2017年10月9日月曜日

奇跡の運動会と悲劇の体育祭 ~フォークダンスは夢の中~

小学校の運動会
君は1等 僕はびり
泣きたい気持ちでゴール・イン
そのまま家まで 駆けたっけ♪
(♪「おさななじみ」♪より 作詞:永六輔、作曲:中村八大)

 運動会というと、私はこの歌を思い出します。
 本当によくできていますね。

 この歌詞に共感できるほど、私の小学校低学年の頃は、かけっこ(ランニング)が苦手で、運動会の
練習から、ずっーと最下位でした。

 今回は、本当にあった「奇跡の運動会」と「悲劇の体育祭」を中心に、秋の風物詩「運動会・体育祭」の話をします。


<運動会の定番 万国旗>


 まず、小学校で本当にあった「奇跡の運動会」の話です。

 今はほとんどなくなったそうですが、その頃の小学校では、運動会のかけっこの上位入賞者に賞品がありました。3位は鉛筆1本、2位はノート1冊、そして1位は鉛筆とノートでした。

 しかし、予行練習も含め、万年ビリの私には、そんな賞品は夢のまた夢でした。
だから、私はかけっこが大嫌いでした。

そんな私が向かえた、小学校2年生の秋の運動会でした。
私のかけっこの番がきました。

「よーい・ドン」
ピストルの音で、6人が一斉にスタートしました。

シャア シャア シャア シャア
予想通り、上位の児童たちがすごい速さで走り出していきます。

ドカ ドカ ドカ ドカ
私はスタート直後から、どんどん離されていきました。
前5人、ずーと後ろに私1人の、隊形でした。

家族や親戚などの大観衆の中、恥ずかしくて
私は、「このまま家まで、帰りたい」気持ちでした。
前もむけず、うつむいて走りました。

その時です。
「おおぅ、キャッー。」
運動場全体が、どよめきに包まれました。

異様な雰囲気を感じて、私は顔を上げました。
「あっ。」
私も驚きました。

なんと、はるか前を走っていた5人が、
激しいデットヒートでからんで、全員が転んでいたのです。

「チャンスだ」
とっさにそう感じた私は、
ありったけのスピードで走りました。

5人から遠く離れていたのが幸いし、
私は、クルリと5人が倒れていた場所を迂回し、
ゴールを目指しました。

会場が笑いにつつまれました。
でも、かまわず私は白いテープをめざします。

その時、ワッーという歓声とともに、
ドッドッドッドッという音がして、
優勝候補の生徒Aが、起き上がり、猛然と私に迫ってきました。

「逃げろ。逃げるんだ。」
私は、全力でゴールを目指しました。
生徒Aも、まるでチーターのように、迫ってきました。

オウー、どちらも頑張れ。
そんな歓声の中、
二人はほとんど差なく、ゴールに到着しました。

一瞬の沈黙のあと、
「はい、1等。」
と、先生は私のところに、「1等」と書いたカードを渡してくれました。

「ヤッター。」
私が見上げた秋の青空は、涙でにぼやけていました。
パチパチパチ
会場は「運動会の奇跡」に、大きな拍手でつつまれていました。

この出来事で自信がつき、体が大きくなった私は、小学校の高学年では、リレーでごぼう抜きするほど、早くなりました。


<かけっこ(ランニング)のゴール>





「運動会・体育祭」は、かつては「秋の行事」の代表格でしたが、最近は春に開催することが多くなっています。(2016年のNHK調査では66%の学校が春開催です。) それでも、今も「体育の日」は10月第2月曜日だし、まだまだ秋に開催される「運動会・体育祭」も多いようです。

 「体育の日」は、1964(昭和39)年10月10日に「東京オリンピック」の開会式が行われたことに由来し、「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」ことを目的に、1966(昭和41)年に定められました。

「体育の日」が決められた1966年から1999年までは、「10月10日」が体育の日でした。
ところが、2000(平成12)年に「ハッピーマンデー制度」が出来て、10月の第2月曜日が「体育の日」になりました。(2017年の「体育の日」は、10月9日です。)


 日本初の「運動会・体育祭」は、今から143年前の1874(明治7)年3月21日、広島県呉市の江田島にある「海軍兵学寮」で開催された「熱闘遊戯会」であるといわれています。

 「国威発揚」「富国強兵」「健康増進」などを目的に、明治時代から昭和にかけて全国に普及した「体育祭・運動会」は、近代日本独特の体育行事と言われています。

 戦後の高度成長期までは、学校以外の「地域」や「職場」でも、「コミュニケーションの醸成」や「団結」などを目的に、運動会・体育祭が多く開催されていましたが、地域や職場の一体感が崩壊しつつある現在では、学校以外の運動会・体育祭は激減しています。(ちなみに、アイドルグループのAKB48グループでは、大運動会を開催しています。)


 ここからは、「悲劇の体育祭」の話をします。

 それは、学校を卒業して、職場で行われていた「体育祭」での話です。

 出場予定のなかった私のところへ、日ごろからお世話になった先輩が来て、言いました。
「実は800m走に出る予定の人が、突然、出られなくなったんだ。代わりに出てくれませんか。」

(エッー)、私は内心そう思いましたが、先輩の依頼を断り切れず、仕方なく出ることにしました。
 
 中距離は走ったことはありませんでしたが、小学校の高学年から中学ぐらいまでは早かったので、少しは自信もありました。

パーン。
ピストルの音で、中距離らしく、ゆるーくスタートしたレースは、1周目は私が2位でした。
「がんばれ」
「まかせて」
観客席にいた好きな人に、手を振る余裕すらありました。

ところが、2周目に入った頃、突然、私の体に衝撃が走りました。
ガクッ。
体の中で、そんな音が聞こえ、何かが壊れ、足が重く動かなくなりました。

2位だった私は、必死で走りましたが、どんどん、ほかの人に抜かれ、とうとう最下位になりました。
それでも、私は必死で走り(といってもほとんど歩いたような状態で)、なんとかゴール・インしました。

ゴールしても、すごく、しんどい状態が続きました。
「しばらく、休めば大丈夫。(でも、無様な姿を見せてしまって、恋は終わりだ。)」
私は、そう思ってベンチで休んでいましたが、なかなか回復しませんでした。

結局、友人の車で、私は病院の救急に運ばれました。
「大丈夫です。」
と、私は言いましたが、点滴を受け血液検査をし、熱が39度もあったので、念のため、入院することになりました。

その後、ドクターは深刻な顔で言いました。
「肝機能の数値を示す、GOT、GPTが、500、1000もあります。急性肝炎で命の危険もありますよ。絶対安静。最低、半年は入院です。」

 私は、目の前が真っ暗になりました。
 それほどしんどくはなかったので、大丈夫と言いましたが、誰もきいてくれず、内科の肝臓ガンなどの重症患者がいる4人部屋に入院しました。
 まさに、「悲劇の体育祭」になりました。

 幸い、1週間で肝機能のGOT、GPTの値は、平常の二ケタになりました。
 先生は、
「ごめん。私の誤診でした。『横紋筋融解(おうもんきんゆうかい)』という、大事故の時などにある筋肉が溶ける状態だったようね。」

 あとで考えれば、前日は徹夜で、ダイエットの怪しい薬を飲んでいた上、中距離走の配分ができずに、
無理してゴールまで走ったことが原因だったようです。

 その後、私は2週間で退院しました。
 同じ病室にいた3人のうち、2人は2か月以内に亡くなったことを考えると、九死に一生を得たようです。


<高校体育祭のフォークダンス>





 最後は、高校体育祭の甘酸っぱい思い出、「フォークダンス」と、名曲「オクラホマミクサー」の話です。

 高校の時、他のクラスに憧れの人がいました。
 もちろん、話すこともできず、朝夕の通学時間に遠くから見ているだけでしたが、高校3年の体育祭のフォークダンスで、手をつなげるチャンスに期待していました。

 グランドの隅で順番を待っていると、フォークダンスの定番曲、「オクラホマミクサー♪」が流れてきました。1年生が踊っています。

♪タラ ララララ タラララ タッタ タララ タッタッタ タラッタッタ タラッタ♪

 私は、ワクワクとドキドキが止まらない状態で、次の2年生のダンスを見ていました。


 「オクラホマミクサー (Oklahoma Mixer)」 は、日本で広く知られてフォークダンスですが、曲のタイトルではなく、本当はダンスの名前です。
 「ミクサー」とは、複数の男女が相手を変えながら踊るスタイルで、このことがドキドキ・ワクワクの原因ですね。

 このダンスで使われる本当の曲名は「♪藁の中の七面鳥」(Turkey in the Straw)です。

 日本には、終戦の翌年、1946(昭和21)年にアメリカ軍の長崎軍政府教官だったウインフィールド・ニプロが、初めて伝えたと言われています。

 その後、多くの学校やテレビなどで使われ、最近も携帯電話会社の人気CMで、「みんながみんな英雄」という曲として紹介され、人気になりました。


 結局、私の「オクラホマ・ミクサー」は、憧れの人と踊る順番が来ることなく終わってしまいました。
 でも、この曲を聞くと、「青春の甘酸っぱい恋」を思い出して、今でも胸の奥が熱くなります。


 おしまいに、「オクラホマミクサー」の曲に乗せて青春時代の思い出を回想して作った詩を紹介します。


~詩「フォークダンスは夢の中」~


あの頃の風 あの人の声
今も心は 震えてる

桜散る春 紅葉舞う秋
フォークダンスは 夢の中

ため息と 憧れ
ときめきと 青空

ステップ 踏むグランド
君の香りが 残ってた


思い出の風 未来への声
今日も  命は震えてる

汗光る夏 小雪降る冬
フォークダンスは 夢の中

友情と ライバル
情熱と 諦め

クロスする 手と手に
君のぬくもり 残ってた


セピア色した 遠いあの頃
時は 止まったままだけど

桜舞う春 紅葉散る秋
フォークダンスは 夢の中

一瞬と 永遠
どん底と 坂道

握手した手 おじぎした髪
君の記憶は 夢の中

(「じゅんくう詩集」より)

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