2017年3月20日月曜日

名曲「卒業写真」のあの人は誰? ~いつも笑顔で「卒業アルバムの思い出」~

悲しい時が来ると 開く革の表紙
卒業写真のあの人は やさしい目をしてる♪

3月になるとよく
ユーミンの「卒業写真」の歌詞とメロディーを耳にします。

この曲を聞くと、誰もがセピア色のあの頃と、
やさしい目をした初恋の「あの人」を、思い出すのではないでしょうか。

今回はこの歌詞に出てくる「あの人」の秘密と「卒業アルバムの思い出」について、紹介します。


<写真 「卒業アルバム」セピア色のクラス写真>


 
まず、名曲「卒業写真」の1番を紹介します。
♪「卒業写真」(歌:ハイ・ファイ・セット、歌・作詞・作曲:荒井由実(愛称ユーミン 1975年)

♪(1番)
悲しい時が来ると 開く革の表紙
卒業写真のあの人は やさしい目をしてる

町で見かけたとき 何も言えなかった
卒業写真の面影が そのままだったから

人混みに流されて 変わってゆく私を
あなたは ときどき 遠くで しかって♪


この曲を聞いて、悲しい時がくる度に卒業アルバムをめくり、
初恋のあの人の写真を見て、
癒された経験をした人も多いのではないでしょうか。


私自身も、高校時代の初恋のあの人の写真を、
何度も見ては「がんばろう」と思ったものです。


ところが、
この歌の作詞者の荒井由実(後に結婚して松任谷由実)さんが書いた、
「あの人」は、
初恋の人でも、憧れの異性でも、なかったそうです。


それでは、「あの人は誰?」ということになりますね。
その以外な「あの人」のことは、後半にお話します。

<卒業アルバム>


さて、日本の「卒業アルバムの歴史」は、諸説あって始まりを特定は難しいのです。
一説には、あの「桜田門外の変」があった、万延元(1860)年生まれの
写真家・小川一真(おがわいっしん)さんが作ったのが最初だと言われています。

小川一心(1860年~1929(昭和4)年)さんは、
現在の埼玉県行田市出身の写真家で、アメリカへ留学しました。

再婚相手は、あの板垣退助の三女・えんさんだったと言われています。
明治31(1898)年には、日本初の「鉄道写真集」を作ったことでも有名です。

この小川一心さんが、日露戦争が始まった明治37(1904)年に、東京帝国大学の「卒業写真帖」を作ったのが、日本初の「卒業アルバム」だと言われています。
当時の値段は、1冊45円(現在の値段で100万円近く)でした。

その後、「卒業アルバム」は、
全国の大学、高校、中学、そして幼稚園などに広まったということですので、
その歴史は100年以上ということになります。

名曲「卒業写真」が発表された、昭和50年頃は、
「卒業アルバム」全盛の時代でしたが、
最近ではデジタル化や個人情報の問題などで、
「卒業アルバム」も曲がり道にきているとも言われています。
ただ、1冊の単価は、今も1万円以上しています。

さて、人によって、思い入れのある「卒業写真・アルバム」は、
小学校から大学・専門時代まで、いろいろあると思います。
私の場合は、やっぱり高校の卒業アルバムが一番の思い出です。

勉強は大変だったけど、思春期で違うクラスの異性にキュンキュン・ドキドキした
「初恋のあの人」が「卒業アルバム」の中で、
今も「青春そのもの」の象徴として、やさしい目をしています。

その人の消息は、風の噂でしか知りませんが、
名曲「卒業写真♪」の歌詞のとおり、
辛い時、苦しい時、今も、あのページを何度となくめくって見ています。


最近になって、「卒業アルバム」は、もう一つの役割をもつようになりました。
それは、若くして亡くなった友達の写真の思い出です。

毎朝、一緒に高校へ自転車と列車で通っていた同級生は、小学校の先生をしていました。
ところが、突然、白血病になり、半年後に他界しました。

その人の卒業写真を見ると、「この友の分まで、一生懸命に生きよう」と、
いつも勇気をもらっています。

<写真 体育祭のフォークダンス>



それでは、「卒業写真♪」の2番をご覧ください。


♪(2番)
話かけるように ゆれる柳の下を
通った道さえ 今はもう 電車から 見るだけ

あの頃の生き方を あなたは忘れないで
あなたは 私の青春 そのもの

人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたは ときどき 遠くでしかって
あなたは 私の青春 そのもの♪


さて、そろそろ宿題をしましょうか

ユーミンの「卒業写真♪」の「あの人」は誰かというと、
荒井(松任谷)由実さんが、卒業された立教女学院高等学校に伝わる伝説によると
この歌の「あの人」とは、「初恋の人」ではなく、
高校時代の女性の先生のことだそうです。

そう聞いて、この歌の歌詞を、もう一度、読みなおして見ると
全然、違う意味になりそうですね。

2番の
「人ごみに流されて 変わってく私を
 あなたは ときどき 遠くでしかって」

という歌詞は、先生に自分の生き方を「しかってください」と言っているのですね。
なるほどね。
でも、私は、やっぱり
「初恋の人=やさしい目をしたあの人」であってほしいと思います。

<写真 制服>




最後は、「卒業文集」の言葉を2つ紹介します。

1つは、大リーガーとして、数々の記録を作ったあのイチロー(1973年 愛知県生まれ)選手の「小学校の卒業の言葉」です。


「ぼくの夢」  鈴木一朗

ぼくの夢は 一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学、高校でも、全国大会に出て 活躍しなけばなりません。
活躍できるようになるには、練習が必要です。

ぼくはその練習には、自信があります。
ぼくは3才の時から、練習をはじめています。

3才から7才ぐらいまでは、(1年のうち)半年くらい練習をしていましたが、
3年生の時から今までは、365日中360日は、はげしい練習をやっています。
だから1週間中、友だちと遊べる時間は、5時間から6時間のあいだです。

そんなに練習しているんだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。
そして、中学、高校で活躍して、高校を卒業してから、プロに入団するつもりです。
そして、その球団は、中日ドラゴンズか西武ライオンズが夢です。

ドラフト入団で、けいやく金は1億円以上が、目標です。
ぼくがじしんがあるのは、投手と打げきです。

去年の夏、ぼくたちは全国大会へ行きました。
そしてほとんどの投手をみてきましたが、
自分が大会ナンバー1投手と、かくしんできるほどです。

打げきでは、県大会4試合のうちで、ホームランを3本打ちました。
そして、全体をとおして、打りつは、5わり8ぶ3りんでした。
このように、自分でもなっとくのいく、せいせきでした。

そして、ぼくたちは1年間、まけしらずで野球ができました。
だから、このちょうしで、これからもがんばります。

そして、ぼくが一流の選手になって、しあいに出れるようになったら、
お世話になった人たちに、招待券をくばって、応援してもらうのも一つです。
とにかく、一番大きな夢は、プロ野球選手になることです。


イチロー選手は、小学校の時から具体的な夢ですね。
その夢を実現し、いや、それ以上になっているのは、すごいですね。

もう一つの「卒業」の言葉は、「いつも笑顔で」です。
卒業の寄せ書きの中にあった「あの人」のこの言葉を、
私はずっと胸に閉まって生きています。

笑顔の苦手で、すぐに悲観的になる私ですが、
心の底では「いつも笑顔で」ボジティブにと信じています。

「努力と勇気と心の笑顔」
これが、私が卒業アルバムからもらった言葉です。

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