2018年7月10日火曜日

平成最後の夏に最悪豪雨~やがて淋しき「初恋の味」~

 平成最後の夏、2018(平成30)年の夏は大荒れで始まりました。 6月18日に大阪北部を震源とする震度6弱(マグニチュード6.1)の地震が発生し、死者4人、400人以上が負傷しました。
 続いて、7月5日頃からは全国各地で記録的な大雨が降り、7月9日19時10分現在で108人が死亡、行方不明者29人(消防庁調べ)など、西日本を中心に大きな被害が発生しています。


 今回は、気象庁が今回の豪雨で計11府県で発表した「大雨特別警報」を切り口に、2018年7月豪雨について考えてみたいと思います。

 
 7月上旬の豪雨の原因は、7月初めに対馬海峡を通過した「台風7号」が、日本の南海上に残していった非常に大きな積乱雲から、西日本から東日本に停滞していた梅雨前線に向かって非常に湿った空気が大量に入り続けたことでした。


<7月6日9時の天気図 (気象庁)>




 今度の大雨の大きな特徴は、時間的にはずれがありますが、「大雨特別警報」が過去最多の11府県 
(岐阜県、京都府、兵庫県、鳥取県、岡山県、広島県、愛媛県、高知県、福岡県、佐賀県、長崎県)に発表された点です。

 「大雨特別警報」は、台風や集中豪雨による数十年に一度の降水量が予想される場合、または、数十年に一度の強度を持つ台風や、それと同程度の温帯低気圧による大雨が予想される場合に発表されるものですが、これまでは最大3府県だったので、今回の11府県はそれを大きく上回り、岐阜県から近畿・中国四国、九州北部まで広域に出されました。

 しかし、「大雨特別警報」の発表と、実際の雨量や被害とは、必ずしも一致していません。
 たとえば、累積雨量が1000ミリを超えた県は、岐阜県、徳島県、高知県でしたが、このうち特別警報が出されたのは2県で、それも大雨の終盤の7月8日になってからでした。
 一方、死者(被害)の多かった県は、広島県(40人)、岡山県(28人)、愛媛県(23人)、京都府(4人)、山口県(3人)、福岡県(3人)などでした。
 
 特に、3番目に被害が多かった愛媛県に特別警報が出たのは大雨の最終日の7月8日になってからで、多くの被害が出たのは特別警報が出る前でした。

 実は、「太平洋側には、特別警報が出にくい」との説があります。

 確かに、今回、大雨特別警報が出された11府県の面している海を考えてみると、ピークを過ぎた7月8日になって特別警報が出た愛媛県と高知県を除くと、ほぼ瀬戸内海・日本海・東シナ海に面している府県と内陸県の岐阜県です。
 ちなみに、唯一、太平洋に面している兵庫県の淡路島は、今回の大雨特別警報の発表地域ではありませんでした。


<写真 夜も続く捜索活動(岡山県倉敷市 平成30年7月)>





 
 
 もう一つ、被災地のインタビューで、「特別警報」の意味を理解している人は少ないのではないかとも、思いました。

 たとえば、「特別警報が出てから避難した」という避難者や、「特別警報が出ているから、線路の被害調査や復旧工事はできない」という鉄道関係者がいました。

 特別警報は、避難を促す「避難指示」や「避難勧告」とは違いますし、まして「災害復旧」や「被害調査」を禁じるものではありません。


 大雨による被害の2大要因は。がけ崩れ・山崩れなどの「土砂災害」と、川やため池の決壊などの「洪水・浸水」による災害ですが、前者のスーパー警報が「土砂災害警戒情報」、後者は「洪水警報」や「(河川ごとの)氾濫危険情報・氾濫発生情報」が警報にあたるものです。

 しかし、特別警報と「土砂災害警戒情報」「洪水警報」「氾濫発生情報」、さらに避難を促す「避難指示」や「避難勧告」との役割分担は、一般の人にはわかりにくいと思います。

 ちなみに、今回の豪雨で、避難指示や避難勧告の対象になった人は、先の消防庁の調査で約381万人もいますが、実際に避難したのは30、250人で、わずか0.8%に過ぎませんでした。
 
 国民の安全・安心のために、気象庁や国土交通省、都道府県などが次々と制度改革をしてきた「気象警報や防災情報」ですが、今回の豪雨をきっかけに、「一人一人が単純でわかりやすく命を守る行動」ができるように、地震や津波の情報も含め、運用方法や伝達方法を、改革していただきたいと願います。

 このブログでも、今後も防災情報を、とりあげていこうと思っています。


 それにしても、今回の豪雨は、台風でもないのに、わかっているだけで124人が死亡し6人が心肺停止6人、63人が行方不明(7月10日2時現在、NHK調べ)という平成になって最悪の風水害被害が出ました。

 平成最後の夏・2018年は、今回の豪雨をはじめ、大阪北部地震などの地震、霧島連山やキラウエアなどの火山噴火もあり、災害への「備え」や厳重な警戒がますます必要となっています。


<特別警報の基準 (気象関係 ほかに地震・津波・火山噴火などもあります)>





 後半は、今年は雨で見えなかった「七夕の話」、いや、「7月7日」が誕生日の「初恋の味・カルピス」の話です。


 今から99年前の1919(大正8)年7月7日、あの「カルピス」が発売されました。

 カルピスは、創業者の三島海雲(みしま・かいうん、1878(明治11)年~1974(昭和49)年 大阪府箕面市生まれ)さんが、内モンゴル(現在の中華人民共和国・内モンゴル自治区)を旅行中に体調を崩した時、現地で勧められた乳酸菌を飲むと体調が回復したことに始まります。

 この出来事から、三島さん帰国後に研究をすすめ、1919年7月7日に発売したのが「カルピス」で、脱脂乳を乳酸菌で発酵・加糖して、酵母を加えたものです。

 7月7日が誕生日なのにちなみ、カルピスの水玉模様は、「天の川」を現しています。

 「カルピス」という名前は、「カルシウム」とサンスクリット語の「サルピス」(じゅくその意味)から作った造語で、「あかとんぼ」などの作曲で知られるあの山田耕作さんなどが名付け親です。

 「初恋の味カルピス」という有名なキャッチフレーズは、発売直後の1920年頃から使われていますが、三島さんの学生時代の後輩が作ったものです。
 
 三島さんは後輩に、「カルピスは子供も飲む。子供に初恋の味がわかるだろうか。」と聞くと、後輩は笑顔で「子供には、初恋はカルピスの味だと答えればいい。初恋は純粋で美しいものだ。」と答えました。
 
 1923年に起こった「関東大震災」で、カルピスを無料で配布したこともあり、国民の夏の飲み物として、不動の人気を得ました。


 ちなみに、手話の「初恋」は、カルピスなどの飲み物を入れた1つのグラスに、2本のストローを指していることをイメージし、写真のような指の形であらわします。


<「初恋」の意味の手話と、カルピスのイメージ >







 今年は豪雨で会えなかった七夕の織姫や彦星の二人と、「平成30年7月豪雨」の犠牲者への追悼、ほかの被災者のみなさんの無事を祈りながら、今夜は、少しほろ苦い「初恋の味カルピス」を飲みたいと思っています。


「平成の 最後の夏に 最悪豪雨 やがて淋しき 初恋の味」(じゅんくう)




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