2017年3月12日日曜日

6年めの3.11 崖っぷち日本に「奇跡の花」は咲く?

2017(平成29)年3月11日、2万人近い死者・行方不明者を出した「東日本大震災」から6年が経ちました。
 地震・津波からの復興は、少しずつ進んでいますが、「福島原発」からの復興は正直、進んでいないと思います。

むき出しのまままの原子炉、
正体さえみえない核燃料、
100万トンを超える汚染水
29兆円以上の復校予算、
21兆円以上の廃炉費用、

そして、原発避難民いじめ


現場は崖っぷち
女も崖っぷち
日本の崖っぷち
3度のメシより 崖っぷち♪
(タイセン工業のCM)

妙にこのCMソングが、耳から離れません。
「原発避難民いじめ」や
「原発廃炉の実態」の話は、別の回に詳しくしたいと思います。

「6年目の3月11日」がテーマの今回は
崖ぶっちの「福島原発」の話はではなく、

あえて
「崖っぷち日本」のミラクルを信じて、
3つの「奇跡の花」の話をします。


<写真 竹林>



 
まず1つめの奇跡の花は「竹の花」です。
竹はイネ科の植物ですが、「竹の七不思議」と言われるほどよくわからないことの多い植物です。

たとえば、竹は1日1m、3ヶ月で竹藪ができるほど成長しますが、その後はピタッと止まり、高くも太くもなりません。

この話を、ある竹細工の職人さんから聞いた時は、半信半疑でしたが、どうやら事実らしいです。

そんな竹は、ほとんど花を咲かせませんが、
モウソウチクは67年に1回、マダケは約120年に1度だけ一斉に咲いて、
そして、その花が散る時、あたり一帯の竹が一斉に枯れてしまいます。


モウソウチクは、1912年→1979年に咲いた記録と、1930年→1997年に咲いたという2つの記録があります。

マダケは、1970(昭和45)年に日本だけでなく、世界の各国で一斉に花が咲いた記録があります。
120年後だと、次は、2090年頃ですね。
その頃、日本や世界はどうなっているのでしょうか?
それにしても、不思議な奇跡の花「竹」ですね。

<写真 竹の花>



2つめの奇跡の花は「蓮(はす)」の花です。
蓮の根は泥の中で育ちます。
汚い泥の中で育った花ですが、泥に染まらない「泥くさくない美しい花」を咲かせます。

お釈迦様が座っておられるのは実は「蓮の花」の台座です。
芥川龍之介の名作「蜘蛛の糸」で、お釈迦様のおられる極楽の池に咲いているのも「蓮の花」です。
被災地の津波の泥の中から、復興のシンボルとして咲くのに、
蓮の花ほどふさわしい花はないと思います。

♪「男はつらいよ」♪

♪(2番)
どぶに落ちても 根のあるやつは

いつかは 蓮(はちす)の花と咲く
意地は張っても 心の中じゃ 泣いているんだ 兄さんは

目方で男が売れるなら
こんな苦労も こんな苦労も
かけまいに かけまいに
男とゆうもの つらいもの
顔で笑って 顔で笑って 
腹で泣く 腹で泣く♪

(映画「男はつらいよ」のテーマ(歌:渥美清、作詞:星野哲郎、作曲:山本直純)


<写真 蓮(はす)の花>




最後、3つめの奇跡の花は「名曲 花は咲く♪」(作詞:岩井俊二、作曲:菅野よう子)です。

東日本大震災の「復興支援ソング」として、
震災の翌年、2012(平成24)年に作られました。

「この歌は、震災で亡くなられた方の目線で作りました。」
と語る作詞者の岩井俊二さんは、1963(昭和38)年に宮城県仙台市、
つまり、東日本大震災の被災地の出身です。

映画「Love Letter」(1993年)や「スワロウテイル」(1996年)などの監督として知られていますが、他に作家、作曲家、脚本家としても知られています。

一方、作曲をした菅野よう子さんも、宮城県仙台市出身の作曲家で、1967(昭和42)年生まれです。

奇跡の震災応援ソング「花は咲く」は、
宮城県出身の2人が作詞・作曲し、
「花は咲くプロジェクト」という名前で、東日本大震災被災地の岩手県、宮城県、福島県の出身、ゆかりの有名人が歌っています。

 主な参加者は、千昌夫さん(歌手・岩手県陸前高田市出身)、新沼謙二さん(歌手・岩手県大船渡市出身)、荒川静香さん(アイススケートのオリンピック金メダリスト・宮城県仙台市出身)、中村雅俊さん(俳優・宮城県女川町出身)、西田敏行さん(俳優、歌手・福島県郡山市出身)、秋吉久美子さん(女優・福島県いわき市出身)などです。

 他にも多くの有名人が参加し、「花は咲く」の作詞・作曲家への印税は、全額がNHK放送文化事業団を通じて被災地の「自治体に義援金」として寄付されています。

 被災地でとったアンケートでは、「元気をもらった歌」のナンバー1になったのが、「花は咲く」でした。


 2017(平成29)年3月11日、東京都千代田区の国立劇場で行われた「政府主催の東日本大震災追悼式」で、岩手県の遺族代表の千葉陽さんはこう話されました。

「あの時から、もう6年でもあり、まだ6年でもあります。
(中略)
その災害から、何とか生き残った者として、精いっぱいに生きることを全うすること、
そして、様々なことで起きる「つらさ」を「幸せ」に変えられるように、
いまの自分が持てる力が役立つのならば、少しでもできることをしていきたいと思います。」

「つらさを幸せに変える」のは簡単ではありませんが、
生き残った我々が努力しないと、震災犠牲者の祈りを無駄にしてしまいます。

改めて、2011年3月11日の教訓を少し紹介します。

地震発生直後の発表では、
マグニチュード7.9(後に9.0に訂正)
予想津波貴は3~6m(実際には10m以上、最大40m)
原発は「調査中、メルトダウンはしていない」(実際は爆発、メルトダウン)
と、過少評価していました。

最初の情報で安心せず、
「最悪」を考え、命を守るためにベストを尽くしましょう。

今すぐできる備えを1つ紹介します。
交通遮断に備えて、
「会社、学校、避難所から自宅までの地図をもち、歩いてみる。」
「車をお持ちの方は、いつもガソリンを半分以上、入れておく。(自衛隊ではやっています。)」

<写真 桜の花>




最後に「崖っぶち日本」の復興を願って、奇跡の名曲「花は咲く♪」の歌詞を紹介します。


♪「花は咲く」(歌:花は咲くプロジェクト 作詞:岩井俊二、作曲:菅野よう子)♪


真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは 懐かしい あの街を思い出す

叶えたい 夢もあった 変わりたい 自分もいた
今はただ 懐かしい あの人を思い出す

誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう


夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは 懐かしい あの日々を思い出す

傷ついて 傷つけて 報われず泣いたりして
今はただ 愛おしい あの日々を思い出す

誰かの想いが見える 誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろ

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために♪


日本の 「3つの奇跡の花」が、
日本の奇跡の復興を支えてくれると、信じていたいですね。

 

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