発事故後の福島県内での学校検診で、2018年3月1日現在、悪性または悪性の疑いのある患者が196人、甲状腺癌と確定した患者が160人になったとの報告がありました。
全国的は1万人に1人程度と言われているので、福島県の全人口200万人弱と比較しても、極めて多い数字で、原発事故の影響の疑いが高いと言わざるを得ません。
この結果について、「福島県民健康調査のあり方検討委員会」の委員の一人から、「この検診は過剰検診の疑いがある」と、検診自体をやめるような見直しを求める意見がありました。
悪性の甲状腺癌が見つかり、治療できることはいいことなのに、「甲状腺癌の出る割合が多すぎるから検診を中止するべき」との発言は、原発の影響が子供たちの間に広がっているのが公になるのはまずいと言っているとしか聞こえないもので、本当に子供たちのことを考えているのかなと疑問です。
<写真 震災で有名になった岩手県の銘菓「かもめの玉子」>
ここからは、岩手県銘菓「かもめの玉子」の奇跡を、叙事詩風に紹介します。
詩「かもめの玉子の奇跡」
忘れることができない
忘れてはならない
3月11日
東日本大震災
あれから7年が過ぎ
2万人以上が犠牲になった
あの時
多くの悲劇の中で
いくつかの奇跡が起きた
その一つが岩手県大船渡市で起きた
「カモメの玉子」の奇跡
さいとう製菓は
震災直後
「売り上げは半減すると考え」
従業員25人を解雇した
その後
「どうせ売れないなら」と
避難所で
無料配布した
このことが伝わり
「カモメの玉子」に
ファンが増え
そして売り上げは落ちなかった
まもなく
解雇された従業員全員が
職場復帰した
「カモメの玉子」の奇跡として
伝え続けられている
(じゅんくう詩集より)
この「かもめの玉子の奇跡」の話を聞くと、しっかりと消費者に理解をいただくような対応をすれば、「風評被害」に負けず、世間の評判を逆に味方につけて、ピンチをチャンスに変えた食品会社もあることがよくわかります。
<写真 被災地の風にゆれる「黄色いハンカチ」(宮城県仙台市若林区)>
私が東日本大震災の被災地に行った時、津波に流された広大な空地や、1階部分のない民家、屋根だけになったガソリンスタンド、がれきの山などと並んで、驚いたのは「黄色いハンカチ」がいくつも、風に翻っていたことでした。
この黄色いハンカチの話も、叙事詩風に紹介します。
詩「風に揺れる黄色いハンカチの願い」
宮城県仙台市若林区荒浜
多くの住宅が津波に流され
多くの津波犠牲者が出た
仙台市は「危険区域」に指定し
住民移転を推進した
その海岸近くの
被災地に
私は
立ち尽くしていた
見渡す限り
何もない荒れ地に
黄色いハンカチが
風に揺れていた
みごと
恋人の家に帰った
「幸福の黄色いハンカチ」
の映画の主人公のように
「かならず いつか ここへ帰って来る」
そんな被災者の願いと
「ここへ帰っておいで」という
犠牲者や行方不明者へのメッセージを込めて
たくさんの黄色いハンカチが
被災地に揺れていた
(じゅんくう詩集より)
1977(昭和52)年に山田洋次監督が作った映画「幸福の黄色いハンカチ」は、高倉健さんが演じた主人公が網走刑務所から出所する前、奥さん(賠償美津子さん)に、「まだ待ってくれているなら黄色いハンカチを家に上げておいてくれ」という手紙を送ります。
その家をめざし、高倉健さんが、若者のカップル(武田鉄矢さんと桃井かおりさん)に助けられながら向かう話です。
結果は、見事、自宅にたくさんの黄色いハンカチが上がっていました。
このハッピーエンドの映画は、第1回日本アカデミー賞を総なめした名画です。
ちなみに、1978(昭和53)年から始まり今も続いている、日本テレビのチャリテイー番組「24時間テレビ~愛は地球を救う~」の、Tシャツなどのイメージカラー「黄色」は、この映画からとっています。
被災地で「黄色いハンカチ」を掲げるのは、「ここへ必ず帰るぞ。復興するぞ。」という復興の願いを込めた意味が多く、東日本大震災では、私が行った宮城県仙台市以外にも、岩手県の釜石市や、「JA新ふくしま」のプロジェクト、千葉県松戸市の「松戸・東北交流サロン」などでも、「黄色いハンカチ」が使われています。
最後になりましたが、「天災は忘れた頃にやってくる」ということわざを思い出し、東日本大震災の被災地はもちろん、関東や東海・東南海・南海など、全国各地の大地震・津波に備えるために、これからも3月11日を忘れてはいけない日にしたいですね。
東日本大震災の多くの犠牲者のみなさんの冥福を祈り申し上げます。
<津波が襲ってきた海岸に立つ東日本大震災の慰霊塔(宮城県仙台市)>
<おまけ>
今年も「Yahoo! 」で、3月11日に「3.11」と検索すると、1人1回100円を、J復興支援のために寄付してくれるそうです。
0 件のコメント:
コメントを投稿