令和元(2019)年5月1日、新天皇として徳仁(なるひと)親王さま、称号浩宮(ひろのみや)さまが、第126代天皇に即位されました。
1960年2月23日生まれの59歳で、「徳仁親王」「浩宮」は、いずれも昭和天皇が名付けられました。
御即位、おめでとうございます。
今回は、テレビで中継された新天皇の「剣璽等承継の儀」(けんじとう・しょうけいのぎ)を見ていて、多くの皆様が疑問に思われた「三種の神器って何?」「三種なのに、なぜ2つなの?」という疑問について、答えていきたいと思います。
なるべくわかりやすく紹介しますが、神話や伝説の話なので、難しい言葉や名前が出ることは、ご了承ください。
三種の神器(さんしゅのじんぎ)は、神様の子孫が地上に降りた「天孫降臨」(てんそんこうりん)の際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)が子孫に渡された3つの宝物のことで、これを持つことが天皇即位の証拠であるともいわれています。
(実際には、後鳥羽天皇が1184(元暦元)年に、壇之浦の戦いで平氏が三種の神器を持ち出したままの状態で即位したように、例外もあります。)
三種の神器を順に紹介すると、一つ目は、「八咫鏡(やたのかがみ)」で、天照大神が「天岩戸(あまのいわと)」に隠れた際に作られ、鏡に映る自分の姿に興味をもって、天照大神が出て来られたと言われています。
現在、実物は三重県伊勢市の「伊勢神宮」にあると言われていて、「剣璽等承継の儀」では承継されず、「鏡の形代(本物の形に作られたものに魂を込めたもの、レプリカではありません)」は、皇居宮中の賢所にあると言われています。
この鏡が伊勢神宮にあるので、「剣璽等承継の儀」で皇居で新旧天皇の間で承継されるのは三種ではなく、二種の神器ということになっています。
<三種の神器の想像模型>
三種の神器の2つめは、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」で、古事記・日本書紀の時代、出雲の国(今の島根県)で暴れていた8つの頭をもつ大蛇「ヤマタノオロチ」を、須佐之男命(すさのおのみこと)が退治した時に、大蛇の尾の部分からでてきた剣であると伝えられています。
この剣は、源平合戦の時に、壇之浦に沈んだという説もありますが、本物は愛知県名古屋市の熱田神宮にあり、皇居の剣璽の間には、形代があるとも言われています。
しかし、他の神器と同じで、実物は箱の中にあって、天皇陛下でさえご覧になれないということなので、すべては謎と伝説に包まれています。
最後の3つめが、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」で、天照大神が岩戸にお隠れになった際に作られたとの伝承があります。
この勾玉だけは、オリジナルが皇居にあると言われています。
「剣璽等承継の儀」の「剣」は「つるぎ」、「璽(じ)」は勾玉をさすので、この儀式には「鏡」は用いられていません。(おそらく伊勢神宮にあるのだと思います。)
ほかに「国璽(こくじ=国の印)」と「御璽(ぎょじ=天皇の印)」が、引き継がれました。
<「即位後朝見の儀」の令和の徳仁天皇と、皇后・雅子様(2019年5月1日 皇居)>
後半は、令和の皇后、雅子妃殿下の経歴と、天皇・徳仁さまの名言です。
まず、雅子皇后の経歴です。
皇后雅子さまは、旧名・小和田雅子(おわだ・まさこ)さんで、1963(昭和38)年12月9日、東京生まれです。
父の小和田 恆さんは、外交官でのちに外務事務次官になりました。
小和田雅子さんは、東京生まれですが、ソ連(当時)のモスクワ、アメリカのニューヨーク、ボストン、イギリス・オックスフォードなど海外経験が豊富で、日本語のほか英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語などが話せます。
1981年(昭和56年)に、アメリカ・ハーバード大学経済学部に入学し、1985年に卒業しました。
その後、東京大学法学部に編入し、1987年に外交官試験に合格し中退します。
以後、外務省に入省しますが、1993年6月に徳仁親王と結婚し、2019年5月に皇后となられました。
まさに絵に描いたような才色兼備の女性ですね。ぜひ外交官のキャリアも活かしていただきたいですね。
さて、徳仁天皇の2019年5月1日の「即位後朝見の儀」のお言葉です。
「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより,ここに皇位を継承しました。
この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。
顧みれば,上皇陛下には御即位より,三十年以上の長きにわたり,世界の平和と国民の幸せを願われいかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その強い
上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに,皇位を継承するに当たり,上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,自己の研
平成に在位された明仁上皇が、在位の30年以上の間、被災地を訪問され、太平洋戦争の激戦地を慰霊されたことに、敬意と感謝を表明されました。
ぜひ、令和の徳仁天皇も「国民に寄り添って」いただきたいものです。
最後は、徳仁天皇が皇太子時代の平成17(2005)年の2月21日に、記者会見で「愛子様の教育方針」について質問された時に、引用された言葉です。
アメリカの家庭教育者のドロシー・ロー・ノルト(1924年~2005年)が作った「子ども」という詩です。
批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる
しかし,激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる』