松野莉奈さんは、この春、高校を卒業予定の18歳でした。
2月25日に、神奈川県横浜市の「パシフィコ横浜」で行われた行われた「松野莉奈さんお別れ会」には、私立恵比寿中学メンバーやお姉さんグループの「ももいろクローバーZ」のメンバーをはじめ、ファンや関係者など2万人が参列しました。
<写真 「松野莉奈さんお別れ会」で飾られた遺影>
これまでに「アイドルの坂道」で紹介した乃木坂46の西野七瀬さんや橋本奈々未さん、女優の新垣結衣さんは、「アイドル戦国時代」の頂点に立つ成功したアイドルでした。
もちろん、そんなアイドルたちがどうやって頂点まで坂道を登ってきたかは、「伝記」を読んでいるようで楽しく興味深いものですのですので、これからも、紹介していこうと思っています。
一方で、ほとんどのアイドルは、「アイドルの坂道」の途中で諦めたり、倒れたり、転げ落ちたりしています。
当然、こちらのアイドルたちの生き様も、紹介していきたいと思っています。
今回の松野莉奈さんは、女性アイドルの頂点に立つグループの一つ「ももいろクローバーZ」の、妹分「私立恵比寿中学」のメンバーの一人として活躍していましたので、アイドルとしてはかなり人気のある方でしたが、「アイドルの坂道の途中」で急逝しました。
松野莉奈(まつのりな)さんは、1998(平成10)年7月16日、東京都内で生まれました。
莉奈さんは一人っ子で、お父さんはイタリア料理のシェフ、お母さんはパティシエです。
彼女自身も「お菓子作り」が大好きでした。
莉奈さんは、小学1年生の時、東京・表参道でスカウトされて芸能界入りしました。
以後、スターダストプロモ-ションに所属し子役として活躍します。
テレビドラマでは、小学2年(8歳)の時、「下北サンディーズ」(2006年、テレビ朝日)や「役者魂」(2006年、フジテレビ)などに出演しました。
映画では「1303号室」(及川中監督、スリージー・コミニケーションズ、2007年)などに出演し、日本マクドナルドや住友生命のCMにも出演し活躍しました。
2010(平成22)年5月、「ももクロ」の妹分のアイドルグループ「私立恵比寿中学」のメンバーになりました。
松野さんの愛称は「りななん」、出席番号は9番で、イメージカラーは青でした。
このため、2017年2月25日の「お別れ会」では、青い花で祭壇が埋め尽くされ、ファンの多くが青い服を着たり、ブルーの花をもって参列しました。
松野莉奈さんが所属していたアイドルグループ「私立恵比寿中学(しりつえびすちゅうがく)」は、所属する「スターダスト・プロモーション」が東京都渋谷区恵比寿にあることから、この名前がつけられました。(乃木坂46と似ていますね。でも「恵比寿中学」の先にできています。)
私立恵比寿中学は、「キレのないダンスと不安定な歌唱力?」をキャッチフレーズに、2009年に5人で結成されました。
「永遠の中学生」がコンセプトのため、メンバーは、15歳で中学を卒業しても、中学4年(16歳=高校1年)、中学5年(17歳)とずっと中学生でカウントされます。
さしずめ、18歳の松野莉奈さんは、「永遠の中学6年生」ということになりますね。
「私立恵比寿中学」のメンバーは、変遷を重ねますが、2017年2月に松野莉奈さんが亡くなった時には、メンバーは8人でした。(現在は7人ということになります。)
<写真 JR恵比寿駅(東京都渋谷区)>
東京都内の中学、高校に通いながら芸能活動を続けていた松野莉奈さんですが、実は小さい頃から、病弱でした。
幼い頃から入退院を繰り返し、3歳の時にはけいれんを起こして、あと3分遅ければ危なかったそうです。
高校に入っても、毎年、健康診断のたびに「不整脈」と言われていたのですが、持ち前の明るさと根性で周りには、不安を感じさせませんでした。
身長も、どんどん伸び、女子アイドルとしては非常に高身長の170cmになり、大人びて見えました。
「りななん」というニックネーム以外に、「エッフェル塔」とも呼ばれていましたが、おかげでモデルの仕事もするようになりました。
自己紹介でも、「あたし、ま・つ・の(♪ここまで、あみんの「待つわ」の節で♪)、りなです。見た目は大人、中身は子供。出席番号9番、松野莉奈です。」と言っていました。
松野莉奈さんは、メンバーにもファンにも愛されていました。
公式ブログに掲載された、松野莉奈さんの死を悼んだ私立恵比寿中学のメンバーの言葉を、少し紹介します。
「絶対に言えることは、皆様と一緒でりなを愛しているということ。
りなが残してくれた思い出や教えてくれたことを大切にしていきたい! ということです。
最強の8人!!
気持ちはりなと一緒に、
前を向いて
エビ中は未来に進みます。」
(私立恵比寿中学 出席番号5番 安本彩花)
「りな、これからも凛としたお花の様に、私達、そしてエビ中ファミリーの皆さんの心の中で、美しく生き続けてください。そして、りなを大切に大切に育て、守ってくださった御両親を、今度はりなが守ってください。
まだまだ伝えたい思いは山ほどあるけれど、そっと心にしまいたい思います。
『りなの分もこれからも頑張ってね。』と言われた御両親のお言葉を胸に、
今後とも思いは8人で、私立恵比寿中学頑張ります。
まだまだすっと前を向くことはできませんが、
ファミリー(ファン)の皆様の支えが、メンバーの励みになっていると思います。
今後とも応援宜しくお願いします。」
(私立恵比寿中学 出席番号7番 星名美怜)
「出席番号も自己紹介も
前に進まないと
今後とも思いは8人で、私立恵比寿中学頑張ります。
まだまだすっと前を向くことはできませんが、
ファミリー(ファン)の皆様の支えが、メンバーの励みになっていると思います。
今後とも応援宜しくお願いします。」
(私立恵比寿中学 出席番号7番 星名美怜)
「出席番号も自己紹介も
いつもりなが隣にいてくれました。
7人になったけれど
私の隣にはずっと
松野莉奈がいます。
そして
心は8人のエビ中です。
前に進まないと
りなに叱られる気がするので
これからも一緒に笑って
一緒に泣こうとおもいます。
私はひなた。
青い空があるから生きていける。
私はずっと
ひなたでまつの。
ひなたとまつの。」
(私立恵比寿中学 出席番号10番 柏木ひなた)
松野莉奈さんは両親とも仲がよく、亡くなる直前の2月4日から5日まで、神奈川県箱根に家族旅行に行き、その時の写真を載せたインスタグラムが、最後になってしまいました。
<写真 松野莉奈さんがインスタグラムに掲載した最後の写真と記事「箱根にて」)
松野莉奈さんは両親とも仲がよく、亡くなる直前の2月4日から5日まで、神奈川県箱根に家族旅行に行き、その時の写真を載せたインスタグラムが、最後になってしまいました。
<写真 松野莉奈さんがインスタグラムに掲載した最後の写真と記事「箱根にて」)
この写真、よく見ると、松野莉奈さんの左手に数珠を持っています。 天国(極楽)へ旅立ち、りななんは「永久に夜空に輝くアイドル星になった」と信じたいですね。
松野莉奈さんのインスタグラムに寄せられたファンの声も、少し紹介します。
「私にとってりななんは憧れの存在。
これからりななんを見れないのは、凄く悲しいけれど、
りななんは空から見守ってくれてるから、頑張れるよ。
沢山の笑顔をありがとう。ゆっくり休んでね。
永遠にエビ中ファミリーです。大好きです。」
(aya ebihina0329さん)
「りななん、ずっとずっと大好きです。
一生の推しです。また、どこかで会おうね。
アイドルになってくれて、エビ中にいてくれて本当にありがとう!
アイドルも女優もモデルもしてるところ、全部キラキラしてて、
いつの間にか私の生きるモチベーションになってました。」
(miiiii0319さん)
ファンの気持ちって、本当にありがたくすごいですね。
最後は、松野莉奈さんのソロ曲の歌詞の一部を紹介します。
♪「できるかな?」(歌:松野莉奈、作詞・作曲:大内正徳)♪
♪
いつか私も 逆上がりできるかな?
泣きながら練習してたら あなたが教えてくれたから
いつか あなたと仲直り できるかな?
優しかったり 冷たかったり 男の子分かんないから
いつか 勉強頑張って できるかな?
行きたい学校があるの あなたも志望しているから
いつか 私も恋人が できるかな?
女の子から言わせないで 私、ずっと待ってるから
(中略)
いつか 上手にお別れできるかな?
誰にも迷惑かけないで あなたの所 行きたいから
また 二人で暮らしたいから
ラララ ♪
18歳の松野莉奈さんには、本当に残念な死だったでしょうが、
みんなに愛され、2万人に見送られ、
「誰にも迷惑かけないで、上手にお別れ」できたと思います。
アイドルの坂道も、人生の坂道も、大変ですね。
ファイト!
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