「加計学園の獣医学部新設問題では、政府・官邸の圧力があり、行政がねじ曲げられた。」
飛ぶ鳥を落とす勢いの安倍晋三内閣に対し、堂々と実名で反旗を掲げた前文部科学省事務次官の前川喜平さんを見ていると、私は名作映画「生きる」の主人公のことがダブって見えます。
今回は、そんな前川喜平前文科事務次官と名作映画「生きる」の話をします。
ことのきっかけは、2017(平成29)年1月、50年以上新設が認められなかった「大学の獣医学部の新設」が、通常では考えられないスピードで事実上決まったことでした。
このことについて、前年の2016年秋に内閣府から文部科学省へ「官邸の最高レベル」の圧力があったことを示唆する文部科学省の内部文書らしいものが、2017年5月に週刊紙等のマスコミ等で公開されました。
この文書について、菅官房長官は「文部科学省の内部調査では存在を確認できなかった。怪文書だ。」と一蹴しました。
ところが、今年初めまで文部科学省の事務方トップの事務次官をしていた前川喜平さんが、「あの文書は本物です。私も見ました」と「週刊文春」などのインタビューに答えたことから、大問題になりました。
当初、政府や内閣府の幹部は、「あの文書は怪文書であり、国会での証人喚問や参考人招致をする必要はない」と突っぱねました。
しかし、前川前事務次官の証言のほか、複数の文部科学省官僚の「文書は存在する」という証言があり、それを多くのマスコミが報道したことなどから、長い間、再調査を拒否していた政府・文科省も、世論に押される形で、6月9日についに文書の再調査を行うことに方針転換をしました。
私も、大学新学部設立関連の仕事をしたことがありますが、大学に新学部を作るためには、長い時間をかけた文部科学省への要望と、膨大な資料が必要です。
まして、50年以上認可されていない「獣医学部の新設」が、すごいスピードで認められたのは不思議だと言わざるをえません。
特に、同時に申請された京都産業大学は、条件を追加されて申請もさせてもらえず、愛媛県今治市に新設する加計学園の獣医学部だけが認可されるのは、大きな疑問です。
しかも、その加計学園の加計孝太郎理事長は、安倍総理の親しい友人というのも、疑問ですね。
真偽はどうかわかりませんが、少なくても、政権の中枢にいて権力を握っている人たちが、正々堂々とした議論せずに、論点をすり替えて、「再調査の必要なし」と長く拒否してきたのは不誠実だと思います。
ウソを言う政治家や、行政機関、特に教育を司る文科省がウソをつくのは、日本の将来のためにも良いことではないと思います。あとは、我々国民が、選挙や支持率で、”ウソは許さない民意”を突きつけるしかないかも知れませんね。
それにしても、時の政府に、たった1人で「間違っている」と立ち上がった、前川喜平・前文部科学省事務次官の勇気はすごいと思います。
自民党の国会議員でさえ、安倍内閣に逆らえない雰囲気がある中で、本人に何の得にも
ならないことを「国民に真実を知らせるため」に告白し、それをきっかけに政府の「再調査をしないとういう岩盤」に穴を開けたたことは、大いに評価できると思います。
<写真 前川喜平さん(ウキペディアより)>
前川喜平(まえかわ・きへい)さんは、1955(昭和30)年1月13日に、奈良県御所市で生まれました。
小学校4年生の時に、東京に転居し、名門の麻布中学・麻布高校を経て、東京大学法学部に入学し、1979年春に東大を卒業しています。
当時の国家上級職(いわゆるキャリア)の試験を合格者全体(600人以上)の4位で合格し、文部科学省に入省しています。
「超」がつくエリートですね。
その後、宮城県教育委員会の課長や在フランズ大使館の一等書記官などをへて、文部科学省の中枢の、大臣官房総括審議官、官房長、初等中等教育局長などを歴任し、2016(平成28)年6月に文部科学事務次官に上りつめています。
しかし、2017年1月、文部科学省の天下り問題の責任をとって、次官を辞任しました。
そして、2017年5月に「加計学園問題」で政府高官の圧力で行政が歪められたと、告白しました。
ここで、1952(昭和27)年に公開された黒澤明監督の名作映画「生きる」(東宝)について紹介します。
この映画の主人公は、市役所で市民課長をしている定年間近の渡辺勘治(志村喬)で、若い頃もっていた仕事への情熱を失い、難しい問題は避け、無難に生きる「お日様西西」的な生活と、はんこを押すだけの公務員になっていました。
ところが、ある日、自分が余命少ない胃癌であることを知ります。
渡辺は役所を休み町を彷徨するうち、町工場の作業員をしている貧乏娘「小田切とよ(小田切みき)」と知り合い、おごってやって食事をしたり会話したりするうち、貧しくても一生懸命に生きている「とよ」の生き方に感銘し、「自分にも、まだなにかできることがあるはず」と考えなおし、仕事に復帰します。
その後の渡辺勘治は、残り少ない人生の中で生まれ変わったように情熱を持ち、住民が欲しがる公園を、上司ややくざの邪魔もはね除けて完成させ、この世を去っていきます。
そうなんです。この映画で、渡辺勘治が「本当に生きる」ことができたのは、何十年もの公務員生活ではなく、最後の数ヶ月間であったことを教えてくれています。
<映画「生きる」のポスター>
さて、前川喜平さんの話に戻ります。
前川前次官と「生きる」の主人公とは、私はとてもよく似ているような気がしています。
前川さんは、あるテレビのインタビューで、「三十数年公務員をやってきたけど、やっと自由にものが言えるようになった。」と、爽やかな顔で語っています。
前川喜平さんは、文科省の中に、高杉晋作が作った「奇兵隊(きへいたい)」という名のグループを作り、時の小泉政権が「義務教育予算の削減」を言い出した時には、「奇兵隊、前へ」というブログを作って、義務教育の予算を守るべきという自分の意見を主張しました。
「奇兵隊」は幕末の英雄・高杉晋作が作った身分を問わずに入隊できる軍隊で、高杉晋作が、長州藩の佐幕派や幕府など十数万人を敵にまわして、たった80人で立ち上がった時(功山寺決起)、その中核の部隊となりました。
この高杉晋作と奇兵隊が、倒幕・明治維新への確かな流れを作りました。晋作は、27歳で病死しましたが、今も日本史上に残る英雄です。
前川前次官の心には、この高杉晋作と奇兵隊のことがあったのだと思います。
また、一部マスコミに「前川さんは、出会い系バーで女性と会って小遣いを渡していた。」と報道されましたが、「週刊文春」や「週刊新潮」によれば、会っていたのは2人ではなく、もう一人の女性を含めてほとんど3人で、食事をおごり5000円程度の小遣いを渡し、就職や人生の相談を聞いたあとは、いつも前川氏だけが先に帰っていたそうです。
これって、映画「生きる」の主人公の渡辺勘治が、小田切とよと会っておごったり会話したりして、勇気をもらったのと似ていると思いませんか。
「加計問題」の今後の展開をしっかり見ていくとともに、前川喜平さんが「安倍1強」の時代に、「権力は国民がコントロールしなければならない。そのためには、正しい情報を公開する必要がある。」(前川氏の言葉)と、身を捨てて本当に「生きた」ことは、忘れたくないと思っています。
そしてもう一つ、前川氏とともにマスコミに告発した複数の文部科学省の官僚、さらにそれを報じた多くのマスコミを見て、まだ日本の民主主義と報道の自由は、まだ死んでいなかったと、ホッとしました。
前川喜平さんは、こうも言っています。
「我々は志をもって、公務員になった国民全体の奉仕者である。
しかし、最近は、ともすれば一部の権力者の下僕になっている者がいる。私は、志を忘れたくない。」
おしまいに、映画「生きる」の主題歌になった『ゴンドラの唄♪』の歌詞を紹介します。
♪「ゴンドラの唄」(吉井勇作詞、中山晋平作曲)♪
♪1
いのち短し 恋せよ乙女(おとめ))
赤き唇(くちびる) 褪(あ)せぬ間に
赤き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日の ないものを
(中略)
♪4
いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消え間に
今日はふたたび 来ぬものを
<一句> 本当に 生きるに遅き ことはなし
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