2017年の「春一番」が各地で吹きました。
2月16日に九州北部、
2月17日に北陸、関東、四国、九州南部・奄美、
そして、2月20日には、近畿と東海で春一番が吹きました。
今回は、3つの「春一番(はるいちばん)」を中心に紹介します。
<写真 春の虫 モンシロチョウ>
まずは、一番有名な気象用語の風としての「春一番」です。
一般的に春一番は、「冬から春に向かう時期に、初めて吹く南よりの強い風」のことを言いますが、気象庁の定義は、もっと厳格で、「立春から春分までの間に、広い範囲(地方予報区くらい)で初めて吹く、温かく(やや)強い南風」としています。
2017(平成29)年でいうと、2月4日(立春)から3月19日(春分の日の前日)の間で、初めて吹く温かく強い南風ということですね。
ところが、結構、アバウトな部分も多いんです。
まず、気象庁が「春一番」を発表する地域は、すべての地域ではありません。
東北、北海道と、長野、山梨、沖縄は、「春一番の発表地域」からはずされています。
理由は、「北海道・東北・長野はまだまだ春が遠い」からで、「山梨、沖縄」は「春一番」にあたる風が吹かないからです。
また、「強い風」の定義も地方によって違います。
北陸と四国では最大風速(10分間の平均)が10m/s以上とされているのに対し、関東・東海・近畿・九州南部では8m/s以上、九州北部では7m/s以上、中国地方は非公表と、バラバラです。
さらに、「春一番が観測されない」年もあります。ちなみに、2017年で2月22日現在、「春一番」が観測されていないのは「中国地方」だけです。
たとえば、関東地方の2008年から2017年までの10年間を調べてみると、「春一番」が最も早かったのは、2009年の2月13日で、最も遅かったのは2014年の3月18日です。
ただし、2012年と2015年は、観測されていません。
「春一番」の語源についても諸説ありますが、最も有力なのは、江戸時代末期の1859年3月17日(安政6年2月13日)に、現在の長崎県壱岐市で、出漁中の船が強い南風で転覆し53人の死者が出る事故があり、地元でこの時のような南風を「春一」あるいは「春一番」と呼ぶようになったという説です。
「春一番」は、本当は怖い風なんです。
今も、「春一番」で転倒事故などが起こることがよくあるので、十分、警戒しましょう。
<写真 春の花 タンポポ>
2番目の春一番は、お笑い芸人の「春一番(はるいちばん)」さんです。
アントニオ猪木さんの物まねで有名になった、あの人です。
春一番さんは、本名・春花直樹(はるはな・なおき)さんで、1966(昭和41)年8月13日に、神奈川県で生まれました。
小さいころを、岡山県鴨方町(現在の浅口市)で過ごし、高校まで進学しました。
しかし、素行不良で高校を1学期だけで退学になり、埼玉県の親戚の家に預けられました。
しばらくは、「甘栗」を売る新宿区四谷に本店のある食品会社「甘栗太郎」に入社し、サラリーマン生活をやっていました。
その後、1985年、19歳の時に、片岡鶴太郎に弟子入りします。
1988年にはドラマ「翼をください」で、芸能界にデビューします。
この頃、師匠の片岡鶴太郎が、彼に「芸名」をプレゼントします。
「春花」という本名が春らしいのと、「芸人として1番を目指せ」「春一番のように強い風を吹かせてブレイクしろ」という祈りを込めて、片岡鶴太郎さんが名付けたのが、「春一番」という名前でした。
春一番さんは、プロレスラーの「アントニオ猪木」さんの、「元気ですか。元気があれば何でもできる。1、2、3、ダアッー!」というものまねでブレイクします。
しかし、根っからの酒好きで素行が悪く、1994年には所属していた「大田プロダクション」を解雇されます。
あの「ビートたけし」さんにも目をかけられ、心配して「春一番が酒をやめたら、一生俺の番組で使ってやる。」と言ってもらい、涙を流しました。
ところが、翌日にはまた酒を飲んでいました。
2014年7月3日、結局、酒の飲みすぎによる肝硬変で、奥さんの隣で寝たまま亡くなりました。
享年48歳でした。
先日も、テレビでビートたけしさんは、「春一番、あいつ酒さえ飲みすぎなければ、いいやつだったのに」と、残念そうに語っていらっしゃいました。
短い一生でしたが、春一番さんは、さわやかで少しアルコールの匂いのする「春風」を残して、永眠されました。
葬儀に参列した本物のアントニオ猪木さんは、「贈る言葉にふさわしくないですが、あえて、『元気ですか? 1,2,3、ダアッー!』という言葉で、春一番さんを送りました。
<写真 春一番さんの遺影と備えられたお酒 (春一番さんブログ「闘魂伝笑」より)>
最後の3番目の「春一番」は、あの名曲の話です。
春一番が歌詞に出てくる名曲というと、1970年代を代表する3人組の女性アイドル「キャンディーズ」のあの曲が思い浮かびます。
♪
春一番が 掃除したてのサッシの窓に
ほこりの渦を躍らせてます♪
これは、キャンディーズの活動期間の最後に出された最大のヒット曲で、初のミリオンを記録したシングル曲「微笑みがえし」(1978年 作詞:阿木燿子、作曲:穂口雄右)の出だしの部分です。
実は、この曲の歌詞は、解散・引退を決めた「キャンディーズ」のヒット曲のタイトルを散りばめたものです。
ということで、もちろん、「春一番」というタイトルの曲が別に「キャンディーズ」の代表曲としてあります。
その出だしを紹介します。
♪
雪が溶けて川になって 流れていきます
つくしの子がはずかしげに 顔を出します
もうすぐ 春ですね
ちょっと 気取ってみませんか♪
なんかウキウキするような春らしい歌詞ですが、この曲には不思議なことがあります。
実は、この「春一番」(1976年 作詞・作曲 穂口雄右、歌:キャンディーズ)という曲の歌詞の中には、「春一番」という言葉は、1回も出て来ないのです。
そうです、「春一番」という曲には、タイトルだけしか「春一番」という言葉は出てこないのです。
バンバン歌詞に出てくるイメージなので、驚きでした。
もう一つ、この「春一番」という曲には、不思議なことがあります。
「ウルフルズ」や「ゆず」、「いきものがかり」などがカバーした名曲ですが、
実は、2012年から2015年まで、大手のカラオケでは、この曲が歌えなくなっていました。
その理由は、「春一番」の作詞・作曲をした樋口雄右(ひぐちゆうすけ 1948年~ 東京都出身)さんが、キャンディーズの一員であった田中好子さんが亡くなった後、彼女を偲ぶコメントが多く寄せられていた「YouTube」の春一番の動画を、日本レコード協会が「画一的に削除した」のを怒り、一時、「日本音楽著作権協会(JASRAC)」を退会したからでした。
その後、2015年には樋口さんが協会に復帰したことで、再び大手カラオケで、3年ぶりに「春一番」が歌えることになりました。
樋口雄右さん(1948年 東京都生まれ)は、ジャニーズ・ジュニアにもいた作詞家・作曲家・編曲家で、特に作曲家として、顕著な活躍をされています。
「春一番」以外にも、「年下の男の子」(キャンディーズ)をはじめ、「二十才前」(岩崎宏美)、「ポケットいっぱいの秘密」(アグネス・チャン)、「素敵なラブリーボーイ」(小泉今日子)、「潮騒のテーマ」(山口百恵)など、1970年代から1980年代の多くのアイドルの名曲を作曲しています。
それでは、最後に「春一番」の続きの部分の歌詞を紹介します。
♪「春一番」(作詞・作曲 穂口雄右、歌:キャンディーズ)♪
(前略)
♪風が吹いて 暖かさを 運んできました
どこかの子が 隣の子を 迎えにきました
もうすぐ春ですね
彼を誘ってみませんか
泣いてばかりいたって 幸せは来ないから
重いコート脱いで 出かけませんか
もうすぐ春ですね
恋をしてみませんか♪
<写真 春のイベント「ひなまつり」>
「春一番」という言葉ですが、気象現象の風も、お笑い芸人も、楽曲も、けっこう深いですね。
<マイ一句>
春一番 「元気ですか?」も 風の中
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