2018年4月16日月曜日

アイドルの坂道(15)卒業する乃木坂46の初代センター・生駒里奈さん ~低姿勢、一生懸命~

 アイドルの坂道、久しぶりに「乃木坂46」のメンバーの話をしたいと思います。 今回、紹介するメンバーは、乃木坂46の初代センターで、西野七瀬さんと並んでグループ最多の6回(1曲目から5曲目と、12曲目)のセンターを務めた生駒里奈(いこま・りな)さんです。

 生駒里奈(いこま りな)さんは、1995(平成7)年12月29日、秋田県由利本荘市出身の22歳です。
 生駒さんのふるさと「由利本庄市(ゆりほんじょうし)」は、秋田県南部にあり日本海に隣接する人口8万人ほどの町です。
 由利本荘市は、南に鳥海山(2236m)、西に日本海がある自然豊かな町です。

 生駒里奈さんは、小学校の頃はダンススクールでジャズダンスを習い、その後、中学校では吹奏楽部に入部し、ドラム、マリンバなどを演奏し、中学3年生の時には「全日本吹奏楽コンクール」の東北大会で銀賞を受賞しました。

 ところが、小学5年生の時からいじめを受け、高校に入ってもそれは続きました。ゲームセンターと本屋が好きで、高校になってからは家で無気力になってゆく里奈さん。
 その姿を心配したお父さんがもってきたのが、「乃木坂46」のオーディションの話でした。

 里奈さんは、「高校のいじめから逃げられるかも」と思い、乃木坂46のオーディションに応募しました。
「芸能界に興味のなかったお父さんが、乃木坂のオーディションの話をもってきたのは運命としか言いようがない。」と生駒さんは語っています。


<鳥海山と菜の花畑(山形県・秋田県)>






 2011(平成23)年8月21日、生駒里奈さんは1000倍以上の倍率を突破して、乃木坂46の第1期メンバーに選ばれました。
 合格後、里奈さんは上京し、東京の高校に転校しました。

 翌2012年2月22日、乃木坂46のデビューシングル「ぐるぐるカーテン」のCDが発売され、生駒里奈さんは初代センターに抜擢されました。

 AKB48のコンサートでレビューした乃木坂46のセンターとして、生駒里奈さんは大観衆の前で、
「私たちには越えなければならないライバルがあります。それは、AKB48です。」
と涙ながらに、でも、一生懸命に挨拶しました。

 その後、生駒さんは、2013年3月発売の5枚目CDシングル「君の名は希望」まで5作連続でセンターを務め、文字通り乃木坂46の顔になりました。

 しかし、本人はグループを引っ張っていくというよりも、「もう、秋田には帰れない。やるしかない。」という思いだったと語っています。

 本人は「グループを引っ張っていく気はなかった」と言いますが、実際には、おとなしいキャプテンの桜井玲香さんに変わって、生駒さんが初期の乃木坂46を引っ張っていたのは間違いないと思います。

 その象徴が、乃木坂46のドキュメンタリー映画「悲しみの忘れ方」に収録されている松村沙友里とのケンカの場面です。

 それは、「16人のプリンシバル」という乃木坂46のミュージカルで、1幕目が33人が観客にアピールし、観客の投票で選抜された16人が第2幕のミュージカルに進める舞台でのことです。

 選ばれなかったメンバーの松村沙友里が泣きながらいいました。
「選ばれなかったということは、私と仕事したくない人がいっぱいいるんだよ。だから、やめた方がいいんだよ。私、本当は大学に行けてたのに、すべて捨ててきたのに。」

 そんな松村に、生駒里奈さんが敢然と言います。
「みんな同じだよ・みんながんばってきたんだよ。やめるなんて、悲しいこと言わないでよ。」
 そう言って、生駒さんは号泣しました。

 2013年4月に選抜メンバーが発表された6枚目のシングル「ガールズルール」で、生駒里奈さんは、初めてセンターを外れました。
 この時、やっと生駒里奈さんは、センターからはずれた開放感から嬉しそうに駐車場で飛び跳ねました。
 「別にセンターじゃなくてもいい。私には私のやり方がある。」
 そう思える生駒里奈さんは、すごいなと思います。

 2014年2月、松井玲奈さんとの交換留学生として生駒さんは、AKB48との兼任になりました。
「公式ライバルが兼任」というメンバーやファンの不安の声の中で、生駒里奈さんは自分で兼任を選びました。

 この年の暮れ、メンバーのスキャンダルで紅白に選ばれなかった乃木坂46に対し、生駒里奈さんはAKB48のメンバーとして紅白に初出場を果たしました。
 生駒さんにとっては、複雑な紅白初出場になりました。
 
 その後、生駒里奈さんは乃木坂46の専任に戻り、2015年から3年連続で乃木坂46のメンバーとして、仲間と紅白に出場しました。

 さらに、2017年には、ついに乃木坂46は「日本レコード大賞」を受賞し、文字通りトップアイドルとなりました。


 しかし、初代センターの生駒里奈さん自身は、12枚目のシングル「太陽ノック」(2015年7月発売)でセンターを務めた以外は、6枚目からずっと選抜メンバーとしてセンターを支え続け、「低姿勢、一生懸命」を座右の銘に、乃木坂46の1メンバーとして頑張りました。

 また、2013年に地元の秋田県由利本庄市のふるさと応援大使に任命されるなど、多方面で活躍しています。



<生駒里奈さんがモデルの秋田県のPRポスター>





 2018(平成30)年1月30日、生駒里奈さんは乃木坂46からの卒業を表明し、4月22日に日本武道館で「卒業コンサート」を開催することになりました。
 しかし、秋元康総合プロデュサーからの卒業曲センターの打診は断りました。

 そのあたりの気持ちを、2018年3月13日付けの「生駒里奈公式プログ」の一部を紹介します。

「私はデビューシングルのセンターをやらせてもらったので、卒業曲のセンターはやらなくてもいいかなと思いました。
 私は、こういう卒業の仕方があってもいいと思っています。
 1つのパターンにとらわれず、自分らしいグループからの卒業があってもいいかなと思っています。
 ポジションだけで、語りはしませんからね。

 今までの乃木坂46に感謝を伝えて、未来の乃木坂46に起爆剤を与えられるようなことをしたいと思っています。」


 生駒里奈さんは、乃木坂46は卒業しても芸能界は引退しないそうなので、今後にも、期待したいと思います。

 最後は、生駒里奈さんセンターの名曲と言われている「君の名は希望♪」(2013年3月13日発売)の歌詞を紹介して終わります。


♪「君の名は希望」(作詞:秋元康 作曲:杉山勝彦 歌:乃木坂46)♪


僕が君をはじめて意識したのは
去年の6月 夏の服に着替えた頃
転がって来たボールを無視してたら
僕が拾うまで
こっちを見て 待っていた

透明人間 そう呼ばれてた
僕の存在 気づいてくれたんだ

厚い雲の隙間に 光が射して
グランドの上 僕にちゃんと影ができた
いつの日からか 孤独に慣れていたけど
僕が拒否してた
この世界は 美しい

こんなに誰かを恋しくなる
自分がいたなんて
想像もできなかったこと

未来はいつだって
新たなときめきと出会いの場
君の名は”希望”と今知った

(中略)

もし君が 振り向かなくても
その微笑みを 僕は忘れない
どんな時も 君がいることを
信じて まっすぐ歩いて行こう

何にもわかっていないんだ
自分のことなんて
真実の叫びを聞こう
さあ

こんなに誰かを恋しくなる
自分がいたなんて
想像もできなかった
未来はいつだって
新たなときめきと出会いの場
君の名は”希望”と 今知った

希望とは明日の空
WOW WOW WOW




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