2018年4月23日月曜日

日本政治に一石を投じた愛媛県知事と「坂の上の雲」


 2018(平成30)年4月10日、愛媛県の中村時広知事が記者会見し、「2015年、愛媛県職員らが首相官邸を訪ねた際に、当時の柳瀬首相秘書官が『加計学園の獣医学部の愛媛県今治市への誘致は首相案件』と述べたことを、県職員が記述した備忘録が存在する。」
と発言しました。

 さらに文書の信憑性を聞かれて、「(愛媛)県職員が文書をいじる必要はないわけで、まじめな部下を私は全面的に信頼している。国の方が、正直に言われたらいいんじゃないですか。」と、きっぱり答えました。
 
 時の政権の主張と矛盾する内容を、地方の自治体トップの知事が言い切ったことで、加計問題が再び、大きくクローズアップされました。
 やがて、愛媛県の主張を裏付ける資料が、農林水産省や文部科学省で見つかりました。

 

 「獣医学部を愛媛県今治市に誘致した愛媛県知事が、なぜ、勇気ある発言をしたのか」ということに、私は興味を持ちました。
 そこで今回は、「時の人」となっている中村時広・愛媛県知事と愛媛県について紹介します。



<中村時広知事が自らモデルになった愛媛県のPRポスター>




 中村時広(なかむら・ときひろ)さんは、1960(昭和35)年1月25日、愛媛県松山市生まれの58歳です。
 お父さんの中村時雄(1915年~2001年)さんは、衆議院議員・松山市長を歴任した政治家でした。


 中村時広さんは、慶応義塾の幼稚舎から慶応義塾高校までを卒業し、大学も慶応大学法学部法律学科を卒業しました。

 1982(昭和57)年、大学を卒業すると中村さんは三菱商事に就職します。
 そして、1987(昭和62)年に、愛媛県議会議員選挙に出馬し当選して、政治家への第一歩を歩み始めました。

 1990(平成2)年には、初めて衆議院選挙に旧愛媛1区から出馬し落選しますが、1993(平成5)年には、日本新党から出馬し、日本新党ブームに乗り衆議院初当選を果たしました。
 その後、日本新党が解党し1996(平成8)年、新進党から出ましたが落選しました。
 
 1999(平成11)年には松山市長選挙に立候補し、自民党・民主党・社民党などの支持を受けている現職市長を破り、39歳で松山市長に初当選しました。

 それから、3期11年、松山市長を務め、2010年からは愛媛県知事に就任し、自らの後継者として推薦する松山市長と県市協調での政治を行っています。(現在、知事は2期目)

 「保守王国」と言われる愛媛県の中では、珍しい革新系知事であり「既存の仕組みをぶっ壊すのが好きな政治家」あるいは「都道府県と県庁所在地市との連携政治」の先駆です。
 このようなことから、あの橋下徹元大阪府知事から、兄のように尊敬されています。


 このような背景があり、今回の加計学園問題での中央政治の「忖度(そんたく)」や「記憶にない」との対応に、真っ向から異論を唱え、「勇気ある記者会見」を行ったのだと思います。

 
 中村時広さんが松山市長時代に行った地域づくりとして、「坊ちゃん列車の復活」、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」をモチーフに記念館やNHKドラマの支援、そして、プロ野球のオールスターゲームの「坊ちゃんスタジアム」への誘致などがあります。

 特に、司馬遼太郎さんが愛媛県出身の俳人・正岡子規や軍人・秋山兄弟を主人公に、松山市などを舞台にして書いた名作「坂の上の雲」は、中村知事が大好きな作品でした。

 中村知事の松山市長時代のホームページの内容の一部を紹介します。

「『坂の上の雲』のまちづくりには、二つの目的があります。
 一つは司馬さんが伝えようとしたメッセージが、今まさに現代社会が必要としているものと捉え、訪れた人々にそのことを感じ取って頂ける魅力を松山というまちに付加しようということです。

 世の中が成熟したことに伴い、日本という国は、この先どのような国を目指すのかという目標を見失ってしまったのではないでしょうか。
 こうした状況に身をおきますと、人々はその日が良ければいい、自分だけが良ければいい、その瞬間が楽しければいいという、安易な道に入り込んでしまい、生き方そのものが刹那的になってゆきます。
 しかしながら、そこには瞬間的な楽しみはあったとしても、人生というものの中で味わえる、本当の意味での生きがいというものを見出すことができなくなります。


 まさに、夢、理想、目標、そういったものの必要性が現代社会で求められているとするならば、『坂の上の雲』の物語、そのメッセージというのは、まさに時代にフィットしていると思います。
 『坂の上の雲」というのは、「国でもいい、地域でもいい、個人でもいい、みんなで夢や理想や目標を持とうよ。それさえ見えれば人はそれに向って一生懸命生きることができるよ、そのことが人生を充実したものにしてくれるよ」というメッセージに外ありません。それを、この松山で発信できたらというふうに思っているのが一つであります。

 そしてもう一つは、結果として地域の活性化に結び付けるということであります。」
(2007年4月24日 中村時広松山市長<当時>のホームページより)


 
<愛媛県のみかんのゆるキャラ「みきゃん」>




 司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」の中でこんな記述があります。
「四国では、昔から4県の県民性を評して、『讃岐(香川県)男に阿波(徳島県)女、伊予(愛媛県)は学者に、土佐の高知(高知県)は鬼侍』と言う。」

 具体的な人物を挙げると、讃岐男は空海や要潤さん、阿波女は瀬戸内寂聴さん、伊予の学者はノーベル賞を受賞した大江健三郎さんや中村修二さん、そして土佐の鬼侍は坂本龍馬や吉田茂元首相などです。

 この言葉を踏まえて、「学者の国」=伊予(いよ・愛媛県)のことを書いた詩を紹介します。
 


~詩「デープインパクト・愛媛」~

愛媛県の中村知事が
突然
安倍政権に反旗を翻した

「記憶の限りでは会ったことがない」
「訴追される恐れがあるので 控えささていただく」
「忖度(そんたく)」
「首相案件」

なんとも 歯がゆい言葉が並ぶ
最近の政府関係者

これじゃあ
国語も日本も死んでしまいそう

そんな風潮に
愛媛県が正義を語りだした

目の前の損得ではなく
はるか
坂の上に浮かぶ
雲を目指して

愛媛県が
立ち上がった

昔から四国では
こう言われてている

「さぬき男に 阿波女
伊予は学者に 
土佐の高知は鬼侍」

そう
伊予、愛媛は学者の国

ノーベル文学賞の
大江健三郎さん

ノーベル物理学賞の
中村修二さん

俳人
正岡子規

「世界の中心で愛を叫ぶ」の
片山恭一さん

そして
「天下御免」「花へんろ」の
早坂暁さん

愛媛は
真実と正義を求める
学者の国

「将軍(首相)がいなくても 幕府(政府)がなくても 大丈夫 日本は日本
しかし 農民や商人(市民・国民) がいない日本は 果たして日本でしょうか」
(早坂暁 「天下御免」)


「春や昔 十五万石の 城下かな」
「行く秋の また旅人と 呼ばれけり」(正岡子規)


-じゅんくう詩集よりー


<写真 道後温泉本館 (愛媛県松山市)>





 ここで、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」のあとがきの一部を紹介します。

「この長い物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。
 やがて彼らは日露戦争という途方もない大仕事に無我夢中で首を突っ込んでゆく。

 最終的にはこのつまり百姓国家がもったこっけいなほどに楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっとも古い大国の1つと対決し、どのようにふるまったかということを書こうと思っている。


 楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながら歩く。
 のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂をのぼっていくであろう。」 

(司馬遼太郎 作「坂の上の雲」あとがき)



 「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」など、司馬遼太郎さんが書いた名作と、その中に描かれた志を愛する学者の国「愛媛県=伊予」の人たちは、官僚や政治家の「忖度」や「健忘症」を許すことができなくなって、日本政治に一石を投じたのではないのかと思います。


 愛媛県最大の観光地は「道後温泉(どうごおんせん)」です。
 平成28年の観光客数は582万人(松山市)と言われ、その本館は、アカデミー賞を受賞したジブリアニメ「千と千尋の物語」のモデルともいわれています。

 おしまいは、日本三大古泉の一つ、道後温泉に伝わる、私の大好きな伝説を紹介します。


 昔、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二人に神様が、伊予の道後を訪れました。
 すると、急に少彦名命が重い病気になられました。
 びっくりした大国主命は、少彦名命を抱いて道後温泉に入られました。
 やがて、少彦名命は、温泉のおかげで目が覚め、
 「真暫寝哉(ましばし いねつるかも)」と言われて、元気になり、温泉で立たれました。
 この時の足跡が「玉の石」になり、今も道後温泉に残っています。

 「真暫寝哉(ましばし いねつるかも)」を、
現代語訳すると、「少し寝たようだなあ。」
という、長い夢から覚めた寝起きの言葉になります。

 今の日本の「経済優先」の政策=アベノミクスから、国民・市民が目覚めて、「ましばし、いねつるかも」と言ってほしい。
 それが、今回の「愛媛県」のデープインパクトの目的、かも知れませんね。


 最後は、中村時広知事の言葉で終わります。

「みんなの目の前に坂道がある。
その上を見つめたら青々とした天が広がっている。
その中にぽっかりと1つの白い雲が浮かんでいたら、それがみんなの夢であり、理想であり、目標だ。

その目標をつかむためには坂道を登っていくだろう。
上り坂だからしんどいし、辛いし、苦しいはずだ。
でも、雲を掴もうという気持ちさえあれば、しんどさはやがてやりがいに変わってゆく。
辛さは生きがいに変わってゆく。
苦しさは雲をつかんだ時の感動に変えることができる。

「坂の上の雲」というのはそういう意味なんだ。
雲というのは、つかんだ瞬間に消えてしまう。でもそれで終わりではない。
1度雲をつかんだ後、立ち止まってふっと上を見あげると、さらにもう次の坂道が続いている。
未来永劫追い求めていくのが「坂の上の雲」。

その雲というのは個人個人が持つものであって、大きくてもいいし小さくてもいい。
規模の大小や中身ではなくて、それぞれが見つけるということが大事なんだ。」

(中村時広氏 ホームページより)






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