2017(平成29)年2月20日、大ブレーク中の「乃木坂46」の中心メンバーの1人で、北海道旭川市出身の橋本奈々未(はしもとななみ、愛称ななみん)さんが、24歳の誕生日に乃木坂46を卒業し、そして芸能界からも引退します。
その理由が、「貧乏から抜け出すためにアイドルになり、家族と自分の生活に目途が立ったから引退します。」ということで、大きな共感を呼びました。
今回は、2月20日に卒業・引退するななみん(橋本奈々未)の「卒業・引退」の意味を噛みしめながら、もう1度、ななみんを取り上げたいと思います。
<写真 橋本奈々未さんの故郷の近くの「北海道・富良野」>
橋本奈々未さんは、「水道止まる、ガス止まる」の貧乏な実家に生まれ(本人談)、2011年に旭川の高校を卒業すると、親の反対を押し切って上京し、武蔵野美術大学に入学しました。
しかし、親の支援は受けないと決めていたので、奨学金で授業料を払うと、いくらバイトしても生活は苦しく、おにぎり1個の生活をしていました。
そんな2011年の夏休み、橋本さんは「AKB48の公式ライバル・乃木坂46の1期生」の募集広告を見つけ、「生活を楽にしたい。ロケ弁を食べたい。」という理由で応募し、1000倍の倍率のオーディションをみごとに突破し、アイドルになりました。
ところが、当初の乃木坂46は、「AKB48の公式ライバル」という肩書きからはほど遠い、平均年齢16歳の弱小アイドルグループでした。
それでも、ななみんを初め、わずか30数人のメンバーのがんばりで、乃木坂46は徐々に人気が出てきました。
ところが、忙しくなった橋本さんは、2014年に大学を中退しなければならなくなり、その年の8月には、「大阪でのコンサート」が終わり舞台から手を振りながら降りると同時に入院しました。
その後は流動食だけになり、163cmの橋本さんの体重は一時、30kg台に減りました。
その頃のことを、乃木坂46のドキュメンタリー映画「悲しみの忘れ方」の中で、橋本奈々未さん自身はこう語っています。
「2014年に(体調を崩して入院して)、もう乃木坂46を辞めたいなと思っていました。
でも、辞めたらどうにもならなくなっちゃうと、もんもんとしていた。
これじゃだめだ、入った意味なくなちゃうし、と思いました。」
彼女の心配をよそに、橋本奈々未さんが退院・復帰した乃木坂46は、その後もアイドルの坂道を登り続け、2015年にはついに念願の「NHK紅白歌合戦」に初出場しました。
さらに、乃木坂46は2016年の紅白にも2年連続で出場しました。
そこで歌った曲「サヨナラの意味」は、ななみんの最初で最後のセンターの曲で、AKB48以外では「千の風になって」以来9年ぶりに100万枚を超える大ヒットになりました。
CDとDVDの年間売り上げも、2016年には、ついにAKB48を超えて女子アイドルで1位になりました。
そんな大ブレーク中の乃木坂46を、橋本奈々未さんは、2017年2月20日に卒業し、芸能界からも引退します。
橋本さん本人は、その理由を多くは語りませんが、1つには、「デビューの頃はロケ弁が本当に嬉しかったのに、今はごちそうを差し入れしてもらっても感謝の気持ちが薄らいだから」とも言っています。
<橋本奈々未さんのノベリティ・グッズ>
乃木坂46が頂点に立ってこれからという時に、ななみんが卒業してしまうのは残念でしかたありません。
それでも、引退する橋本さんの「2017年のサヨナラの意味」について、噛みしめて、笑顔で見送ることがファンだと信じたいです。
2015年公開の映画「悲しみの忘れ方」の中で、橋本奈々未さんは、こう目標を語っています。
「明確だから、自分ががんばるゴールまでは。
私が家にできることを完璧にやろう。
お父さん、お母さんが、もう年なんで、病院通いになるので。
来年(2016年)には家を買います。で、来年度に弟の大学の初年度入学費を全額納入。」
この目標を達成したから、橋本さんは辞める決心をしたんだと思います。
本当にすごいなと思います。
華やかなアイドルの世界のど真ん中にいるのに、流されないで自分の道を行くななみん。
最高です。見習いたいです。
橋本奈々未さんたち1期生と、2期生のがんばりで、
乃木坂46は、「女子の憧れのアイドル」になっています。
その証拠に、2016年の夏に募集した「乃木坂46の3期生」は、応募者数が48,986人に達し、3期生になった12人の倍率は4000倍を超えました。
橋本奈々未さんの想いは、残る1期生の仲間と、2期生、そして3期生たちに引き継がれていくものだと信じたいです。
ちなみに、「次世代センター」の呼び声高く、「ななみんは俺の嫁」といつも言うほど橋本奈々未さんを慕っている斉藤飛鳥さん(18歳)は、橋本さんの言葉の一つ一つをノートに書き残しているそうです。
ここからは、橋本奈々未さんの「卒業・引退表明後のブログ」や発言を、紹介します。
○「みんなは秋の夜長を、どうやって過ごしているの。
わたしはひたすた、ものを捨てている。
年末、大掃除いらないレベル。ふふ」
(2016年11月15日、橋本奈々未さんブログ「97」より 《注:97は卒業までの日数》)
ななみんの断舎利、なんかいいですね。
ちなみに、ななみんがDJをしているラジオ「SOL(スクール オブ ロック)」(東京FM系)では、
毎日、大きなゴミ袋に一つずつもの断舎利をしていると語っていました。
○「明けましておめでとうございます!
2016年、泣かずに越せました。
けど紅白終わりに楽屋でみんなで手をつないで、
年越しの瞬間ジャンプするのはこれで最後だと思うと、
2017年になった瞬間、泣いちゃった(笑)。
(中略)
2017年も頑張ります。
最高の23歳の私を見てもらうために。
24歳からの私をがんばるために。」
(2017年1月1日 橋本奈々未さんのブログ「1月1日から東京は夏みたいな空です」より)
<橋本奈々未さんの自筆サイン>
橋本奈々未さんは、2017年2月5日、最後の握手会を「パシフィコ横浜」で行いました。
握手会に並んだファンの列は4kmに及び、最長10時間も待つファンもいました。
握手会が終わったのは深夜12時でした。
最後の挨拶では、
○「5年間、たくさんの人たちと握手させていただき、なかなかない経験ができました。
ありがとうございました。
ラジオの「SOL(スクールオブロック)」(東京FM他全国ネット)は、2月23日までやりますし、2月20日にはセカンド写真集「2017」も発売します。
私の「冥土の土産(笑い)」にチェックしてください。
本当にありがとうございました。さようなら!」
と語りました。
刺傷事件に巻き込まれたり、突然死したり、出家したり、
事務所ともめたり、アイドル受難の時代です。
そんな中、橋本奈々未さんのアイドルの引き際は、最高ですね。
ここで、最初で最後の「ななみんセンター」のミリオン曲「サヨナラの意味」の歌詞の一部を紹介します。
♪「サヨナラの意味」(歌:乃木坂46 作詞:秋元康 作曲:杉山勝彦)♪
「♪(前略)
サヨナラは通過点
これからだって何度もある
後ろ手でピースしながら
歩き出せるだろう
君らしく・・
サヨナラに強くなれ
この出会いに意味がある
悲しみの先に続く
僕たちの未来
始まりはいつだって
そう何かが終わること
もう一度君を抱きしめて
本当の気持ち問いかけたがんばれ
失いたくない
守りたかった
愛に代わるもの♪
<写真 東京・渋谷駅に掲出された橋本奈々未のCanCam卒業の広告>
最後に、2017(平成29)年2月13日に、橋本奈々未さんが更新した、ブログを紹介します。
○「世の中からは私はすぐに過去になってなかったものになる!
もうなりつつある!
私はそれも望んでる!
けど、それと同じように
自分を好きでいてくれて、自分を思ってくれている人、思ってくれていた人に
最後まで誠実でありたい!
他にどう思われても、そりゃしんどい時もあるけど、
そこが今の私が一番大事にすべき気持ちだと思う!
CanCamの表紙を飾れて、渋谷駅がわたしとCanCamの名前が連なっていっぱいになって、
昼夜逆転していた中学時代に毎日聞いていたラジオ番組、SOL(スクールオブロック)で
私の最後の声を届けることができて、
約6年間、一緒に歩いてきたメンバーと、何万人の人に見届けてもらいながら、
歌って踊ってステージを去れます。
色んなことがあったけど、6年前はこんな大きな終わりを迎える想像はついてなかったよ。
この先も想像を超えたいです。
みんなも、きっと、今は想像がつかないようなこの先を送るんだろうねえ。
残りの日々をみなさん楽しんでください!」
(2017年2月13日 橋本奈々未さんブログ「花束が部屋に溢れてる」より)
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